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ブックマーク / booklog.kinokuniya.co.jp (49)

  • 『てにをは辞典』小内一(三省堂) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「辞書には裏の顔がある」 すでに巷で話題のこの、思った以上にクセ者だった。 『てにをは辞典』などというと、何となくわかった気になる。たしかに日語の「てにをは」の使い方は難しいから、辞書くらいあったって悪くはない。自分は決して手に取らないかもしれないが、誰かが使うんだろう。棚の風景にもよく合いそうだし。 そして扉を開くと、やさしくにこやかな解説。こちらの誤解をやんわりと解きつつ、このは「結合語」を調べるための辞書なんです、というような説明がある。たとえば「規格」という語がある。これに「~する」とつなげたいのだけど、どういう言葉が合うんだっけ?と迷った経験のある人は多いだろう。この辞書を引くと、すかさず「~を画一化する」「~に合う」「~にあてはめる」「~に外れる」「~にはまる」といった用例が出てくる。この中から選べばいい。 なんだ、それだけか、と思う人もいるかもし

    『てにをは辞典』小内一(三省堂) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
  • 『グーテンベルクからグーグルへ ―文学テキストのデジタル化と編集文献学』 シリングスバーグ (慶應義塾大学出版会) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 昨年の出版界はGoogle Book Search問題で揺れに揺れた。11月になって公開書籍の範囲を英語圏に限定するという新和解案が出て一気に熱がさめたものの、それまでは黒船来襲もこうだったのではないかというほどの騒ぎで、たいして内容のない似たようなシンポジュウムや研究会があちこちで開かれた。 たまたまその渦中で出版されたのが書である。題名が題名だし、帯に「Googleショックの質を衝く必読書!」とあったのを真に受けて買った人がずいぶんいたようである。 しかし書はGoogle問題とは関係がない。書は『新しいカフカ』で紹介されていた編集文献学という新しい学問の日最初の翻訳である。Googleがやっているのは単に紙のを画像で公開し、出版社や書店に代わって購読料を徴収して著作権者に配るだけだが、著者のシリングスバーグが考えているのははるかに先のことである。作品

    『グーテンベルクからグーグルへ ―文学テキストのデジタル化と編集文献学』 シリングスバーグ (慶應義塾大学出版会) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
    ushiwatat
    ushiwatat 2010/03/07
    |作品本文の推敲の過程をWeb技術で再現し、同時代批評や関連作品、背景知識をリンクした統合学術(ナレッジ)サイトをどう構築するか||何が失われるか| また|ページ区切をどう表現するか|
  • 『漢字廃止で韓国に何が起きたか』 呉善花 (PHP新書) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 幕末から1980年代まで漢字廃止運動という妖怪が日を跋扈していた。戦前は「我が国語文章界が、依然支那の下にへたばり付いて居るとは情けない次第」(上田萬年)というアジア蔑視をともなう近代化ナショナリズムが、戦後は漢字が軍国主義を助長したという左翼の神話(実際は陸軍は漢字削減派だった)が運動のエネルギー源となり、実業界の資金援助を受けてさまざまな実験がおこなわれた(キーボードのJISカナ配列はその名残である)。 1946年に告示された1850字の漢字表が「当用」漢字表と呼ばれたのも、いきなり漢字を全廃すると混乱が起こるので「当面用いる」漢字を決めたということであって、あくまで漢字廃止の一段階にすぎなかった。 当用漢字表の実験によって漢字廃止が不可能だという認識が広まり、1965年に国語審議会は漢字仮名交じり文を認める決定をおこなったが、漢字廃止派はこの決定を正式の文書に

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  • 『読まず嫌い』千野帽子(角川書店) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 読み巧者は幼いころからの虫、と思っていたら、「児童文学に漂う『お子さんには山葵抜いときました』的な感じが気持ち悪くて」小学生時代は漫画以外のはほとんど読まなかったという著者が小説に目ざめたのは十三歳のとき、きっかけは筒井康隆だった。 この、ませているのか奥手であるのかわからぬ少年は、いったん読みはじめると「小説には自分が興味を持てない分野がいっぱいあること」と気づく。 ミステリが嫌い、SFが嫌い、時代小説が嫌い、歴史小説が嫌い、伝奇小説はブームがきたせいで傷、ファンタジーを読むなら映画のほうがいい、ライトノベルより漫画のほうがいい。さらには純文学、私小説・青春小説恋愛小説もだめ。「人生観を開陳されると、『文学臭が強い』と苦手に思って」しまう。「宮澤賢治、太宰治、サリンジャー。詩歌なら石川啄木も中原中也も、もう全部がアレルゲン」という「筋金入りの読まず嫌い」

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    ushiwatat
    ushiwatat 2009/10/31
    物語の面白さ/つまらなさを規定/発見するのは己自身である、ということ。
  • 「河出ブックス」創刊まで、あと1ヶ月。 - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    こんにちは。河出書房新社編集部の藤﨑と申します。 しばらくのあいだ、この書評空間にお邪魔することになりました。 どうぞよろしくお願いします。 さっそくですが、私ども河出書房新社では、10月10日、「河出ブックス」という新シリーズを創刊します! いまや新書ブームは飽和状態をきたしていると言われます。生き方やハウツー、タレント政治にまで裾野は広がりましたが(選択肢が広がったこと自体は悪いことではないと思います)、もう少し歯ごたえのあるものを読んでいきたいという読者の方も多いことでしょう。 読み捨てられてしまうが多いいまだからこそ、質を落としたり薄めたりせずに、しかし知的好奇心を刺激するテーマのたちをそろえることで、読者の知への渇望に応えたい――河出ブックスは、そのようなねらいを持ったシリーズです。 河出ブックスはジャンルを限定しません。多角的にをそろえることで、読者の「知りた

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    ushiwatat
    ushiwatat 2009/09/13
    石原千秋『読者はどこにいるのか』島田裕巳『教養としての日本宗教事件史』橋本健二『「格差」の戦後史』紅野謙介『検閲と文学』坂井克之『脳科学の真実』西澤泰彦『日本の植民地建築』
  • 『ブログ論壇の誕生』佐々木俊尚(文藝春秋) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「新しい論壇は、世代間対立の戦場になった」 ウエブの行方をウォッチングしているジャーナリスト、佐々木俊尚さんが、インターネットの世界に日々生成されている「ブログ論壇」について分析した一冊。いま日語のブログ執筆者は、英語圏のそれを超えている。それほど日人はブログ好きな人間が多いのである。公私ともに、日々、複数のブログを更新している者として見逃せない内容だ。 論壇とは何だろうか。一部の知識人が、老舗出版社が発行する一部の総合雑誌などにその意見を評論などの形で寄稿して生成させる言論の場のことだろう。このような言論空間には一般人は立ち寄ることができなかった。論壇を仕切る編集者もまた知識人でなければならず、一般人とは異なる物言いが期待されていた。 そうした閉鎖的な空間は、インターネットの普及によってその存在感がいっそう小さくなっている。 「ブログ論壇」が登場したからである。

    『ブログ論壇の誕生』佐々木俊尚(文藝春秋) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
    ushiwatat
    ushiwatat 2009/04/19
    |書き手と読み手は、もの悲しくなっていないのかな、というのが気になる。空虚にむかって、言葉をつむいでいる心象とはどういうものだろうか。||人生において論争すべきことなどそれほどおおくはない|
  • 『〈盗作〉の文学史』栗原裕一郎(新曜社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「盗作検証というタブーはこので消滅!?」 ある小説が盗作であると噂されたり、ニュースになることがあります。その多くはどういう決着になったのか報じられないまま、話題そのものが消えていきます。 文学業界のなかでは、盗作問題を徹底的に議論するということを避ける傾向があるのです。表現の自由を標榜している業界なのですが。 「文芸における盗作事件のデータをここまで揃えた書物は過去に例がなく、類書が絶無にちかいことだけは自信を持って断言できる」(栗原) と、著者は控えめに書いていますが、現時点では盗作資料として、第一級にして唯一無二の書籍である、と私が太鼓判を押します。 なにしろ、巻末のデータを含めても492ページの大著。それなのに、たいへん読みやすい。盗作問題に興味がない人でも、文学業界という一般人のうかがい知れない世界を「盗作」という切り口でたのしく探索できるように書かれてい

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    ushiwatat
    ushiwatat 2009/04/19
    目次( http://www.shin-yo-sha.co.jp/pdf/kurihara_0806.pdf )を見るかぎり、対象は日本近現代のようだ。裏側の日本文壇史、といったところだろうか。
  • 『1冊でわかるカフカ』 リッチー・ロバートソン (岩波書店) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 2004年に出版された最新のカフカ入門の邦訳である。 「最新」と断ったのには理由がある。カフカは80年以上前に亡くなっているが、1982年から旧来のブロート版全集とは相当異なる文を提供する批判版(白水社から刊行中の『カフカ小説全集』はこちらにもとづく)、1997年年からは手稿の写真版を提供するとともに「帳面丸写し主義」に徹した史的批判版という二つの新たな全集の刊行がはじまっている。伝記研究や当時のプラハの状況も解明が進んでいて、従来のカフカ神話の多くが訂正されている。最初の長編小説の題名が『アメリカ』から『失踪者』に変わったことでもわかるように、カフカ像は今なお揺れうごいているのである。 わたしは一昔前の知識しかもっていなかったので、書は驚きの連続だった。学生時代にカフカを読んだだけという人はぜひ書を読むべきだ。 カフカというと無名のまま死んだ孤立した作家という

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    ushiwatat
    ushiwatat 2008/12/06
    |伝記研究や当時のプラハの状況も解明が進んでいて、従来のカフカ神話の多くが訂正されている。カフカ像は今なお揺れうごいているのである。|
  • 『1冊でわかる文学理論』 ジョナサン・カラー (岩波書店) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 入門書として有名なオックスフォード大学出版局の Very Short Introductionsが岩波書店から「1冊でわかる」シリーズとして邦訳されている。 フランス産の文庫クセジュは良くも悪くも百科全書の伝統に棹さしており、とっつきにくい面があるが、こちらは英国産だけに読み物として気軽に読める。もちろん、気軽といっても、内容は格的である。訳文は読みやすいものもあれば読みにくいものもあるが、わたしが読んだ範囲では文庫クセジュの日版よりは概して読みやすいという印象を受けた。訳者もしくは斯界の第一人者による解説と文献案内がつくが、どれも中味が濃い。 好企画だと思うが、「1冊でわかる」という物欲しげな題名だけはいただけない。原著は Very Short Introduction だから、あくまで基礎づくりであり、その先があるのだ。「1冊でわかる」ではなく、「超短入門」と

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  • NPO法人 ALS/MNDサポートセンター さくら会・川口有美子の書評ブログ�:�『草食系男子の恋愛学』 森岡正博(メディアファクトリー)

    →紀伊國屋書店で購入 「暗い青春を送るあなたのために」 生命学の提唱者である森岡さんの著書をいくつか立て続けに読んだのは確か2000年ごろだったが、私は森岡さんが挑むのは生命倫理ではなくて、生命の哲学なのだとわかって嬉しかった。それは生命の良し悪しを論じるのではなくて、もっと身近に生命を感じるための領域の準備のような気がした。既存の学問より身近に感じたが、先生はひとり学際だという。だからなのか、どこか孤独な感じ、自分勝手な感じもした。 「自分を棚上げしない」という森岡さんの探求には、痛々しくみえるところがある。自虐的な感じもある。そこまであからさまにしなくてもというほど・・。それでも、そのような人だとわかると、かえって苛めたくなり、『無痛文明論』の酷評を書いて、自分のHPに貼り付けたりした。まだあの頃は(ここもそうだけれども)、公共の広場みたいな処で大胆なことはしていなかったが、「先生をピ

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    ushiwatat
    ushiwatat 2008/10/04
    原稿作りに携わった方の書評。
  • ジャーナリスト・石井政之の書評ブログ�:�『アーティスト症候群』大野左紀子(明治書院)

    →紀伊國屋書店で購入 「アーティストをやめた人間によるアーティスト論のおもしろさ」 約20年にわたってアーティスト活動をして、5年前にアーティストを廃業した、元アーティストによる「アーティスト論」である。 カタカナ職業の現実を知りたいという人は書を読むとよい。 カタカナ職業。 スタイリスト、フォトグラファー、ライター、デザイナー、クライマー、アクター、アクトレス・・・なんでもよい。 その職業、生き方を指し示すイメージがアート的であればなんでもよい。 普通でない何かをもった人間にしたできない仕事があり、それに取り組む資格が自分にはある、と信じている、信じたい人、そんな人は、このを読んで欲しい。 アーティストはえないのが常識。それでもえている人はいる。そのような人は破天荒な戦略と幸運、そしてバイタリティによって奇跡的にえている。たとえば村上隆である。村上隆はひとりで十分である。すべて

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  • 東京大学(英米文学)・阿部公彦の書評ブログ�:�『言語表現法講義』加藤典洋(岩波書店)

    →紀伊國屋書店で購入 「うざったさの批評」 批評の方法に関心があるという学生さんがやってきたら、筆者がまず推薦するのはこのである。 「表現法」の講義というのだから、表向きは文章を書くための教科書である。もちろん「スキマを生かせ」とか「ヨソから来るものを大事にせよ」といった、まごう方なき「コツ」も並んでいる。しかし、コツだけを求めて読んでいくと、たぶん、途中でへばってしまうだろう。著者がかなり気なのだ。決して難しいことは言わないし、予備知識もゼロでいい。でも、こちらが腰をいれていないと、それこそ、押し返されそうだ。 腰を入れる、とはどういうことか。たとえば冒頭、何かを教えようとか、大学らしい学問をしようという気持ちは捨てた、と著者は言う。そもそもみんな、文章を書くことがあまりに楽しくない、そこが問題だという。 皆さんは、なぜ文章を書くのが楽しくないのだと思いますか。僕はある時、その理由を

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  • 東京大学(英米文学)・阿部公彦の書評ブログ�:�『近代文化史入門』高山宏(講談社)

    →紀伊國屋書店で購入 「記念です」 ついに高山宏書評コーナー「読んで生き、書いて死ぬ」が終わってしまった。 内輪でやってると思われても何なので、あえて氏のを取り上げるのは避けてきたが、日の英文学を語るには避けられない巨人であることは間違いない。これでシリーズは終わりということだし、ちょうど良い機会。伝説的な『目の中の劇場』は品切れとのことなので、「超英文学講義」との副題のついた書を読んでみる。 さて。なぜ「超」なのか。なぜそれでも「英文学」なのか。この副題はたいへん意味深い。高山宏の最大の魅力は、「知」がおもしろいことを教えてくれることである。当たり前だと思うかもしれないが、意外に当たり前ではない。「知」というのは、それなりに修練をへたり、悩んだり、諦めたり、緊張したりする中から紡がれる人間の営為である。そう簡単におもしろがれるものではない。地味で、退屈で、難解なもの。偉そうで、縁遠

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    ushiwatat 2008/05/19
    |「もっとおもしろがれるはずだ」という、ほとんど理由なき「知的前向きさ」が感じられる。「もっとおしろがれるはずだ」とは、別の言い方をすれば、「もっとわかるはずだ」とか「もっと見えるはずだ」という精神|
  • 高山宏の読んで生き、書いて死ぬ�:�『Y氏の終わり』 スカーレット・トマス[著] 田中一江[訳] (早川書房)

    →紀伊國屋書店で購入 Y氏の終わりでT氏の終わり 「終わり」は珍しく小説で。 女主人公アリエル・マントは雑誌に科学哲学のコラムを書いているが、ソール・バーレム教授(小説『Y氏の終わり』の作者)のトマス・E・ルーマスに関する講演を聴きに行って、バーレムと話すうち、教授を指導教官として大学院で博士論文を書いてみることになる。ところが教授が失踪してしまうので、今や空っぽになった教授の部屋をアリエルが使っている。その部屋があるニュートン館なる研究棟がある日、崩壊する。というより、地下にあった鉄道トンネル跡の大穴に向かって落ち込んでいく。というところから話は始まる。 ニュートン館だ、ラッセル館だという名からして、一個の宇宙(universe)を一個の大学(university)に擬した、たとえば『やぎ少年ジャイルズ』(〈1〉・〈2〉)のような作かと思う。「大学が建てられたのは1960年代」。いわゆる

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    ushiwatat
    ushiwatat 2008/05/17
    このめくるめく書評シリーズもこれで一旦打ち止め。
  • ジャーナリスト・石井政之の書評ブログ�:�『世界をよくする簡単な100の方法』斎藤槙(講談社)

    →紀伊國屋書店で購入 「ひとりでポジティブに世界を変えていこう。」 前回、紹介した「生きるための経済学」では、いまの市場経済は「死に魅入られた経済」によって形成されており、そこから脱出するため「生を肯定する経済」に転換されるべきであると説かれていた。その全貌は、近い将来、著者の安冨歩によって学問的に明らかにされるだろう。 生を肯定するための経済は、すでに形をなして、現実の経済活動にインパクトを与えようとしている。 そのきざしを、一般向けの平易な言葉で、ひとつひとつたどったのが書「世界をよくする簡単な100の方法」。 安冨の「生きるための経済学」のあとに、書を読むと、「生を肯定する経済」は、死に魅入られた経済活動の隙間から止めることが出来ない勢いとして吹き上がっているように感じる。 著者の斎藤槙氏は、米国ロサンジェルス在住の社会貢献コンサルタント。日米の社会貢献活動に詳しい第一人者だ。

    ジャーナリスト・石井政之の書評ブログ�:�『世界をよくする簡単な100の方法』斎藤槙(講談社)
    ushiwatat
    ushiwatat 2008/04/29
    |著者の斎藤槙氏は、米国ロサンジェルス在住の社会貢献コンサルタント。日米の社会貢献活動に詳しい第一人者|
  • 高山宏の読んで生き、書いて死ぬ�:�『ニーチェ―ツァラトゥストラの謎』村井則夫(中公新書)

    →紀伊國屋書店で購入 中央公論新社にあの二宮隆洋が移ったことの意味 ツァラトゥストラは齢(よわい)30にして、故郷と故郷の湖をあとにして山に入った。ここで彼は、彼の精神と彼の孤独を楽しみ、10年間飽きることがなかった。 ニーチェの“Also sprach Zarathustra”(『ツァラトゥストラはこう語った』〈上〉・〈下〉)の出だしである。これが「哲学書」、それも哲学史上に燦然と輝く第一級の哲学書と言われている作と知らねば、この出だしは何かの物語、あるいは小説の冒頭かと思われるかもしれない。作り手のある精神的な状態が形になる時、ある場合には小説と呼ばれ、別のケースでは「哲学」と言われる、その境目はいったい何なのか、と考える。ジャンルが違うと言うが、ではそのジャンルとは何か、そもそもいつどのようにしてジャンル分けなるものが生まれたのか、“genre”の語源である”genus”の演じる何か

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  • ジャーナリスト・石井政之の書評ブログ 『生きるための経済学―<選択の自由>からの脱却』安冨歩(NHKブックス)

    →紀伊國屋書店で購入 「虐待された迷えるアダム・スミスの亡霊に市場経済は支配されている」 マイペースで経済の勉強をはじめて1年ほど経ったろうか。 そうしたら、昨年、サブプライムローン問題が顕在化して、世界経済が大混乱に陥った。優秀な頭脳をもった経済の専門家たちがとんでもないことをしてくれた。日でも、国会が日銀総裁を決定できないために空転した。すったもんだのあげくに決まった日銀総裁は迫力がない。福田総理は自信喪失した老人というイメージがすっかり定着している。これでは世界から舐められるだろうな、と思う。 著名経営者によるビジネス書も読んでみた。彼らの主張を整理すると、人並み以上に仕事をし、いつも感謝の気持を忘れないでいると、顧客のニーズがわかり、その満足を得るために働くと仕事は楽しくなる、と説く。ワーキングプアが増えている時代に不可解である。大衆をだますための創作話のようであるが、多くの人が

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  • 高山宏の読んで生き、書いて死ぬ�:�『都市の詩学―場所の記憶と徴候』田中純(東京大学出版会)

    →紀伊國屋書店で購入 エイデティック(直観像素質者)のみに書ける 人文科学はもはや過去のものという貧血病の負け歌、恨み節は何も今に始まったものではないが、大体済度しがたい語学オンチや無教養人とぼくが見ている連中に限ってそういうことを言っているので、気で聞かない。なに、人文科学はこの四半世紀、かつて見ない自由度と結実の豊穣を見、しかも昔なら何の関係がと思われていたディシプリンの境界あたりで他の知の領域と生産的に混じり合って何とも形容しようのない快と愉悦をうみつつある、ということをぼくなど、浅学の者なりにしたたかに予感し続け、そして現に今、天才田中純による一大スケールの新人文学マニフェストを見て、この予感が的中していたことを改めて心強く実感している。 例えば記憶術が面白いらしいといろいろ「紹介」しても、ハナで嗤われた。ヴンダーカンマーをやらないでどうすると主張しても、渋・種小僧の暇つぶしと

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  • ジャーナリスト・石井政之の書評ブログ�:�『若者を見殺しにする国』赤木智弘(双風舎)

    →紀伊國屋書店で購入 「ひとりの書き手の誕生を祝う」 赤木智弘という若い書き手の単行デビュー作である。デビュー前からネットで彼の紡ぎ出す言葉を何度か読んできた。podcastingラジオでその肉声も聞いた。彼が初めて商業雑誌『論座』に寄稿した『「丸山眞男」をひっぱたきたい--31歳、フリーター。希望は戦争。』は、論座を購入するタイミングを逸したために図書館でコピーして読んだ。フリーターという貧困層を出自とした、平凡な若者が論客として世に出ていくプロセスをリアルタイムで観察することができた。私は赤木とは面識はないが、すでに知っているかのような親近感を覚えている。インターネットというメディアの特性なのだろう。 単行では、論座では書ききれなかった、フリーター赤木のどろどろした主観が丁寧に整理されて書かれている。読みはじめて一気に引きこまれた。文章を書くための専門的なトレーニングを受けていない

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  • 高山宏の読んで生き、書いて死ぬ�:�『ミュージアムの思想』松宮秀治(白水社)

    →紀伊國屋書店で購入 美術館が攻撃的で暴力的だなんて感じたこと、ある? 現在、大新聞の文化欄の過半がミュージアム(美術館/博物館)の催事案内で埋まっている。落ち目と言われる人文方面でも、いわゆるミュゼオロジー、展示の方法論・社会学だけは、美術史を巻き込む形で、ひとり元気に見える。我々の文化がほとんど無自覚・無批判に「美術館」と「博物館」に分けて対峙させてしまった西欧的「ミュージアム」とは何か、コンパクトに通観した傑作を、日人が書いた。ミュージアムの歴史の中では典型的な非西欧後進国である日だからこそ、「コレクションの制度化」をうむ「西欧イデオロギー」をきちんと相対化できた、画期的な一冊である。 そういうである以上、キーワードが「帝国」であることはすぐ想像できるが、何となくというのではなく、「ミュージアムの思想」そのものがいわば「文化帝国主義」と同義であるという指摘と、我々がイメージする

    高山宏の読んで生き、書いて死ぬ�:�『ミュージアムの思想』松宮秀治(白水社)
    ushiwatat
    ushiwatat 2008/03/20
    松宮秀治『ミュージアムの思想』。高山宏脱帽の一冊とのこと。