戦後の混乱がやっと落ち着きつつあった昭和20年後半、東京には15~6ヶ所の赤線が存在していたといいます。青線や街娼のたまり場などを入れると「東京中が赤線だった」と当時の新聞記者が嘆いたように、掃いて捨てるほど存在していたのでしょう。 今日の赤線は、そんな東京の赤線の一つ、東京都の葛飾区、立石の紹介を。 立石にあった赤線地帯私の事前調査と実地調査によると、立石の旧赤線のはだいたいこの区域です。 立石駅の北口の北部、商店街の道筋にある「立石駅前交番」の裏近辺が赤線地域と昔の資料にありますが、『全国女性街ガイド』は立石をこう表現しています。 「あそこは公衆便所だよ」 と痛撃する男がいるかと思えば、 「俺、意見されたヨ。工場を休んじゃいけないヨ、お弁当ならあたしがお握りつくるからさ。早く支度して出掛けなヨ…てんだ。曲がり角でふりかえると、手を振ってやがんだ。けっ、たまらねえや」 という男もいる。早