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ブックマーク / muse-a-muse.seesaa.net (7)

  • ヤキニクヤケタカ?: muse-A-muse 2nd

    一つ前のエントリで「コリアン世界の旅」について触れたのでついでに。焼肉の話がおもしろかったのでメモ。「焼肉は日発」って話 正確に言うと「卓上焼肉が日発祥」ということらしい。背景にあるのは「無煙ロースター」の開発。焼肉屋にいくと天井からぶら下げてある例のアレだ。 いまではいろんな形があると思うんだけどもともとは日の「シンポ」という会社が開発したものらしい。以下、引用部は「コリアン世界の旅」より抜粋 焼肉をすると、当然のことながら煙が出る。かつて焼肉屋といえば、煙がもうもうと充満し、壁はすすと油でべたつき、店を出ても服や髪の毛の臭いがこびりついて離れない。白いワイシャツを着て焼肉屋には行けないと言われたものだった。そうした難点を、いまから十五年余り前にこの人が解消した。煙の出ない「無煙ロースター」の開発である。 これによって内装に白をつかえるようになったり、女性客が増えたりして焼肉屋のイ

    ushiwatat
    ushiwatat 2008/07/27
    焼肉文化と日本の戦後史。
  • 資本主義ってのは「自己責任」なんかじゃ済まされないシステムなんだけどね: muse-A-muse 2nd

    蜂っこからの質問(?)のようなものに応えてなかったなぁということでいちお。つっても、前のエントリでもいったようにワタシこの辺ど素人ですから、単なる自分的な思い込み+論証に過ぎませんよ?それでもよろしければ以下をご覧くらはい (※追記:長くて読みにくいのでいちお言外の前提とか文の主旨とか要約しとくと、「(自己責任論を唱える人は自分の行動の責任を自分がとれるということを前提に他者にもそれを要求しているように思うが)現代の日の社会システムにおいては知らない間に国家に依存したり市場に依存したりして誰もがもちつもたれつ的になってるので自己責任なんてのはできないんだよ」、って話です) sivad 資主義ってのは責任分散のシステムなんだけどね。 sivad つかまあ責任という概念自体がシステム上のモノか。 sivad そもそも株式ってのは起業家から株主への責任分散システム。「自己責任」どころじゃな

  • 「働いていない = 悪」なのか?: muse-A-muse 2nd

    ここのぶくま見てたら「ニート」って言葉が出てて直近でメモっときたいことがあったので軽く 「働かざる者うべからず」 - 忘れ去られるべき日々について はてなブックマーク - 「働かざる者うべからず」 - 忘れ去られるべき日々について 以下、ビッグイシューvol84の雨宮×宮対談から宮みち子さんの発言 (p16-17) (※太字は引用者によるもの) (オレ的にまとめると、「NEETという言葉は単に若者の不安定就労をさす言葉だったのに、日に入ってくる段階でナマケモノ的イメージがつけられてしまった」、という話) ニートという言葉は01年にイギリスでつくられた用語で、コネクションズという若者支援サービスが対象者を、13歳から19歳の「学校にも雇用にも職業訓練にも従事していない若者」と定め、それを「ニート」と呼んだのですが、その際対象としたのは、「不安定で、自活の困難な、社会から排除される可

    ushiwatat
    ushiwatat 2008/02/09
    |イギリスでビッグイシュー売ってるおっちゃん(グレアム・ウォーカーさん)の話|が興味深い。
  • オタク世代論と文化消費の変容 (「動物化するポストモダン」): muse-A-muse 2nd

    L'Arc~en~Ciel is the best japanese band in the world. 「面白い見方」をしていると思う あまり心を打つものがないというか、、、 「せっかく読んだしちょこちょこ言及することもあるかもしんないからいい加減これをまとめとかないとなぁ」とか思いつつうにうにしていたところたけくまさんのところに関連エントリが上がってたので端緒にしてしまおう。 たけくまメモ : オタクはいつから差別されていたのか? たけくまさんとこの話は「オタクって言葉ができる以前にオタク的な趣味を持つ人々は差別されていたか?(「オタク」って言葉が差別を助長したように思うけど)」みたいな内容。つか引用しとこう 俺がもともと考えていた仮説としては、 「おたく(オタク)という言葉は、1983年に中森明夫によって“差別用語”として作られた経緯があるが、当初それを使っていたのはもっぱらオタク

    ushiwatat
    ushiwatat 2008/02/01
    「オタク」の語法や物語消費としてのオタク文化、その細分化など。
  • 承認や理解を志向しないゆるいコミュニケーション: muse-A-muse 2nd

    ついったーで「承認や理解を志向しないゆるいコミュニケーション」についてつぶやいたらレスがあって意外だったのでもうちょっときちんとまとめておくことにする。 「相互承認」とか「相互理解」を特に志向しないゆるいコミュニケーションをどう名付けようかというのがちと課題。ゆるいネットワークってことだけどゆるすぎると「なんの意味があるんですか?」ってことになりげ http://favotter.matope.com/status.php?id=542661102 @marytan × @TERRAZIがコミュニケーションにおける理解可能性について話してるの見つつなんとなく思い出されたわけだけど、この話の元は先日の忘年会での社会学っことの話。 「最近なにしてんの?」ってことで最近の関心なんかを話しつつ流れで研究話。「機能集団的なグループからは離れたコミュニティにおける承認を中心としたゆるいコミュニケーショ

  • 「世間」と<世間>と「公共性」の間   (ネットはネガ・エントロピーを超える.....のか?): muse-A-muse 2nd

    予告どおり、先日の件から日のネットにおける「公共性」と「世間」について考えてみたいと思う。というか先にかかれちゃった感はあるんだけど、 声を上げ続けること、声を言葉に換えること - 地を這う難破船 まぁ、これも言いたいことの部分に過ぎないのでいいかなぁ、と。(ぼくの説明が分かりにくい人はリンク先の人のところに飛んで確認してくれるといいです。今回は面倒なのですっ飛ばして抽象度高めて記そうと思うので) 今回の件で個人的に思ったのは「世間」知と「公共性」的な正しさが相容れない情況があるのかなぁ、ということ。世間知というかこの世間も2つに分かれるように思うわけだけど。とりあえず「公共性」、<世間>、「世間」としておく。公共性は市民社会的な属性とリンク。 リンク先の文章でとりあえげられていた世間は<世間>とする。つまり<世間>に対する一般的なイメージとしての「空気嫁」的な同調圧力的な世間。んでリン

    ushiwatat
    ushiwatat 2007/11/27
    idiotapeさん、hashigotanさんの辺りで起きた騒動を公共性と世間という視点から読んでいる。後半では|「正しさ」への傾斜|(カスケード)と知的リソースの問題も指摘。
  • 「さらに弱いもの」がやさぐれ「弱いもの」を叩き「正しさ」の荒野が量産されていく: muse-A-muse 2nd

    この件にはあまり関わる気はなくて、てきとーについったーでつぶやくに留めてたんですが、hashigotanの様子も大丈夫そうだし、なんか違和感が残ってるのでエントリにまとめようかと思います。 まず最初にぼくの立ち位置なんですがどちらの味方というわけでもないです。かと言って「敵」というわけでもない。単なる傍観者なんですが、加えて言うなら「もうちょっと幸せな結末はなかったもんかなぁ」と思ってます。当事者についてはそんな感じなんですが外野については少し思うところがあります。ただ、これも批判とかバカにするとかそういうことではなく単純に、「もうちょっとうまくやれたんじゃないか?」、と思う程度です。「誰も悪くないのなぁ」と「もうちょっとうまくやれたんじゃないか?」っていうそういう気持ち。「誰が正しい」とか「偽善者」とかそういう優越感ゲームに加わるつもりはありません。 で、件のエントリなんですが、ちょうど

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