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スポーツと日本社会に関するushiwatatのブックマーク (3)

  • オリンピックの熱狂と「転向」する文学者たち 2020年われわれは冷静でいられるか - ジセダイ総研 | ジセダイ

    文学者たちのあっけない「転向」 1964年10月の東京オリンピックは、「筆のオリンピック」とも呼ばれた。小説家や評論家など物書きの多くが、まるで競うようにオリンピックのことで筆を執ったからである。 当時はまだテレビタレントがいなかった時代。文学者は文化人の代表格であり、その観戦記は、今日のテレビ番組のレポートやコメントのように広く消費された。こうした文学者たちの文章は、同年12月刊行の『東京オリンピック 文学者の見た世紀の祭典』(講談社、2014年同学芸文庫で復刊)にまとめられている。 今日改めてこのを読むと、われわれは失笑を禁じえないだろう。というのも、名だたる文学者たちが、あまりにもあっけなく次々に「転向」してしまうからである。 文学者たちは、もともとオリンピック開催に対して批判的ないしは無関心だった。その辛辣な言葉の数々を少し引いてみよう。 「私もかなり批判的だった。たかがスポーツ

    オリンピックの熱狂と「転向」する文学者たち 2020年われわれは冷静でいられるか - ジセダイ総研 | ジセダイ
  • ブログに書こうかと思って書かないでいたこと、としての東京オリンピックのエンブレム問題: 極東ブログ

    今年は気が付くとブログを書く量がぐっと減ってしまった。理由はいくつかある。個人的な理由が多い。それでも、これは書かねければいけないなという点は書いてきたようにも思う。「安保法制」など。しかしまあ、それはそれとして、ブログに書こうかと思って書かないでいたことも多かった。書いてもうんざりする事態になるだけじゃないかと予想がついてしまって、その時点でめげてしまう。その一つに東京オリンピックのエンブレム問題がある。 もう年末かあとも思うと、しかし、少し書いておきたい気にもなった。 要点のひとつは、こうだ。佐野研二郎氏による2020年東京オリンピックのエンブレムのデザインになんら問題はなかったではないか、ということだ。が、そういうとまさかと思う人が多いのではないかとも思う。 逆に、何が問題だったのだろうか? 盗作疑惑だろうか。そういう話題が多くあがっていたが、結果として、盗作の認定はされていなかった

  • 「世界に一つだけの花」以降の世界で - 横浜逍遙亭

    二冊続けてナチスのプロパガンダ、広い意味での広告宣伝に関わる話を読んで、自然と連想に誘われたのは末の息子が始めた高校野球。ブログに書くには季節はずれの感はあるけれど。 「甲子園に、恋をした」 「夢の甲子園に向けて」 大会を主催する新聞社は、これでもかと「甲子園」を連呼する。しかし、端で見ている子供たちの意識の射程は、当然のことながら新聞社のプロモーションとは一致していない。神奈川大会に出場した200校近い学校の生徒たち、ベンチ入りしただけで4千人に上る子供たち、スタンドにしか入れない、いわゆる「スタンドベンチ」の選手たちを入れたら一万人になるのかもしれない子供たちのうち、真剣に甲子園の大会出場を視野に入れていたのは一握りだろうと思う。以前も書いたことがあるが、子供の学校の監督は一回戦突破、子供たちは三回戦進出でシード校と対戦を目標にしていた。どの学校も、いわゆる強豪校と言われる学校をのぞ

    「世界に一つだけの花」以降の世界で - 横浜逍遙亭
    ushiwatat
    ushiwatat 2007/09/18
    |監督は一回戦突破、子供たちは三回戦進出でシード校と対戦を目標にしていた。どの学校も、いわゆる強豪校と言われる学校をのぞけば、そうした身の丈にあった目標をそれぞれが携えて大会に臨んだのだろう|
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