ロッテルダム近郊の水路に架かる自転車と歩行者のための橋。とても現代のオランダらしさを感じる。経済的合理性や典型的な美とはまた少し違う方向、ジョークのように見せかけて本気でやるというアプローチ、失敗してもそれほど気にしない寛容さ。いやほんと、オランダのぶっ飛んだ橋を見る度に、橋のデザインってどんなスタンスが適切なのかがわからなくなってくる。そうそう、晴れた土曜日の昼間に見たせいか、自転車の交通量はものすごく多かったよ。
東武鉄道と東武エネルギーマネジメントは6月16日、来年開業予定の「東京スカイツリータウン」地下に設置した熱供給システムを報道向けに公開した。大量に製造・貯蔵した温冷水を循環させて同地区の冷暖房を賄うというシステムで、年間を通じた電力使用量の大幅削減を実現するという。 設備の腐食を防ぐために酸素を取り除いた「25メートルプール約17杯分」という7000トンの水道水を、(1)地中熱利用システム、(2)ヒーティングタワーヒートポンプ、(3)温水ボイラー、(4)ターボ冷凍機――によって、夏は5度に冷却し、冬は48度まで加熱する。 製造した温冷水は5器の「大容量水蓄熱槽」で貯蔵した後、ポンプで東京スカイツリーを含むタウン全体で循環させ、冷暖房に利用する。主として夜間に製造した温冷水を日中の冷暖房に利用することで、夏冬ともにピーク時の使用電力を40~50%カットするという。 3機のターボ冷凍機。手前の
北海道新聞の鉄道ページ「どうしん鉄道研究会」。そのスタッフが担当するブログです。たまには鉄道でも…どうでしょう。 【鉄道研究会スタッフ】たまには鉄道でも NHと聞いて、普通思いつくのは、全日空を指す2レターコードです。が、私たち「どうしん鉄道研究会」にとってはもう一つ、大切な別の意味があります。そう、JR北海道苗穂工場です。なぜNHなのかは分かりませんが(ウィキペディアによると「NAEHO」の略とのことですが…)、とにかく道内最大の鉄道工場です。 その苗穂工場の歩みと、今年130年を迎える北海道の鉄道の歴史を紹介する講演会が、10月9日に同工場内の「北海道鉄道技術館」(第2、第4土曜開館)で開かれました。講師は佐藤巌・苗穂工場長。これは聞き逃せない!と、おじゃましました。 <写真:北海道鉄道技術館。1910年築のレンガ造の落ち着いた建物で、もとは「用品倉庫」として使われていた> 苗穂
図面もホレこのように! ジョブズが1984年の大昔に買って荒れ放題となっていた歴史建造物「ジャックリング邸」を取り壊し、念願叶って新しい家を建てる運びとなりました。 ジャックリング邸は元オーナーが州・地元保存会に働き掛けて修復・保存を求める運動を展開したおかげで、かれこれ6年近くも取り壊しが凍結となっています。その間、ジョブズは新築・改築にかかるコストの比較、環境アセス、法廷のカンフーバトルを展開してきたわけですが、ようやく許可が下り、ブルドーザーで潰す日を迎えたというわけですね。 跡地に建てるのは総工費845万ドル(7億円強)の戸建ての家。デザインは「人間の創造物の礎を成す魂」とまで言う人が建てる家って、どういう家なのかな? と興味津々ですが、実物は期待通りでもあり、人によっては拍子抜けかも。 その前に少しだけ歴史をおさらい。 Jackling House(ジャックリング邸)はApple
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 富山県の神通川河口付近に位置する、新神通川橋梁。 上流側、高山本線の橋梁が、アメリカン・ブリッジ製である。 この写真は左岸から撮影している。 ピントラスのもっとも美しい部分はココだと思う。 200フィートの単線プラットトラスが6連。 ロングスパンゆえの、シュウェドラートラス。 上弦中央の3パネル部分が直線状になっている。 シュウェドラーは、少し垂れ下がることもあるようだが、 アメリカン・ブリッジの日本向け桁はすべて直線である。 さて、このトラス桁の出自には2説ある。 歴史的鋼橋集覧には小西純一氏の記述で「1907年製」とある。 一方、土木構造物の教科書的な小野田滋氏の『鉄道構造物探見』では、 「1900年に御殿場線に架けられた~を転用した」と書かれている。 どちらも大家の書かれた
木枠の窓ガラス、古びた木製のベンチ、むき出しの蛍光灯――。 80年以上前に建てられ、大正時代そのままの姿を残している木造建築の駅舎がある。福井県越前市中心部にある福井鉄道・北府駅。今年1〜2月、携帯電話会社のテレビコマーシャルに登場、レトロな雰囲気が注目を集めた。 その駅舎を保存しようという機運も高まっていると聞き、ある朝、駅ホームに降りてみた。 「ここの待合室は温かみがある。高校時代に学校では友達でなかった人とも、ここで会うと、なぜかすぐに親しくなれた。人と人との距離を近くさせてくれるような場所なのかな……」 東京から久しぶりに帰郷したという同市出身の女子大生(19)。穏やかな表情で語る、その雰囲気がほほ笑ましかった。 駅近くで約30年間、夫婦で食堂を経営していたという板東すえ子さん(59)に会った。平日は毎日、ごみ拾いに来ているという。 「車掌さんや学生さんがよく食べに来てくれた。それ
貨物見送り 黙々開閉80年 末広橋梁(三重県)2010年9月10日 印刷 Check 末広橋梁を通過するDD51形ディーゼル機関車 跳ね橋の間を通過する船=いずれも垣内博撮影 赤いDD51形ディーゼル機関車が、16両の黒い貨車を引いて現れた。積み荷は640トンのセメント。機関車最前部のデッキにヘルメット姿の作業員が立ち、運転士と無線でやり取りしながら前方の安全を確認している。重厚な音を立て、橋をゆっくりと渡っていく。 三重県四日市市にある末広橋梁(きょうりょう)は、JR関西線の四日市駅と四日市港を結ぶ約2.4キロの引き込み線に架かる。その下の千歳運河を通る船のために跳ね上がる鉄道可動橋は、現役最古だ。 国鉄時代の1968年に同駅に赴任した山本裕己さん(61)と山下進平さん(60)は、蒸気機関車のデゴイチが貨物を運んでいた時代からこの地域を知る。「埠頭(ふとう)の隅々まで線路がぎっしり。常時
これは「Pionen White Mountains」。 米国政府・軍部最高機密をリークする告発サイト「Wikileaks」がサーバの一部を移転予定の核シェルターです。 前にもご紹介した通り、冷戦当時、スウェーデンの首都ストックホルム中心部の岩丘に地下約30mまで掘り下げて建造しました。1943年建造当初はただの爆撃避難用シェルターだったんですが、スウェーデンの人たちが1970年代これをフル装備の核シェルターに改造。核戦争の有事にはスウェーデン政府の緊急対策本部をここに設置し、国民防衛の拠点として使うことになっていました。 冷戦が終わって御用済みになった現在、この30mの岩、厚さ50cmの鉄扉が護っているのは、スウェーデンのインターネットホスティング会社Bahnhof社のコロケーションです。 ここを買い取った際、同社は岩を爆破して用地拡張を図り、新用地にドイツの退役潜水艦から取り出したガス
高圧送電線の鉄塔を人型にしてみました Choi+Shine Architects 『The Land of Giants』 Choi + Shine Architects - The Land of Giants http://www.choishine.com/port_projects/landsnet/landsnet.html 高圧送電線の鉄塔を人型にする、という建設案。 アメリカの建築事務所Choi+Shine Architectsによるもので、アイスランドの高圧送電線鉄塔デザインのコンペで入賞したものらしい。 既存の鉄塔構造にそれほど手を加えずに、巨大な彫像や記念碑のような魅力的なものにできる、というコンセプトのようだ。これは面白い。 人の形や姿勢、送電線を通す場所などは、いろいろなパターンがあるようだ。 どっちみち鉄塔を建てる必要があるなら、もっと面白いものにしよう、という発
コンクリート製の「余部橋梁」が開通し、一番列車が地元住民を乗せて通過した=12日午前6時31分、兵庫県香美町、新井義顕撮影開通したコンクリート製の「余部橋梁」を通る一番列車。乗車した地元住民が新橋から望める景色をカメラに収めていた=12日午前6時31分、兵庫県香美町、新井義顕撮影 98年間の歴史に幕を閉じた兵庫県香美町のJR山陰線・余部(あまるべ)鉄橋に代わるコンクリート製の「余部橋梁(きょうりょう)」(高さ41.5メートル、長さ310メートル)が12日開通した。2007年春の着工から3年余。午前6時半過ぎに一番列車が通過し、地元住民らが開通を祝った。 一番列車には住民約120人も乗車。日本海を望む橋梁を通過すると、「鉄橋より静かに走る」と声が上がった。余部地区連合自治会長の山本美津男さん(66)は「新しい橋を、地域のシンボルとしてみんなで守っていきたい」と話した。 余部鉄橋では19
鳥取県米子市灘町にある昭和初期の和風建築「灘町後藤家」が荒れ果て、管理責任を巡って所有者と借り主の元衆院議員との間で訴訟になっている。 京都の名工が手がけ、同県出身の漫画家水木しげるさん(88)夫妻の結婚式会場にもなった由緒ある屋敷。地元では「かつての姿に戻らないものか」との声も上がる。 約1600平方メートルの敷地に、数寄屋造りの主屋(おもや)(約350平方メートル)や離れ、土蔵が立つ。所有者の祖父が、野村財閥創始者の別邸・野村碧雲(へきうん)荘(京都市左京区、重文)も手がけた大工を呼び寄せ、1932年から数年がかりで完成させた。 県教委が調査したこともあるが、所有者によると、今は主屋の屋根が抜け、風雨が吹き込むなどしている。 一時は料亭として使われ、81年からは、所有者の父の知人で地元選出の元自民党衆院議員相沢英之氏(91)が、後援会員らのゲストハウスとして賃借していた。 2年前から賃
98年の歴史に幕を閉じたJR山陰線・余部(あまるべ)鉄橋(兵庫県香美町香住区余部)で、JR西日本は20日、新しいコンクリート橋(長さ310メートル、高さ41.5メートル)を東側のトンネル出入り口に接続するため、橋げたの一部(長さ93メートル、約3800トン)を北へ4メートル移動させる工事を実施した。 25日前後に反時計回りに5度回転させた後、レールをつなぐ。17日から香住―浜坂間を運休して工事を進めており、8月12日に開通する。 新橋の西側3分の2は鉄橋の7メートル南側に直線で造ったが、東側はレールの位置を合わせるため、緩いS字形で建設。移動・回転工法の採用で、工期と運休期間を短縮させ、建設コストも削減した。橋げたの移動は油圧ジャッキを使い、約1時間かけて行われた。
JR山陰線の余部鉄橋(兵庫県香美町香住区余部)が16日、新橋架け替えに伴い、鉄道橋としての98年の役目を終え、お別れの式が行われた。鉄橋は一部を残し、展望施設が整備される。 余部鉄橋は高さ41メートル、長さ310メートルの国内最大のトレッスル橋で、1909(明治42)年着工、12(同45)年に開通した。鉄骨を組み上げた形と赤い塗装が、緑の山々と青い日本海に映え、観光名所として多くの人が訪れてきた。人気ドラマ「夢千代日記」の冒頭シーンにも使われた。 86年12月、冬の季節風にあおられた回送列車が、カニ加工工場の上に転落し、6人が犠牲となる事故が起きた。冬季運休と、鉄橋の老朽化が相まって、架け替えが決まり、JR西日本が07年3月から、並行するコンクリート橋への架け替え工事に着手していた。 お別れの式には、列車転落事故の遺族や歴代町長、JR関係者ら約50人が集まり、事故慰霊碑に祈りをささげ、橋脚
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