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死生観と岩波書店に関するushiwatatのブックマーク (4)

  • 編集者・津田正の書評ブログ�:�『小津安二郎の反映画』吉田喜重著(岩波書店)

    →紀伊國屋書店で購入 「晴れたお彼岸には小津安二郎が観たい」 映画監督・吉田喜重による小津安二郎論である。初版1998年。いくつかの賞も獲った名著の誉れ高いである。しかし、名著という言葉から想像されるような、記述の古典的均整といったものからは程遠いでもある。分析は難渋し重複する。小津映画について語るには「小津さんらしい」という表現を使うしかないと吉田はしばしば告白し、しかし、それではいけないと再び分析と批評を展開する。進み、立ち止まり、そしてまた進む。対象にじりじり、ぎりぎりと迫っていく、その執念に圧倒されるだ。 書は、戦前の作品から最晩年の作品まで、小津の作品をほぼ網羅して論じているが、基的には、吉田が小津の代表作と見る『東京物語』を中心に論じたものである。これ以前の作品は『東京物語』へと至る準備段階として、一方、『東京物語』以降の作品はこの作品の「反復」、あるいはそこからの「

    編集者・津田正の書評ブログ�:�『小津安二郎の反映画』吉田喜重著(岩波書店)
    ushiwatat
    ushiwatat 2007/11/08
    |『東京物語』を中心に論じたもの| |、吉田は、こうした「事物の側に立って人間を眺める」映画、逆に言えば「人物の側に立って、事物を眺める」通常の映画の作法とは異なる小津の映画を「反映画」と名付ける|
  • 『ヒストリエ』 岩明均

    フェロモンボディのボディソープを買いました。  スリミング・セルライト対策のソルト系のボディソープとしてクチコミでも割と評価... 「美白フリークの愛用する6つの日焼け止め」で触れたイプサのプロテクター・デイシェルター・ブライトビジョンをまた買いました。 ...

    ushiwatat
    ushiwatat 2007/09/18
    |西洋近代思想においては「政教分離」が謳われ、信仰は内面化・私生活化されます。そのような近代の申し子として生まれながら、聖俗一致的イスラームを敢えて選択する、という逆説がイスラーム主義にはあります。|
  • 「きけわだつみのこえ」から聞こえてくる声 - G★RDIAS

    きけ わだつみのこえ―日戦没学生の手記 (岩波文庫) 作者: 日戦没学生記念会出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 1995/12/18メディア: 文庫購入: 3人 クリック: 43回この商品を含むブログ (55件) を見る 『新版・きけわだつみのこえ』は、95年に新しくテキストクリティークを施した新版である。不備の多かった戦後すぐの版に比べて、ずいぶんと原典に近づいているのだろう。学徒出陣で戦地に強制招集され、特攻隊などで死んでいった大学生たちの手記は壮絶だ。これを超える文学作品は多くない。 長谷川信の手記 歩兵の将校で長らく中支の作戦に転戦した方の話を聞く。 女の兵隊や、捕虜の殺し方、それはむごいとか残忍とかそんな言葉じゃ言い表わせないほどのものだ。 俺は航空隊に転科したことに、一つのほっとした安堵を感じる。つまるところは同じかもしれないが、直接に手をかけてそれを行なわなくてもよい

    「きけわだつみのこえ」から聞こえてくる声 - G★RDIAS
    ushiwatat
    ushiwatat 2007/04/29
    検閲になった部分はどうなったのだろう。>テキストクリティーク
  • シュライエルマッハーの生命論と「共鳴する死」 - G★RDIAS

    ちょいマイナーな神学者・哲学者のシュライエルマッハー(1768〜1834)の『独白』というが、岩波文庫より刊行されている。 独白 (岩波文庫) 作者: シュライエルマッハー,木場深定出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 1995/12/18メディア: 文庫購入: 1人 クリック: 17回この商品を含むブログ (10件) を見る その中より一節: 生命と未来とについて思い及ぶたびに常に無情にも附きまとうこの陰な念(おも)いよ! あるいは、友人は私にとって死にはしない、と言いうるのかもしれない。私は友人の生命を私のうちに受け容れる。友人が私の上に及ぼす影響は決して消滅することがない。けれども友人の死は私を殺してしまう。友情の生命はいわば美しい諧音の連続である。もし友人がこの世を去れば、共同の基音は絶えてしまう。もとより、内心にはその後に反響が長く続いて、音曲はなお熄(や)みはしない。けれど

    シュライエルマッハーの生命論と「共鳴する死」 - G★RDIAS
    ushiwatat
    ushiwatat 2007/04/02
    「二人のあいだの響き合いは、途絶えてしまう。それにともなって、友人の内部にあったはずの、響き合いの和音の片割れもまた、死滅してしまう。友人の死によって、生命はこのように断片化してしまうのである」
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