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webシステムと場所論に関するushiwatatのブックマーク (3)

  • インターネットについて - 哲学的考察 - 雑記帳

    身体性という言葉を見かけたので、それに言及したについて2003年7月26日に作成した読書録をリサイクル。再読する余裕が今はないので、とりあえずそのままのかたちで残しておく。今読んだら感想もだいぶ変わるのだろうな……。 序論 ドレイファスのこのでの一貫した見方は、「身体性」という言葉に要約できる。 私は哲学者なので、インターネットの具体的な使用法の良し悪しを論じる立場にはない。私の問いはもっと思弁的な、次のような問いである。もしネットがわれわれの生活の中心となったとしたら、つまり、ハーバード大学ケネディ・スクール学長のジョセフ・ナイが「魅力的な新たな文化」と呼ぶものが実現するとしたら、どうなるのだろうか。生活のかなりの部分をサイバースペースで送るようになるにつれて、われわれは、人間を超えることになるのだろうか、それとも人間以下になるのだろうか。 これらの問いを考える際、次のような可能性が

    インターネットについて - 哲学的考察 - 雑記帳
    ushiwatat
    ushiwatat 2008/03/16
    via http://d.hatena.ne.jp/amourix/20080310/1205129032 / ドレイファス『インターネットについて』。|「電子のアゴラ」は||匿名でどこにも存在しない人々のための、どこにも存在しない場所|
  • 23歳だった - 雑種路線でいこう

    最近ちょっぴり忙しい.まあ,ちょっとぐらい忙しい方が普通だし,当に忙しいひとからみればユルいことこの上ないのだが. 何というか不慣れな仕事が多い.ルーティン化した仕事には飽きてしまうんで,それなりのsomething newがあるのはまあいいのだが,あんまりcreativeでもなくて,そのギョーカイのルールみたいのを学ばなきゃならん仕事が多くって,それぞれの領域にヌシみたいなひとがいると,俺がこの世界に足を踏み入れても埋もれてしまうだけじゃないかとか不安になる.見回すとひとまわり上のひとさえいなくて,二回りとか三回り上の人々から色々と教わる訳だ.なんか前職以上に若造してるよな,と. よく分かったのは政治的な世界というのは,まあメタ的には結局のところ政治的なんだけど,ベタには手続きに従って粛々と民主的に回っているんだろうな,ということだ.手続きに通じていればゴリ押ししなくとも名を捨てて実を

    23歳だった - 雑種路線でいこう
    ushiwatat
    ushiwatat 2007/09/18
    うーむ。最後には希望も見えるが…。|けれどもそれは,影響力を持たないことと引き替えに得た束の間の非武装地帯なのであって,この言論が世界と噛み合い始めた途端,楽園追放の物語が始まるのだろうか.|
  • WIRED VISION / 濱野智史の「情報環境研究ノート」 / 第15回 セカンドライフの「わかりやすさ」について考える(3)

    第15回 セカンドライフの「わかりやすさ」について考える(3) 2007年9月 6日 ITメディア コメント: トラックバック (0) ――セカンドライフ考察編(11) 【最終回】 (15-1)から続く ■15-2. セカンドライフという「失われた隠喩」の再来――「サイバースペース」はなぜそう呼ばれなくなったのか さて、いささか抽象的な話が長くなってしまいましたが、ここで少し歴史的経緯を振り返っておけば、インターネットが一般社会に浸透していくに従って、この10年の間に、いわゆる「サイバースペース」的な《空間性》のイメージはむしろ衰退し、ブログやSNSの隆盛に見られるように、《関係性》のイメージが前景化してきたということができるでしょう。東氏がおよそ10年前に「サイバースペースはなぜそう呼ばれるか」と書いてから以降、実際のところインターネットが「サイバースペース」と呼ばれることは少なくなった

    ushiwatat
    ushiwatat 2007/09/18
    ネットを空間になぞらえる表現の衰退と、エントリタイトルの件について。|「サイバースペースはなぜそう呼ばれなくなったのか」という問いのほうが、この10年のインターネットの歴史を社会学的に考えていく上では重要
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