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2007年11月27日のブックマーク (6件)

  • 中国生活Myリミックス - 中国での生活を自分なりにエンジョイリミックス

    6月1日~中旬にかけてゆっくりとロックダウン解除していくととの大方の予想でしたが お上のひと言で6月1日から管理地域以外は自由に出入り出来、 外はまだだめのようですがテイクアウト持ち帰りは可の状況。 工場、企業も地域によって1部70%の従業員と言うような規制も あるらしいですが通常通り稼動営業しています。 ロックダウン下に有った多くの人にとっては突然の事で 6/1の通勤時はリハビリ的な慣らし運転の仕事をやる人が多かったと聞いています。 6/3は中国では端午の節句で休日なので 6/1、6/2の2日で休みに基は休みに入ったので 気持ちの切り替えもこの連休内にうまく出来るのではないでしょうか? ちなみに端午の節句にはちまきをべる習慣があります。 私の会社では6/1に全社員にちまきを配ってくれました。 中国では粽子と書きますが私もおいしく頂きました。 日と違って甘いものや栗入りのもの等色々

    中国生活Myリミックス - 中国での生活を自分なりにエンジョイリミックス
    ushiwatat
    ushiwatat 2007/11/27
    感覚的に使えるマッシュアップツールらしい。
  • 「世間」と<世間>と「公共性」の間   (ネットはネガ・エントロピーを超える.....のか?): muse-A-muse 2nd

    予告どおり、先日の件から日のネットにおける「公共性」と「世間」について考えてみたいと思う。というか先にかかれちゃった感はあるんだけど、 声を上げ続けること、声を言葉に換えること - 地を這う難破船 まぁ、これも言いたいことの部分に過ぎないのでいいかなぁ、と。(ぼくの説明が分かりにくい人はリンク先の人のところに飛んで確認してくれるといいです。今回は面倒なのですっ飛ばして抽象度高めて記そうと思うので) 今回の件で個人的に思ったのは「世間」知と「公共性」的な正しさが相容れない情況があるのかなぁ、ということ。世間知というかこの世間も2つに分かれるように思うわけだけど。とりあえず「公共性」、<世間>、「世間」としておく。公共性は市民社会的な属性とリンク。 リンク先の文章でとりあえげられていた世間は<世間>とする。つまり<世間>に対する一般的なイメージとしての「空気嫁」的な同調圧力的な世間。んでリン

    ushiwatat
    ushiwatat 2007/11/27
    idiotapeさん、hashigotanさんの辺りで起きた騒動を公共性と世間という視点から読んでいる。後半では|「正しさ」への傾斜|(カスケード)と知的リソースの問題も指摘。
  • 絶望の果てに - 雑種路線でいこう

    わたしはMiAUとは意見を異にしているが、白田氏や津田氏、八田氏といったMiAUの面々が著作権について深く勉強され、状況によっては建設的な提案のできる常識人であると信ずる。彼らがMiAUを通じて活動家に転じたのは、まさに岸氏が指摘するような「現行著作権法の抜改正がすぐにはできない」という絶望の中で、権利者の代弁をする論客は数多あれど、ネット利用者を代弁する論客はいないではないか、否ブログスフィアには数多いるのかも知れないが平場に出てきていないではないか、という問題意識からであろう。 彼らが絶望の上で利用者としてのポジショントークを意図的に演じている以上、彼らに権利者への「思いやり」を期待するのは筋違いだ。そして最終的に現行著作権法の抜改正、例えばフェアユースの導入による事前規制から事後紛争解決への転換を志向するにしても、諸外国をみても例がなく、新たな既得権益として制度改革を阻害する虞の

    絶望の果てに - 雑種路線でいこう
    ushiwatat
    ushiwatat 2007/11/27
    |ネットは便所の落書きとみる向きもあるが、単にロングテールが可視化されただけではないか| ふむ。/ビジネスモデルの固守は文化活動の維持を内包しないという指摘。/メディアとそれが届く人が創造を誘発する…?
  • 「自分」という壁、「ジャンル」という柵 - けんけんブログ

    屁理屈ですので、お好みでなければ通り過ぎて下さい。 クラシック音楽を中心に、との方針で綴っているブログですから、今回の標題のようなことも音楽をめぐって綴るしか能がありません。・・・これがまず、私が目の前にしている「自分の壁」であるかもしれません。当は、絵の話でも、劇の話でも、スポーツでも、釣りや料理の話でも何でもいい。だから、題材を置き換えてご一考頂けるなら、なお有り難いと存じます。 ポップでも演歌でもイケるよ、というかたには信じ難いことかもしれませんが、私は15の歳からアマチュアオーケストラの団員として活動していて、こんな経験をしたことがあります。 まずは、あるオーケストラでは、団員の半分以上が 「クラシックだけが最高の音楽。演歌? あんなもん、許せないよ」 そう明言したのを耳にしています。 あるいは、別のオーケストラで、演奏会の打ち上げにカラオケへ行こうということになったとき、 「え

    「自分」という壁、「ジャンル」という柵 - けんけんブログ
    ushiwatat
    ushiwatat 2007/11/27
    |クラシックのコンサートのあり方が時代と共に変わって来たように、ポップやジャズもまた、この先、どのようにあり方を変えていくのかは、分かりません。| 音楽が共感され消費されるあり方の様々について。
  • Browsing Rainmeter on deviantART

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    ushiwatat
    ushiwatat 2007/11/27
    via < http://japan.cnet.com/column/rwweb/story/0,2000090739,20361584,00.htm > |古くからエリートデジタルアーティストが集まる場所で、ここにアカウントを持っている写真家の多くは才能をにじませている|
  • 様々な記事を「はてブコメントを書く為に読む」と理解力が高まるメソッド。 - IT戦記

    「何かを書くために読む。 or 読んだらちゃんと要約を残すようにする。」 これはすごく良いメソッドだと思う。 読む直前に「この記事の要約を(自分の為に)書こう」と思って読んだ記事は、ものすごく理解できている。 理解してないと要約なんて書けないから、頑張って理解しようとするから。

    様々な記事を「はてブコメントを書く為に読む」と理解力が高まるメソッド。 - IT戦記
    ushiwatat
    ushiwatat 2007/11/27
    SBMがコミュニケーションを生み、それが自走する(または規範化する)例としてこのエントリ自体を考えられそう。/エントリへの分類・評価はタグでも一定度可能(またある種の文章に要約は暴力でありうることも)。