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言葉と科学史・科学哲学に関するushiwatatのブックマーク (3)

  • 電撃かたつむり通信(仮) ノイラートの船

    ……科学のある部分だけを取り出してみれば、たしかにそれはオートノマスな発展をとげているようにみえる。そのようにせまく区切ったときに現われる自律的発展は、近代科学に来そなわった性格ともいえる。しかし、そういう個々の部分をはなれて、科学の全体を歴史的にみるなら、科学の全体として向かう方向、その前線の配置は、どうみても社会的条件によって規定されているのである。支配的な社会的要求、インセンティヴがどこにあるかによって、科学のさまざまな分野に向かう人、物、金の動きは強く影響される。 (廣重徹『科学の社会史』) 伊東乾の「常識の源流探訪」-「日にノーベル賞が来た理由 幻の物理学賞と坂田昌一・戸塚洋二の死」日経ビジネスオンライン 2008/10/10はちすのみ 2008/10/11「留学生との会話、日に来たノーベル賞、そして最近頭の中にあること」 今年のノーベル物理学賞・化学賞における日人受賞ラ

  • ほんと馬鹿 - 書評 - 科学的とはどういう意味か : 404 Blog Not Found

    2011年07月20日13:15 カテゴリ書評/画評/品評SciTech ほんと馬鹿 - 書評 - 科学的とはどういう意味か 科学的とはどういう意味か 森博嗣 編集部より献御礼。 ここ数年、いや今世紀に入ってから、これほど「そうだそのとおり」とうなづきながら読み進んだ一冊は他にない。 なのに、どうして?いや、だからこそ! そんな馬鹿な。 語源通りの意味で。 書「科学的とはどういう意味か」は、以下の主張を新書一冊分かけて展開したもの。 P. 186 科学は発展しすぎた、科学が環境を破壊し、人間は当の幸せを見失っているという指摘はよく聞かれるところである。しかし、この場合の「科学」とは、そのまま「社会」や「経済」と言い換えてもほぼ同じ意味であり、単に風刺的姿勢で、警告を発している気になっているだけの物言いである。言葉は何とでもいえる。しかし、言葉では何一つ解決しない。 よくぞ言ってくださ

    ほんと馬鹿 - 書評 - 科学的とはどういう意味か : 404 Blog Not Found
  • 坂のある非風景 : 信頼できる読みは、届きえぬ正しさについて語る

    ブログ「しあわせのかたち」から、文学とは何か?と、そのコメント欄から発生した次の記事、「学問」、「科学」という名の信仰という二つの記事をあわせて読んだ。 「正解」は「読者の数だけある」としながら、なぜ「つまらない読み方」と「面白い読み方」があるのか。ダメな読みは、何が基準となってそう断言されるのかといった問いが問われている。コメント欄に横滑りや展開があるのは「開かれたテクスト」ゆえである。 たとえば、「つまらない読み方」と「面白い読み方」(大野さん)、といった分節化は、一種の、断絶を理解しようとする方法だろうし、そこではまだコミュニケーションが信じられているようにみえる。でも「莫迦な読み」と「知的な読み」(瀧澤さん)という分割は、同じように断絶について語りながら、そんなコミュニケーションなんてないのだ、と語っているように読める。これはそんな断絶を抱えないという倫理的な表明にきこえる。 そう

    ushiwatat
    ushiwatat 2008/03/22
    |ブログ「しあわせのかたち」が信頼できるのは||語ることのできない正しさを、いかにして語らずに語るかといった方法がそこにあるからだった| 真善美を語る(というより示す)仕方について。
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