松平俊介(東龍) @matu2syun 「般若心経中国疑経説」にはいくつか難点があって、疑経の創作者といわれている玄奘三蔵以前のサンスクリット語原本が法隆寺にあること、インド人の注釈が付いていること、そもそも玄奘三蔵がそんなことをする動機が殆ど無いことなど、突っ込みどころが多すぎて泣ける 2013-03-23 00:29:52
Wikipedia の変遷に関する研究が英Guardianにて紹介されている (本家 /. 記事より) 。 Wikipedia は 2001 年 1 月に立ち上げられ、2006 年には 100 万記事を突破、そのすぐ 1 年後には 200 万記事を突破したとのこと。特に 2004 年ころから 2007 年にかけては爆発的な成長を見せたという。パロアルト研究所の Ed H Chi 氏率いる研究チームによると、今でも日々情報量は増え続けているが 2007 年には 1 日平均で 2,200 件あった新規記事が今日では 1,300 件に減っているとのこと。しかし新規記事の数は減ってもアクティブな編集者の数はほぼ横ばいできているそうだ。 しかし、研究チームによると Wikipedia が運営される形はその黎明期から大きく変化しているとのこと。黎明期には時間と労力がある人なら誰でもプロジェクトに貢献で
Encyclopedia Britannica社長のJorge Cauz氏はSydney Morning Heraldのインタビューで、同社百科事典のオンライン版であるBritannica.comへのユーザーによる編集や書き込みを間もなく可能にすると述べた。このシステムはまだ公開されていないが、Sydney Morning Heraldによると、近日中に公開される予定だという。 登録ユーザーは、Wikipediaにように、訂正を加えたり、全く新規の項目を百科事典のページに追加することができるようになる。しかし、大きな違いは、Britannica.comの編集および承認システムが、ヘビーユーザーの代わりに同社の編集者や契約スタッフによって管理されることである。Sydney Morning Heraldによると、Cauz氏はこれらの編集に対する(更新の)回転率を20分と見込んでいるという。しか
Wikiシステムの特長を生かすことに最も成功しているのが、言わずと知れたWikipediaだろう。日本語版は英語版、ドイツ語版について第三位の訪問者数を誇る。しかし、その日本語版Wikipediaに異変が起きている。 Wikipedia Statisticsによれば、日本語版WikipediaのWikipedian人口は2007年9月1123人を記録して以来急速に減少し、昨年末時点では390人となってしまった。記事数の増加は英語版が16万articlesまでほぼ指数関数的に増加してきたのに対して、日本語版は月刊の新着記事が毎月減少し、記事数は3万articles程度でほぼ頭打ちしている。現状でこの傾向が最も顕著なのは日本語版のようだ。 かつては、ニュース性の高い記事もそれなりに作られ、まさに紙の百科事典ではできない百科事典たりえたWikipediaだが、このままWikipedianが減って
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