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アラブの春と中東に関するvaivieのブックマーク (5)

  • 中東で民主主義が定着しない「本当の理由」~イスラームをめぐる2つの問題について(末近 浩太) @gendai_biz

    文/末近浩太(立命館大学教授) 「不自由」な中東諸国 冷戦の終結から四半世紀、湾岸危機・戦争(1990-91年)、9.11事件とその後の「対テロ戦争」(2001年〜)、イラク戦争(2003年)、そして、「アラブの春」と「イスラーム国(IS)」の台頭(2011年〜)と、中東は世界で最も不安定な地域の1つであり続けてきた。 中東の安定化のためには何が必要なのか。その鍵として繰り返し語られてきたのが、「民主化」である。 たとえば、よく知られているのが、米国ジョージ・W・ブッシュ政権下の2002年12月に打ち出された、中東の市場経済化と民主化のための「米国・中東パートナーシップ・イニシャティヴ」である。 日政府も、国際社会と歩調を合わせるかたちで、「公正な政治・行政運営」、「人づくり」、「雇用促進・産業育成」を三柱とする中東の「民主化支援」を推し進めている(参考:外務省サイト内「『アラブの春』

    中東で民主主義が定着しない「本当の理由」~イスラームをめぐる2つの問題について(末近 浩太) @gendai_biz
  • 「アラブの春」とは何だったのか?〜革命の希望はこうして「絶望」に変わった(末近 浩太) | 現代ビジネス | 講談社(1/5)

    「アラブの春」とは何だったのか?〜革命の希望はこうして「絶望」に変わった あれから5年、メルトダウンする中東 文/末近浩太(立命館大学教授) あの熱狂から5年が経った。 2011年の中東における非暴力の市民による民主化運動「アラブの春」。長年にわたって続いてきた独裁政権がドミノのように次々に倒れていく様子は、世界史に残る大事件として、また、市民が政治の主役となる新時代の到来を告げるものとして歓迎された。世界にとって、中東は希望の象徴となった。 ところが、それから5年。中東は今、未曾有の混乱のなかにある。民主化の停滞はもとより、独裁政治の復活や内戦の勃発、そして、「イスラーム国(IS)」の出現と、中東の状況は「春」以前よりも確実に悪くなっている。 独裁、内戦、テロは、中東にとって何も目新しいものではない、との見方もあるだろう。だが、今日の中東の混乱は、これまで経験したことのないようなスケール

    「アラブの春」とは何だったのか?〜革命の希望はこうして「絶望」に変わった(末近 浩太) | 現代ビジネス | 講談社(1/5)
  • 強権の崩壊は大卒失業者の反乱で始まった【アラブの春5周年(上)】

    2011年2月11日夕、ムバラク大統領の辞任が発表され、カイロのタハリール広場で喝采を上げる若者たち=川上泰徳撮影 民主化への期待から混乱へ 「アラブの春」から5年が経過した。2011年2月11日はエジプトでムバラク大統領の辞任が発表された日であり、1月25日にデモが始まって18日目だった。当時、私は毎日のように広場に通って取材をしていた。辞任が発表された時、私はちょうどタハリール広場を離れたところだったが、すぐに広場に戻って、群衆から喝采が上がっているのを見た。大学で中国語を勉強しているという学生が「私は大学を卒業したら中国や日、欧米に行くことばかり考えてきた。いま初めてエジプトに残って、この国のために働こうと考えている」と語ったのを覚えている。 「アラブの春」を思い出すたびに、あの大学生の言葉を思い出す。あれから5年たって、中東はとどまることを知らない混乱の中にある。エジプトでもムバ

    強権の崩壊は大卒失業者の反乱で始まった【アラブの春5周年(上)】
  • イスラム国は「アラブの春」の続きである【アラブの春5周年(下)】

    エジプトでは「アラブの春」後、穏健派イスラム組織「ムスリム同胞団」出身のムルシ大統領が誕生したが、就任から1年でクーデターが発生。中東民主化の期待は潰え、ムルシは2015年に死刑判決を受けた(赤い囚人服を着たムルシ、2015年6月撮影) Amr Abdallah Dalsh-REUTERS ※【アラブの春5周年(上)】強権の崩壊は大卒失業者の反乱で始まった ※【アラブの春5周年(中)】若者の未熟さと「イスラム復興」の契機 ムスリム同胞団の政治的な誤りは 「アラブの春」が混乱の中に沈んだことを考える時、一時はエジプト政治の主役となった穏健派イスラム組織のムスリム同胞団の責任は重いと言わざるを得ない。同胞団がつくった自由公正党はエジプト革命後に行われた議会選挙で第1党になり、その翌年の大統領選挙の決選投票でも同胞団幹部だったムルシ氏が軍出身候補を破って、大統領になった。 同胞団の組織票は、いく

    イスラム国は「アラブの春」の続きである【アラブの春5周年(下)】
  • [5]「アラブの春」からつながる「イスラム国」 - 川上泰徳|論座アーカイブ

    背後にある公安警察のかげ 「アラブの春」でのサラフィー主義の台頭には、不可解なことが多い。 若者たちにサラフィー主義が広がったのは、政治的な経験や知識の蓄積のない若者たちの前でいきなり政治の季節が開いた時に、「イスラムの実現」が解決策のように思えたということだ。 しかし、選挙の経験もないサラフィー主義者が、自由選挙で25%の議席をとるような組織力を持ったのはどうしてなのかは、簡単には説明できなかった。 2012年11月にサラフィー主義について取材している時に、エジプトを代表する人権運動家であるエジプト人権機構の事務局長ハーフィズ・アブサーダ弁護士が、サラフィー主義と公安警察との関係を指摘した。 アブサーダ弁護士はこう語った。 「サラフィー勢力は革命前から存在し、政府や公安警察と協力し、イスラム教の宣伝活動やメッカ巡礼の旅行業務を行い、大きな利益を得ていた。革命中や革命の後も、サラフィー勢力

    [5]「アラブの春」からつながる「イスラム国」 - 川上泰徳|論座アーカイブ
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