翻訳者として日本文学とイタリア文学の架け橋となり、初めて書いたエッセイは見事ふたつの文学賞を受賞。そのとき、日本が誇る名エッセイスト・須賀敦子さんは61歳でした。彼女の生き様を、漫画家・ヤマザキマリさんが辿ります。 この都心の小さな本屋と、やがて結婚して住むことになったムジェッロ街六番の家を軸にして、私のミラノは、狭く、やや長く、臆病に広がっていった。 ~『コルシア書店の仲間たち』~ 1953年、24歳だった敦子は、比較文学の研究の為に神戸港を発ってパリへ渡り、パリ大学に入学するも、フランスの空気や言葉に馴染むことができず、留学を続ける自信を失いかける。しかしその間に旅行で訪れたイタリアの古都に強く惹かれて、フランスからいったん帰国した後に今度はこの国へ向かうのである。 イタリアにはカトリックの総本山・バチカン市国があり、カトリックの人口は国民全体の9割に当たる。カトリックに改宗し、カトリ