「手塚治虫的」であることから離れればもっと活用法は広がる 『ぱいどん』のプロジェクトが扱っていたのは、機械(道具)と人間がいかに共同作業をするか、得意分野を分担するかという普遍的な問題の最新型だ。道具を作る側の科学者や技術者は整った「それっぽいもの」を好むが、道具を使う側のクリエイターは「どう転ぶかわからないもの」を好む。この違いを「作る側」に認識させたことに意義がある。 これまでAI研究者やAI技術を利用したサービスの開発者は「馴染む」「違和感を抱かせない」こと、日常生活や仕事に「溶け込む」ことを重視してきた。ところがそういうものと創作アシストAIとでは、異なるアウトプットを目的に作られなければいけない。それをAI技術の研究開発サイドに認識させたことが重要な成果だ。 したがって、この先のことを考えると、実は「手塚治虫に近づける」という点が本当に必要かどうかは微妙なところだ。特定の存在に近
![AI手塚治虫『ぱいどん』はコンテンツ産業にとってどんな意義があった? クリエイターがAIに求めたこと](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/1bb3997a517fb780016de4039df2c32098e7b618/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Frealsound.jp%2Fwp-content%2Fuploads%2F2020%2F08%2F20200807-paidon-e1596683243733.jpg)