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音楽と武満徹に関するushiwatatのブックマーク (7)

  • イージーリスニングの虜、アーティストの麻薬 - ohnosakiko’s blog

    佐村河内騒動で考える:松浦晋也のL/D 例の「交響曲第1番」の感想、NHKの「お涙頂戴」番組作り、新垣隆氏の仕事など論じられていることが幾つかのテーマに渡る長いエントリだが、終わりの方に書かれていたことについて思ったことをメモ。 現代音楽の売れなさは、もう笑うしかないレベルで、CDが出てもスタンプ枚数は数百枚というのが当たり前だ(コミケかよ!)。私はその手のCDを数百枚持っているが、「これと同じCDを世界の何人が持っているのだろう」と盤面を眺めたりもする。 現代音楽だけでなくクラシック音楽も客入りに悩んでいるという話はよく聞く。クラシック音楽業界の窮状について拙書に書いたところより引用。 数年前、あるシンポジウムで音楽プロデューサーの平井洋さんとご一緒したことがあります。五嶋みどりをはじめ日を代表する音楽家のマネジメントやコンサートのプロデュースを、長年やってこられた方です。平井さんによ

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  • 坂本龍一を殺すな

    ―――坂龍一がサントリーホールでオーケストラと共演する華々しい日に愛をこめて。かつて、坂龍一は反体制が売りだった。新宿高校でバリケードを組み、全共闘のデモで警官と取っ組み合い、騒乱の景色をthatness and therenessと歌った。それが今や、反原発という旗印のもと、坂は権威となってしまった。かつて彼自身が唾棄すべきとした権力の側に成り下がったのである。極めつけは「たかが電気」発言である。「電気」と「いのち」などという原理的に比較不可能な概念を対置する、その思考回路は正常か? 「経済」とは来、経世済民。富を循環させて民の苦しみを救うことに義がある。その「経済」を蔑ろにする社会が「いのち」を守れるのか? これを妄言と呼ばずなんと言おう。そもそも言葉の人ではない坂にスピーチをさせた時点で間違っていた。「いのち」なんていうダサい言葉、村上龍なら選ばなかっただろう。まあ別に、

  • 賛美歌の中の天使たち - 月刊クラシック音楽探偵事務所

    むかし、ヨーロッパ留学していた学生時代の友人が久しぶりに帰国したので会ったとき、その第一声が「いいなあ、音楽が出来るやつは…」だった。 理工科系エンジニアとしての留学なので、音楽の素養など全然関係なさそうだが、ちょっと人が集まるパーティなどでは必ず「何か歌って」という話になる。特に、日から来たということになると「何か日の歌を聴かせて」という声が必ずあがるのだそうだ。 そこで、初めてポップス以外の日の歌をほとんど知らない自分に気付き、リクエストに応えて(日では一度も歌ったことのないような)「サクラ、サクラ」とか「五木の子守歌」とかをうろ覚えの怪しい歌詞で歌ったのだが、死ぬほど恥ずかしい思いをしたという。 それに対して、欧米系の学生は3〜4人集まるとすぐなにやらハモる歌が歌えるのだそうだ。それも、子供の頃から勉強一筋で音楽にも楽器にもまったく縁遠かったというような(彼と同じ側にしか思え

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  • ルンタ

    ushiwatat
    ushiwatat 2010/12/31
    |タルチョー(絹旗の祠 dar lcog)と呼ばれる、色とりどりの旗がかかげられている| |中心に馬の絵をおき四方に虎・獅子・ガルダ・龍を配したものを特にルンタ(風の馬 rlung rta)という。|
  • 風の峠

    ushiwatat
    ushiwatat 2010/12/31
    |風の峠。そこにはルンタ、「風の馬」が風になびいていた。/それにしてもチベットの空はとてつもなく青い。上空にいけばいくほど青さを増す。不思議な空だ。| 武満の「風の馬」。
  • 武満徹はなぜ特別なのか?#2(言葉編*1) - sekibang 1.0

    「音の魔術師」と呼ばれた作曲家はラヴェルだったが、武満徹は「言葉の魔術師」と呼ばれるべき作曲家かもしれない。「作品とタイトルは詩的な関係性を持たねばならない(ルネ・マグリット)」――この箴言を遵守するかのように、武満の作品が冠する名前はどれも詩的な響きを持っている。 彼のタイトルは、伝統的な作曲家のように「楽想、テンポ、形式を示すもの」としての機能を持たない。むしろ、そのような伝統を頑なに拒もうとするかのようにも思える(実際、彼の主要な作品のなかでそのように伝統的な命名がなされたものは、初期の《2つのレント》と《弦楽のためのレクイエム》ぐらいである。なお、《2つのレント》は後に《リタニ》(“連祷”の意)という曲に改訂された)。このような傾向は20世紀以降の作曲家が多く共有するところだから、そこまで珍しくない――しかし、後期ロマン派の交響詩や印象派から始まる“戦略”を日で最も上手く継承し、

    ushiwatat
    ushiwatat 2007/11/26
    武満の作品の名前が持つ詩的な響きについて、|後期ロマン派の交響詩や印象派から始まる“戦略”を日本で最も上手く継承し、実行したことに関して武満の右に出るものはいなかった|と。
  • 武満徹はなぜ特別なのか?#1(音楽編) - sekibang 1.0

    武満徹―その音楽地図 PHP新書 (339)posted with amazlet on 07.11.22小沼 純一 PHP研究所 (2005/03/16) 売り上げランキング: 127592 Amazon.co.jp で詳細を見る 「日の作曲家」と言われて、多くの人の頭に持ち上がってくる人物の名は「武満徹」という名前だと思う。これはたぶん世界的に考えても「日の作曲家=タケミツ」という図式は定着してしまっている。西洋音楽が日でも試みられたのは明治に入ってから……という歴史の浅さもあるけれど、このように「国を代表する作曲家」がバリバリの現代音楽の人だというのは他にあまり例がないような気がする(他に韓国のユン・イサンがいるか)。昨年はこの作曲家の死後10年だったため様々なが刊行されたり、イベントが催されていたけれど、今年が黛敏郎の死後10年なのに全くそういう話を聞かないままもう終わりに

    ushiwatat
    ushiwatat 2007/11/26
    |武満は現代音楽の人でありながら「ゲンダイオンガク」の枠組みからは少しズレた作品を書いていた|
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