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ブックマーク / www.doi-toshikuni.net (10)

  • 土井敏邦Webコラム:日々の雑感 342:「難民」が浮き彫りにする日本とドイツの差

    2015年9月11日(金) いま、毎日何万人という難民が、シリアなど中東からヨーロッパに押し寄せている。小さなゴムボートにすし詰めになって命がけで海を渡り、空腹と疲労に必死に耐え、荷物と幼子を抱えて徒歩で、またはバスや列車でひたすらドイツをめざす。連日、欧米メディアのトップニュースとして映し出される難民の群集を見るのは辛い。「べ物はどうしているのだろうか」「排泄はどこで、どう済ませているのだろうか」「もう何日も身体を洗えない苦しさにどう耐えているのだろうか」「もう寒くなっているはずの欧州の夜、どこで、どうやって寝ているだろうか」「この過酷な環境に耐えられず、衰弱し病いに倒れる赤ん坊や幼子たちに親はどう対処しているのだろうか」……。 もし自分が戦渦の中で暮らさざるを得ないシリア人だったら、私はどういう選択をするだろうか。アサド政権の軍隊による無差別攻撃、IS(イスラム国)の攻撃と恐怖統治の

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  • 土井敏邦Webコラム:【報告】ガザは今どうなっているのか ガザ攻撃1周年・映画とシンポジウムの集い

    ツイート 2015年7月25日(土) 「ガザは今どうなっているのか ガザ攻撃1周年・映画とシンポジウムの集い」(2015年7月20日)に、たくさんの方に参加していただけました。協力してくださったみなさまに心から感謝します。 イベントの全編を記録した映像(映画上映部分以外)と、当日上映したラジ・スラーニ氏によるコメント映像を公開します。 ■ラジ・スラーニ氏コメント

    土井敏邦Webコラム:【報告】ガザは今どうなっているのか ガザ攻撃1周年・映画とシンポジウムの集い
  • 土井敏邦Webコラム:日々の雑感 337:なぜ今、元「慰安婦」の記録映画なのか【後編】“加害”を語れない日本の中で抵抗(映画『“記憶”と生きる』)

    日々の雑感 337: なぜ今、元「慰安婦」の記録映画なのか 【後編】“加害”を語れない日の中で抵抗 (映画『“記憶”と生きる』) →【前編】映画『“記憶”と生きる』が出来るまで ツイート 2015年5月25日(月) 被害国の表現者たちのたたかい 私が映画『“記憶”と生きる』の制作を決意するもう1つのきっかけがあった。2012年6月、中国に残された朝鮮人「日軍慰安婦」を撮った韓国人写真家・安世鴻(アン・セホン)氏の写真展が、主催の新宿ニコンサロン側から突然、中止を告げられた事件である。納得できない安世鴻氏は東京地裁に開催を求める仮処分申請を申請し、なんとか写真展は実現できた。しかし彼はニコン側の中止理由を明らかにし、表現の自由の侵害を問うために東京地裁に提訴した。その裁判は3年を経た今も続いている。 安世鴻氏は中国に残された朝鮮人「日軍慰安婦」を撮る思いをこう表現している。 2001年

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  • 土井敏邦Webコラム:日々の雑感 336:なぜ今、元「慰安婦」の記録映画なのか【前編】映画『“記憶”と生きる』が出来るまで

    日々の雑感 336: なぜ今、元「慰安婦」の記録映画なのか 【前編】映画『“記憶”と生きる』が出来るまで ツイート 2014年5月20日(水) この夏、私は韓国の元「慰安婦」たちを描いたドキュメンタリー映画『“記憶”と生きる』を公開する。3時間30分の長編である。撮影から20年、翻訳に1年、編集に1年、長い歳月を経て、戦後70年目の今年やっと世に出すことになった。 長年、“パレスチナ”を伝え続けてきた私が、なぜ元「慰安婦」の映画なのか、といぶかる人もいるだろう。 それは広島のある被爆者との会話から始まった。学生時代から20年ほど交流を続けていた被曝者・富永初子さんは、被爆者という“被害者”という立場を越えて、アジア民衆に対する加害国の国民だという“加害者”としての視点を持つ、広島の中でも特異な被爆者だった。その富永さんが、日の植民地政策と戦争の被害者である元「慰安婦」たちに会いたいと言っ

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  • 土井敏邦Webコラム:日々の雑感 332:古賀茂明氏の“孤高の闘い”が突きつけるもの

    ツイート 2015年4月1日(水) (写真:報道ステーション2015年3月27日) テレビのドラマやバラエティー番組はほとんど見ない私だが、ドキュメンタリー番組や報道番組はできる限り観るようにしている。ジャーナリスト・ドキュメンタリストという職業柄、情報源として不可欠だし、自分のドキュメンタリー番組や映画を制作のために、その視点や製作技術を学ぶためである。 報道番組の中でも、TBSの「報道特集」とテレビ朝日の「報道ステーション」は、予約録画して見逃さないようにしてきた。両番組がジャーナリズムの原点である“権力の監視と批判”の姿勢をきちんと死守していると思ってきたからである。 「報道ステーション」の“権力の監視と批判”の姿勢は、ほぼ同じ時間帯の「ニュースウォッチ9」とそのメインキャスターだった大越健介氏の“政権の代弁者”かと見紛うような報道姿勢と比較すると一層際立って見えた。そのことをこのコ

    土井敏邦Webコラム:日々の雑感 332:古賀茂明氏の“孤高の闘い”が突きつけるもの
    vaivie
    vaivie 2015/04/03
    「現政権の強権政治によって今、日本のジャーナリズム、そして日本という国全体が危機的な状況に追い込まれているその現実を私たちの眼の前に突きつけるための、古賀氏の止むに止まれぬ、捨て身の行動だった…」
  • 土井敏邦Webコラム:日々の雑感 330:フクシマの新作ドキュメンタリー映画の制作

    ツイート 2015年3月16日(月) 「東日大震災の記念日3月11日は現地で迎えたい」と震災や原発事故の現場に向かうようになって、今年で4回目になる。最初の2回は、津波の被害で200人を超える犠牲者が出た仙台市の荒浜(あらはま)で迎えた。当時、荒浜地区に災害ボランティアとしてやってきた若者たちを追っていた。そして3回目は福島の集会とデモを取材し、今年も福島市内での女性たちの集会を取材しようと、11日の早朝4時、暗闇の中、車で横浜の自宅を出た。順調に行けば、途中で1時間ほどの休息を取っても午前10時半から始まるその集会には優に間に合うはずだった。しかし予想もしないことが起きた。郡山市(こおりやまし)の手前、郡山南IC(インターチェンジ)から郡山ICまで雪のために通行止めとなってしまったのだ。仕方なく高速道路を下り、平行して福島市に向かって走る4号線に向かった。しかし私と同じように高速を下り

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  • 土井敏邦Webコラム:日々の雑感 325:「表現の自由」に名を借りた“暴力”(フランス「シャルリー・エブド」襲撃事件)

    ツイート 2015年1月9日(金) (写真:テレビ報道・報道ステーション 2015年1月8日) 「またか……」と暗澹とした気分に襲われた。1月7日の夜、テレビが、フランスで新聞社「シャルリー・エブド」を自動小銃を持った2人組の男たちが襲撃し編集長ら10人(後に12人と修正)を射殺して逃亡中と速報を流した。男たちは「(イスラム教の)預言者(ムハンマド)の復讐だ」「神は偉大なり」と叫んでいたと伝え、犯人たちが「イスラム過激派」である可能性が高いという。昨年4月、ナイジェリアで学生寮を襲撃し女子生徒240人を拉致した「ボコ・ハラム」、12月にはパキスタン北部で学校を襲撃し百数十人の生徒たちを殺害した「パキスタン・タリバン運動」、そして、シリア、イラクの「イスラム国」……。これら「イスラム過激派」による残忍なテロ行為の被害は直接の犠牲者たちに留まらない。最も深刻な被害を受けるのは、世界全体の4分の

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  • 2014年 ラジ・スラーニ氏来日・報告:土井敏邦

    ツイート 2014年11月12日 ガザの人権活動家ラジ・スラーニ氏が来日し、東京大学での講演からちょうど1ヵ月になります。ラジ来日のために支援・協力してくださった方々に、もっと早くご報告とお礼を申し上げなければならなかったのですが、その直後から来日の会計処理、支援団体への報告書作りなどの他に、NHK・ETV特集「ガザからの報告 〜パレスチナ・イスラエル紛争〜」の番組制作、この時期にどうしても済まさなければならない福島取材など、さまざまな用件が重なり、この間落ち着いて振り返る時間もなく、ラジ離日から20日も過ぎたこの時期になってしまいました。 来日までの経緯 10月8日に来日し20日離日するまでの13日間、いや「土井敏邦 パレスチナ記録の会」の主要メンバーたちと、ドキュメンタリー映画『ガザに生きる』(5部作)完成を機に7月ラジ招聘を決断した昨年12月下旬以来、私にとってまさに怒涛のような日々

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  • 土井敏邦Webコラム:ガザからの報告(2014年夏)(23)ガザ住民の「戦争」観・ハマス観(4)/屈辱の中で生きるより“尊厳”を持って死にたい

    ガザからの報告(2014年夏) (23)ガザ住民の「戦争」観・ハマス観(4) 屈辱の中で生きるより“尊厳”を持って死にたい ツイート (注・この記事は「休戦」直前(8月26日)のインタビューを元にまとめたものです) 2014年9月7日(日) (写真:シェファ病院の避難民テント) ガザ市シャジャイーヤ地区の家を半壊され、シャファ病院内の避難してきたファラジ・アルデルデサウィ(45)は、と8人の子供たちとシェファ病院の歩道で暮らしていた。7月10日、イスラエル軍はファラジが暮らす地区にビラを撒き、家から避難するように警告した。しかしガザ政府内務省からのラジオ放送もモスクからの呼びかけも、また警官たちも「イスラエルの言うことを聞くな。そんな噂に乗って、避難をするな」と住民たちに指示した。3日後の13日、イスラエル軍の激しい砲撃が始まると、一家はパニックに陥った。一族60人は避難を決意して1階の

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  • 土井敏邦Webコラム:ガザからの報告(2014年夏)(22)ガザの瓦礫の中から発見されたソニー製品

    ツイート 2014年9月2日(火) (写真:ガザの瓦礫の中で発見された兵器の部品に記された「SONY」) それは8月13日の朝、取材途中の車の中での通訳のアハマド(仮名)の一言から始まった。 「ドイ、日のソニー製品がイスラエル軍の兵器に使われていることを知っている?」 「えっ?まさか!」 「昨夜、ガザの女性記者がテレビ・ニュースで伝えているのをインターネットで見たんだよ」 日を代表する企業の1つソニーの製品が、パレスチナ人を殺戮するイスラエル軍の兵器に使用されている──もしそれが事実なら日だけではなく世界中に影響を及ぼしかねない重大な問題だ。 私はアハマドに、そのインターネットの映像を至急送るように依頼し、その女性記者と、彼女が示した兵器の部品が保管されている場所を探し出すように指示した。 その夜、私はアハマドがインターネットで送ってきた女性記者のレポートを見た。その記者は「その兵器

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