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スピリチュアルと日本社会に関するushiwatatのブックマーク (3)

  • 「山本太郎お手紙事件」に見るメシア願望 - ohnosakiko’s blog

    話題としては既に古くなった、山太郎参院議員が秋の園遊会で天皇に手紙を渡したという”事件”。この件で最初に思い出したのは、かつて斎藤環が『新潮45』9月号の速水健朗との対談「「ヤンキー政治」にご用心!」で、山太郎について言った「ニューエイジヤンキー」という言葉だ。 速水健朗の意見は、「山太郎の支持層とヤンキーはあまり結び付かない」し、あれは「左翼が陰謀史観に流れていく典型」というもの。一方、斎藤環は「ヤンキーがインテリの思惑の中で別の可能性を開いてしまった特異例」だとし、山太郎人はヤンキー的だと言う。 山太郎は「ある地点で思考停止してしまう面があり、極端な危ない証拠を連呼するだけで、客観性を保つための情報収集を拒否」している「シンプルすぎる非知反原発」。だがそのシンプルさ、見かけのわかりやすさでポピュラリティも獲得した。そうした性質は、斎藤環が言うところの「ニューエイジヤンキー」

    「山本太郎お手紙事件」に見るメシア願望 - ohnosakiko’s blog
  • 独り言 - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~

    スピリチュアルが非科学的であることは初めから自明じゃん!みたいな個人的意見は置いとくとしても、スピリチュアル批判をしている有名な人の中には違和感を感じる人がいる。私には、果たしている(問題含みの)役割の点ではスピリチュアルと俗流若者論と俗流クオリア論に違いを見出すことができない。リカちゃんとかモギっちとかの批判に専門性があるなら聞く価値はあるかもしれないが、所詮は人気評論家にすぎないのはもう分かっている。スピリチュアルを批判したいなら常識の観点からすれば十分であって、(俗流を含めて)権威を持ち出す必要はないんじゃないのか? それから、ユングやシュタイナーのような(宮台真司が言うところの)西洋密教*1を俗っぽいスピリチュアルと一緒くたにして擁護するやつを最近見かけるようになったが、そういうのって馬鹿にされてるようで私にはむしろむかつく。(自分の)位置取りのための擁護なんてするな! それにして

    独り言 - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~
    ushiwatat
    ushiwatat 2008/03/20
    |おそらく日本は十年後も同じ様かもしれない、という絶望を持ってやってないやつを私は信用しない。|
  • CUT 2001/01 Book Review

    かわいそうな星占いと現代人。 (『CUT』2001 年 1 月) 山形浩生 長屋にこんどは星占いのコーナーが越してらしたのかい。じゃあいい機会だから、星占いのことを話しておこうか。ぼくはもちろん星占いなんか信じていない。でも、星占いに人が惹かれる、というのはおもしろいなと思う。でもそれは同時に悲しい。 なぜ人は星占いに興味を持つのか? 「だってあたるから」? まさか。だれにでもあてはまるようなことを漠然と描いていれば、どれかはあたる。それだけの話だ。備えられる? どう備えるの? グランドクロスがノストラダムスが恐怖の大王とかすっていたのが意味ありげ? それがどうしたの? 「かすった」ってなんだい? それにそもそも恐怖の大王の日に、何か起きたっけ? なにもないでしょう。 でも、人が星占いを信じるのは、そもそもそんな実利的なメリットのおかげではない。あたるから信じる、役にたつから信じる――そも

    ushiwatat
    ushiwatat 2007/05/11
    エリアーデなど。|星が、自分だけに意味のある形で自分をみおろしてくれているというのと、だれが見ても水爆だというのとでは、意味がちがうんだ。|
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