これは仮説というか自分がこうだという話なのだが、自分のアイデンティティを侵食されると怒りが湧く。たとえば、自分が非常に大事にしている価値観に対して、同僚から「君のその価値観は間違っている」と言われたり、あるいは、作品とか、経歴とか、家族とか、そういう自分自身と非常に密になっていて同一視されるようなものをけなされたら、腹が立つということだ。 プログラマーにとって、ソースコードというのは一つの作品だ。仮に経験が浅い開発者であっても、あるいは経験が浅いからこそ、1行1行に時間をかけて考えながら作りあげる。それに対してこれはクソコードだと言われたらどうだろうか。考えてみる。 よく、クソコードというのはコードがクソだと言っているのであって、お前がクソだと言ってるわけではないから切り離して考えるべきだという言説がある。僕はこれには微妙に賛同できない。その人が生み出したコードは、少なくともその人のいくぶ
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