あの時勝っていれば人生が違ったものになっていたのに――。そんな話はよく聞く。その逆はあまり聞いたことがないのが普通だ。 奨励会時代、私と一緒に麻雀やカラオケをして遊んでいた友人はよくぼやいた。 「あの将棋を負けていればなぁ……」 橋本長道 1984年生まれの小説家、ライター、将棋講師、元奨励会員。神戸大学経済学部卒。著書に『サラの柔らかな香車』『サラは銀の涙を探しに』(いずれも集英社刊)。 前回記事:藤井聡太五段を見たときに感じる「口の奥の苦み」――プロ棋士を目指した“元奨”作家が振り返る「機会の窓」 人生を賭けた一局 あの将棋というのは奨励会入会試験3日目第3局のことである。 年に一度夏に行われる奨励会入会試験では1日目、2日目に受験者同士で対局し、そこでの成績優秀者が3日目の現役奨励会員との対局に進む。3日目は3局指すことができ、1勝でも挙げられれば晴れて奨励会合格となる。 彼は3日目