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ブックマーク / swingbooks.jp (5)

  • 桃岩荘と参加体験型

    礼文島を歩いたときの記録を「さんぽのしっぽ」にて公開した。 ところで、この記事を書きながら、つらつら考えたのが、桃岩荘のこと。 桃岩荘には、ぼくは二十数年前に一度泊まったことがある。そのときは、礼文島の西海岸を縦断する「愛とロマンの八時間コース」を歩き、連泊した。今回は泊まらなかったし、そもそも8月の大雨の影響で休業中だった。入口のところからながめてきただけである。 桃岩荘がいま有名なのは、ここが、1970年代的なユースホステルを動態保存した文化遺産のようなところであるからだ。適切な言い方でないかもしれないが「キワモノ」「怖いもの見たさ」というような位置づけであろうか。ヘルパー(スタッフ)が宿泊客と一緒にうたったり踊ったりすることをとおし、独自の「世界」を構築・維持している。 宿泊客はほとんど否応なくそこに巻きこまれてゆく。最初は嫌々でも、気がつくと一緒に手拍子をうち、「落葉」や「遠い世界

    桃岩荘と参加体験型
    ushiwatat
    ushiwatat 2014/10/25
    |桃岩荘がいま有名なのは、ここが、1970年代的なユースホステルを動態保存した文化遺産のようなところであるからだ。適切な言い方でないかもしれないが「キワモノ」「怖いもの見たさ」というような位置づけ|
  • ディズニー音マップ調査

    ディズニーランドへまた調査にいってきた。今回の主題は「音」。初めての試みである。 詳しい説明は割愛するが、午前中に園内をひととおり歩いて調査地点を決め、午後は複数のチームにわかれ、それぞれの担当エリア内の調査地点で実際に調査をおこなった。調査計画の立案や方法の案出はゼミ生たちが、実験や予行を重ねながら準備した。ぼくも一調査員としてそれにくわわった。 各調査地点では、15分間の調査時間のあいだ、音を録音すると同時に、その間どんな音が聞こえてきたかを用紙に記録しなければならない。ぼくは後者の、記録係を担当した。 実際にやってみると、きわめてしんどい作業だった。15分間の調査の3目には、早くも集中力が減衰しているのが実感された。しかし調査計画によれば、これを16実施すなければならない。つまり、単純積算で4時間である。それだけの時間、あのディズニーの空間でひたすら聴覚だけに集中しているのは、じ

    ディズニー音マップ調査
  • 名もなき者たち

    「ベンヤミンのポルボウを歩く」全4篇を、ようやくすべてアップすることができた。執筆には、おもいのほか時間がかかってしまった。理由は、調べものに少々手間どったからだ。引用の出典の確認である。 ポルボウにあるダニ・カラヴァンの作品「パサージュ──ベンヤミンへのオマージュ」には、ベンヤミンの『歴史の概念について』からとして、日語であらわせばつぎのような文章が引用されている。 名もなき者たちの記憶に敬意を表することは、有名な者たちや誉め称えられた者たちの記憶に敬意を表するよりもずっと難しい。歴史的な構築は、名もなき者たちの記憶に捧げられているのだ。 現地でこれを見たとき、ちょっと不思議に感じられた。というのも、このフレーズに覚えがなかったからだ。 たんに、ぼくが忘れていただけかもしれない。じぶんの記憶力にはほとんど自信をもっていないので、帰国してから確認しようとおもった。 ところが、帰国後に実際

    名もなき者たち
    ushiwatat
    ushiwatat 2014/09/03
    |名もなき者たちの記憶に敬意を表することは、有名な者たちや誉め称えられた者たちの記憶に敬意を表するよりもずっと難しい。歴史的な構築は、名もなき者たちの記憶に捧げられているのだ。 |
  • ピレネーとベンヤミンの墓標

    ポルボウへ行ってきた。ベンヤミンのお墓参りのためである。 ベンヤミンのお墓は、街はずれの丘の上、海をのぞむ共同墓地のなかにあった。 自然石をつかった墓標がたっている。ベンヤミンのお墓だ。ケルンのように、小石が積みあげられていた。 ただし、ここにあるのは墓標だけだ。ベンヤミンの遺骸が埋められているわけではない。 もともとベンヤミンのお墓は、別の場所にあった。 ここの共同墓地は、集合住宅のような恰好をしている。一画ごとに棺が収められ、区画ごとに番号が振られている。その563番に、かつてベンヤミンの遺骸は収められていた。 写真にあるとおり、しかし、いまは別人が眠っている。 共同墓地の前には、イスラエルの彫刻家ダニ・カラヴァンによる作品「パサージュ ヴァルター・ベンヤミンへのオマージュ」がある。 丘の上から東を望むと、眼下にポルボウのちいさな街と長大な駅舎、そしてピレネーの山々が見える。 そのピレ

    ピレネーとベンヤミンの墓標
  • 千年の樹

    雪降る東京駅から特急踊り子で伊豆へ出かけた。情報デザインのデザイナー・研究者たちとの、ごく小さな集まりに参加するためだ。修善寺からバスに揺られて湯ヶ島に着いた。雪は止んでいたが、宿から見下ろす家々の屋根は白かった。 翌朝はきれいに晴れた。再びバスに乗り、伊豆半島の脊梁を南下する。新天城トンネルを過ぎて南斜面をくだりはじめると、それまで路肩や山肌に積もっていた雪はすっかり姿を消した。 バスはとことこ走り、1時間で河津駅前に到着した。光る海のすぐ先に大島が浮かぶ。三原山は白く薄化粧していた。駅から北へ15分ほど歩く。来宮神社というところに、樹齢千年という楠の大木があるらしい。境内入口の鳥居の脇に、さっそく立派な楠があった。もともとの主幹が洞となり、そのまわりから四方に太い幹が伸びていた。「さすが樹齢千年だね」とぼくたちは言いあった。 参拝を済ませて立ち去ろうとすると、同行のひとりが大きな声でよ

    千年の樹
    ushiwatat
    ushiwatat 2008/02/02
    伊豆河津の来宮神社の御神木について。|樹齢千年の楠は、こちらのほうだった。異形の樹だった。いかなる自然物や人工物とも、同じ範疇に入れられることを拒絶していた。|
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