先般より注目を集めていた「『なぜ、貧困層、社会的弱者ほど国家の戦争に熱狂するか』から始まる会話。」(http://togetter.com/li/379538)に関して、ドイツ現代史、特に戦間期の義勇軍運動を研究されている@heero108さんの一連のコメントをまとめておきます。上記まとめに第一次世界大戦後のドイツの話題が例として取り上げられていたため、私(@hhasegawa)がコメント欄でご専門の@heero108さんをお呼びして、ご連投を頂いたという経緯になります。 * togetterのコメントを経由してツイートされたものをまとめであり、字数の関係で一部が尻切れになっております。ご指摘を頂きましたので、下方に全文を併記しておきました。 ** 訂正を追記しました(2012年10月1日)。
関連まとめ: お菓子っ子さん @sweets_street による「社会に必要とされない人々の自尊心の問題」 http://togetter.com/li/380845 関係するかもしれないまとめ: 旧陸軍の「社会民主主義」プロローグ 続きを読む
日本は長らく平和を謳歌してきました。そんな中で防衛体制の整備には「戦争なんか起こるわけがないのに…」という懐疑論が常にともないました。どころか、「危機がもし起ったら」と考えること自体が危険思想である、戦争が好きな軍国主義者だ、という風に非難された時代もありました。 ところが歴史的に見て「戦争なんか起こるわけがない」という見通しが外れたことは多くあります。 「アルゼンチンが戦争なんかするわけない」 いまから30年前の1983年4月、「フォークランド紛争」という戦いが起こりました。アルゼンチンとイギリスとの紛争です。きっかけは、イギリス領フォークランドに対し、アルゼンチンが突然侵攻を開始したことでした。 ですが紛争勃発の直前まで、戦争なんか起こるわけがない、意見が強くありました。それはかなり論理的なものでした。例えば83年4月5日に発売された雑誌ビジネスウィークは、戦争にいたる可能性は低い、と
「ラジオみなみ関東」さんが、こうつぶやいていますが、 http://twitter.com/radiomikan/status/247478022716923904 井上寿一「日中戦争下の日本」を読んでると、戦争に協力しちゃった人って当時の労働者とか小作人とか女性だったりするんだよね…戦争協力を経て職場の待遇改善だったり、男女平等に近づけた側面が少なからずある。やるせない…(._.) http://twitter.com/radiomikan/status/247478492722233344 総力戦だから下の方も引き上げろ!という名目になるんだな…それを推し進めてしまったのが社会大衆党という左派政党。 http://twitter.com/radiomikan/status/247478856032849923 マジで「希望は、戦争」という時代が確かにあったことがその本を読むとよくわかり
【教えてくん】コミュニティーなのです。 なんかニュースとかあったらここに書こうかと思ってますよ。とりあえず、おいらのブログ 「原爆投下は正しい」のか? なぜアメリカは「原爆投下は正しい」と言い張るのか http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1208/07/news019.html 米国では、原爆は正しかったという結論になっています。 原爆が無かったら、第2次大戦は終わらなかったので、 戦争を終わらせるには、原爆が必要だったという論理ですね。 原爆投下に先立つ5ヶ月前に、東京大空襲がありました。 死亡者が8万3793人。 広島の原爆投下での死亡者は、9万人から12万人と言われています。 東京大空襲の後でも、日本は「一億玉砕」と言って、戦争を継続するつもりでした。 その後、長崎・広島に原爆が投下されたわけですが、町そのものが無くなるので、東京・大阪・名古屋など
両国が領有権を争っている島へ、一方の市民が不法に上陸しました。 これは、30年前のおはなし。 1982年、南太西洋の島々の領有権をめぐり、イギリスとアルゼンチンが戦争をしました。フォークランド紛争と呼ばれています。 始まりは民間市民の上陸でした。その背景はアルゼンチンの経済が不調で、政権が危うかったこと。そこで、歴史的な経緯から係争中だったフォークランド諸島がクローズアップされました。国民の目をそらすためです。 アルゼンチンの民衆は、政府がやらないなら自分たちが島を取り返すんだと盛り上がります。義勇軍のような気分で、島に不法上陸したり、運動が過熱していきました。 それが政府の選択肢をせばめ、やがて戦争になりました。 その島には名前が2つ 嵐の前の不景気 断たれた退路 あちら側、こちら側 正しさは手段に過ぎない 賽は投げられた 関連記事 その島には名前が2つ その島々には2つの名前があります
社会 「慰霊祭利用された」 遺族会、署名を拒否 尖閣上陸2012年8月21日 Tweet 「慰霊祭を利用して上陸したとしか思えない」と語る慶田城用武尖閣列島戦時遭難者遺族会会長=20日、石垣市内の自宅 【石垣】尖閣列島戦時遭難者遺族会の慶田城用武会長(69)は20日、琉球新報の取材に応じ「日本の領土を守るため行動する議員連盟」の山谷えり子会長(自民党参院議員)から洋上慰霊祭を目的とした上陸許可申請に署名を求められ、拒否したことを明かした。慶田城会長は「遺族会の気持ちを踏みにじり、慰霊祭を利用して上陸したとしか思えない」と話し、議連の洋上慰霊祭や地方議員らの魚釣島上陸を厳しく批判した。 慶田城会長によると、約10日前に領土議連の山谷会長から電話があり、政府に提出する上陸許可申請への署名を求められた。慶田城会長は「領土を守るという議連の考えと、み霊を慰めるとの遺族会の考えに違いがある」と、
30年以上隠されてきた映像 / アメリカ軍によって撮影された広島・長崎の原爆被害者を映した映像が公開される 2012年8月8日 日本に永遠に消えない傷跡を残した、第2次世界大戦中のアメリカによる広島・長崎への原爆投下。今もなお、多くの人の心に深い悲しみの影を落とすこの原爆投下は、人類が決して忘れてはいけない惨劇として世界中に知れ渡っている。 そしてこの度、1946年にアメリカ陸軍航空隊によって撮影されたと思われる、原爆被害者の体を映し出す映像が公開され、海外で大きな話題となっている。 「Suppressed U.S. Military Film on the Medical Effects of the U.S. Bombing of Hiroshima and Nagasaki」というタイトルでYouTubeにアップされたこの映像は、次のような文章で始まりを告げる。 「1946年、陸軍航
2012年04月10日23:55 すべての日本人が知るべきこと 『日本は自衛のために戦争した』 Tweet 1:名無し募集中。。。:2012/03/30(金) 14:34:15.41 ID:0 日本が対米戦争に踏み切った理由について、連合国軍総司令部(GHQ)最高司令官だった マッカーサーが1951(昭和26)年、「主に自衛(安全保障)のためだった」と述べた米議会での証言が、 東京都立高校独自の地理歴史教材の平成24年度版に新たに掲載される。 (中略) 証言は、朝鮮戦争で国連軍やGHQの司令官職を解任されたマッカーサーが1951年5月3日、 米上院軍事外交合同委員会の公聴会に出席し、朝鮮戦争に介入した中国への対処に関する質疑の中で言及。 連合国側の経済封鎖で追い詰められた日本が、 「主に自衛(安全保障)上の理由から、戦争に走った」と述べた。 (中略) 渡部昇一・上智大学名誉教授
『日本を滅ぼした国防方針』(黒野耐、文春新書、2002年)を読みはじめたところ、しょっぱなでつまづいてしまった。「プロローグ」は「大東亜戦争という呼称」という見出しのつけられた節で始まっている。「先の大戦」をどう呼ぶかは「本戦争の歴史的意義をどのように評価するかという歴史観にもとづいている」(7ページ)というのはまったくもってその通りであるし、一般によく用いられる「太平洋戦争」という呼称が「アメリカだけとの戦争という錯覚を起こしがちになる」(8ページ)というのもその通りなのだが、では著者(自衛隊出身者)がどういう呼称を選ぶかといえば、「六カ国を相手に、太平洋・東亜全域で戦われた戦争という実態をイメージできる「大東亜戦争」の呼称を使用したいのである」(同所)、ときた。 奇怪なのは「近年になって「太平洋戦争」とする呼称が定着しているが」という著者の認識。家永三郎氏の有名な『太平洋戦争』(岩波書
残念ながら、バグダッド・アラブ首脳会議の主催国イラクに関する報道は驚くほど少なかった。 ヌーリー・マーリキー首相にとっては戦後の治安改善やアラブ世界への復帰をアピールする絶好の機会だったが、「シリアが欠席し、国家元首出席も10人にとどまるなど盛り上がりに欠けた」との報道が最も実態に近いようだ。 マーリキー政権がこの首脳会議開催に投入したエネルギーは並大抵でなかったろう。現在もバグダッドの治安は最善でも「不安定」であり、運が悪ければ「最悪」となる。 こうした状況は大きく変わっていない。このような危険な首都でアラブ首脳会議を開くためには物的、人的に膨大な資源が費やされたはずだ。 主催国だったにもかかわらず、今回の首脳会議でイラクは主導権を握ることができなかったらしい。主要議題であるシリア問題について、イランに近いイラクは介入に消極的だと言われ、強硬派のチュニジアやリビアとの対立が深まったことも
戦争は武力をも直接使用して国家の国策を遂行する行為であります。今アメリカは、ほとんど全艦隊をハワイに集中して日本を脅迫しております。どうも日本は米が足りない、物が足りないと言って弱っているらしい、もうひとおどし、おどせば日支問題も日本側で折れるかも知れぬ、一つ脅迫してやれというのでハワイに大艦隊を集中しているのであります。つまりアメリカは、かれらの対日政策を遂行するために、海軍力を盛んに使っているのでありますが、間接の使用でありますから、まだ戦争ではありません。 戦争の特徴は、わかり切ったことでありますが、武力戦にあるのです。しかしその武力の価値が、それ以外の戦争の手段に対してどれだけの位置を占めるかということによって、戦争に二つの傾向が起きて来るのであります。武力の価値が他の手段にくらべて高いほど戦争は男性的で力強く、太く、短くなるのであります。言い換えれば陽性の戦争――これを私は決戦戦
昨夜、NHKスペシャル 「日本海軍 400時間の証言 第一回 開戦 海軍あって国家なし」を見た。 いろいろと思うところがあったので簡単にまとめておきたい。 海軍の作戦立案に携わった軍令部の生き残りが、戦後に集って行なった戦争の分析。 その、いわば“反省会”の模様を録音した、のべ400時間にも上るテープを元に 番組は構成される。 三夜連続の一回目なので、まだ総合的な評価は言えないが、海軍の頭脳たちの言葉は とても生々しい。 特に印象に残ったのは、軍令部長以下誰一人、確固たる自信の 無いままに、戦争を始めてしまったという点だ。 彼らを駆り立てたものとは、なんだろう。 猪瀬直樹の「空気と戦争」は、別のアングルからそれについて取り上げた著作だ。※ 開戦前、官民軍の30代エリート(戦後の日銀総裁もいる)を集めて設立された 総力戦研究所は、いわば来たるべき戦争をシミュレートする和製ランド研究所だった。
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