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ブックマーク / yonezawakoji.com (258)

  • 笠岡遊郭跡にひっそり残る、明治時代の超レア近代遺産とは!?

    笠岡伏越遊廓跡に残る超レア近代遺産 岡山県笠岡市の遊郭を探索した時のこと。 歩けばあっという間に散策が終わってしまう伏越遊郭跡ですが、実は遊郭の敷地ギリギリ外にある貴重なモノが残っています。 それは何か。 ただの石…これは境界柱(または境界杭)といい、土地と土地との境を示すために地面に埋め込まれるもので、それ自体は至る所にあり珍しくもなんともありません。 では、これのどこが超レアモンなのか。 柱に刻まれている紋のようなものに注目。なんだか山が二つ重なったかのようなこの紋…山陽鉄道の社章なのです。 あの関西の私鉄ではありません(あれは山陽”電鉄”)、山陽鉄道のことです。 山陽鉄道は明治初期に作られた山陽道を鉄道で結んだ私鉄で、日初の「特急列車」を走らせたり、それに寝台車や堂車を連結させたり(いずれも日初)、私鉄らしい柔軟なアイデアで実現させていた会社でした。 しかし、明治39年(190

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    yaneshin 2025/03/01
  • 砂川奇勝−泉南の地に広がっていた「日本のカッパドキア」

    砂川奇勝とは 大阪府南部、泉南の地にはかつて、石灰岩の地が広がっていました。 その光景が奇妙な絶景のため、いつしか「砂川奇勝」と呼ばれるようになる、遊園地とともに砂川遊園最大の見ものでした。 『奇』とついているだけあって、他では見れないような風景がかつてここあたりにあったそうです。また、駅名の「砂川」も奇勝の「砂」が由来になっています。 「砂川奇勝」は、今からおよそ200万年前に始まる洪積期(こうせきき)に、海の底の砂や粘土が積み重なったものが隆起し、丘陵となったものです。 この丘陵は元来海の底にあったものですから大変もろく、雨水によってどんどん削られ変形してしまいます。この削られた姿が、砂が流れる川のようにみえ、「砂の水を流せるを以て此の名あり」といわれるように、「砂川」の名がつけられたのです。削られた丘はとても人工的には作り出せない不思議な形をしています。ある時は猛虎の姿に、またある時

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    yaneshin 2025/03/01
  • 遊郭・赤線跡をゆく 山形県の遊郭・赤線跡記事まとめ

    筆者 弊ブログの中核記事シリーズ、「遊郭・赤線跡をゆく」のまとめ記事となります! 東北の中でも特に記事が多い、山形県の記事を紹介します。 山形市 小姓町遊郭 かつて東北一のきらびやかさを誇ったと言われる山形市の遊郭。 山形小姓町遊郭(山形県山形市)&おまけの私娼窟|遊郭・赤線跡をゆく|山形市の小姓町。そこにかつて「西の岐阜、東の山形」と呼ばれた遊郭が存在していた。豪華さは東北一と言われた遊里の歴史と現在の姿を追う。yonezawakoji.com2020.10.17 天童遊郭 「将棋の町」にあった、羽州街道沿いに開けた宿場町の遊郭。 天童遊郭(山形県天童市)|おいらんだ国酔夢譚|将棋の町天童。羽州街道の宿場町としても栄えたこの町にあった遊郭の歴史。ネット初公開、戦後にあった「青線」の話も。yonezawakoji.com2020.10.07 米沢福田遊郭(米沢市) 上杉氏が治めた米沢藩の時

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    yaneshin 2025/03/01
  • 映画『226』にあの落語家が出ていた件

    もうすぐ勃発から89年が経つ二・二六事件。 まだまだ謎が多いこの事件は、数々の小説映画のネタにもなりました。 映画なら高倉健・吉永小百合が主演し、二・二六事件勃発時の音楽がZガンダムの戦闘曲そのまま(音楽担当の仲の人が同じ)だったと知る人ぞ知る『動乱』が有名なところ。 その中でも、1989年に公開された映画『226』は現在でも白眉として見続けられています。 キャストの豪華さでも伝説級!映画『226』 『226』は内容もさることながら、キャストの豪華さも伝説級です。 映画の主役級の青年将校役にはこんな人が。 佐野史郎。栗原安秀中尉役 有名な俳優佐野史郎氏です。 今やこの顔にピンとこない人はいないでしょう。しかし、当時は舞台俳優としてはけっこう有名だったものの、テレビ映画にはちょい役程度しか出ていませんでした。大河ドラマにモブキャラとして出ていたのを覚えています。何せこの顔なので、ちょんま

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    yaneshin 2025/02/24
  • 【遊郭・赤線跡をゆく】丸亀西平山新堀遊郭と『春駒』の遺姿(香川県丸亀市)

    丸亀のもう一つの遊郭−西平山新堀遊郭 丸亀の遊郭の位置 丸亀のもう一つの遊郭の名前は「西平山新堀遊郭」。俗に「新堀遊郭」と呼ばれていました。 位置は上の地図のとおり、福島遊郭とはそれほど離れていない位置にありました。 丸亀という、お世辞にも大都市とは言えない地方都市になぜ2つも遊郭があったのか。 それには、丸亀の町の地理的・政治的個性を話さないといけません。 丸亀遊郭の位置と連隊 丸亀には、明治初期の萩の乱から日露戦争、上海事変などを転戦した陸軍の聯隊(第12聯隊)が配置されていました。 「軍隊あるところに遊郭あり」 というのが私の持論ですが、丸亀も軍隊ありきの遊郭だったのでしょう。 もう一つは、港町としての性格。軍隊と同じように、海の男も土の匂いと女のぬくもりが恋しくなるもの、その需要もあったのでしょう。 あと、金比羅宮への参詣者の和船の寄港地としての性格もあり、自然と人が集まる場所でも

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    yaneshin 2025/02/23
  • 吉原遊郭の遊女は関東大震災で死んだ!?その真相は!?

    吉原遊郭の観音ー吉原の遊女は当に「溺死」したのか!? 吉原遊郭にはかつて大きな池がありました。その池の跡には、大きな観音様があります。 大正12年(1923)の関東大震災で吉原も灰燼に帰しました。火焔と煙で人々は池に飛び込み、約600人が溺死したと言われています。 この観音様は、ここで死んだ人たちの慰霊塔です。 その時の情景を、ある書物はこう書き記しています。長いので折りたたんでおきます。読みたい方はどうぞ。 資料より 時は正午、折柄一日の事とて、昨夜来いつづけの客は、今し「お直し」になって、向かひ酒にポッと頬を染めつつ、恋ざめの気持を味わいひつつあるの時、異様凄惨の音響と共に揺れ出した大振動!さながら家は波がしらに漂ふ木片の如く激動また激動! 寝巻きのままで飛び出す客、伊達巻一つ素足の娼妓、ゆもじ一つの女! スワ火事よと、大門さして逃げ来ればこは如何に、大門には既に多数の避難民が雪崩を

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    yaneshin 2025/02/23
  • 岸和田花街の話(大阪府岸和田市)|遊郭・赤線跡をゆく番外編|

    「ふるさと岸和田」という、岸和田で生まれ育った著者が、戦前~戦中~戦後~現代の岸和田の思い出を語るエッセイ集があります。 岸和田市立図書館の書庫の奥底で静かな眠りについているなのですが、そこにはかつて岸和田にあった「花街」のことが記されていました。 今日は、記録にはまとまって残ってはいないものの、記憶には残っている幻の「岸和田花街」の話です。 岸和田は大坂(大阪ね)と和歌山を結ぶ紀州街道が通る岸和田藩の城下町で、交通の要衝から代々譜代大名が治めていました。 昔から人々が集まる要素はあったものの、藩命で城下町に遊廊を作るのは禁止。その代りとして、貝塚に遊廊が出来て昭和の売春防止法まで栄えていたというわけです。 岸和田の花街がいつから発生したのかは、資料がなく明らかになっていません。 おそらく岸和田藩時代からあったと思われますが、いちばん古い記録は、『岸和田市史 第八巻』内にある明治45(1

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    yaneshin 2025/02/22
  • 丸亀福島遊郭のカフェー建築(香川県丸亀市)|遊郭・赤線跡をゆく|

    丸亀の遊郭−福島遊郭 うどん県こと香川県の高松に次ぐ第二の都市、丸亀。 全国的には「丸亀製麺」として有名かもしれませんが、実は丸亀とは何の関係もなかったりして。 それはさておき、今回は丸亀にあった福島遊郭のお話。 まず、資料を求めてやってきたのは、駅前にある丸亀市立中央図書館。 丸亀市立図書館のおねーさんに協力してもらい、ある貴重な資料を出してもらいました。 昭和9年(1934)の丸亀市中心部の住宅地図です。真ん中に敷かれた白黒の線が鉄道で、赤斜線の部分が丸亀駅です。 今でこそ細かい住宅地図はありますが、戦前の住宅地図はめったに見つかりません。当時はあったのかもしれませんが、戦災で焼けたか実際に見つかることは非常にレアです。 私も探してと頼んではみたものの、まああるわけなやろと言った人が高をくくっていました。図書館のおねーさんGJ、あんたは優秀だぜと感謝しかありません。 遊廓の部分をアッ

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    yaneshin 2025/02/22
  • 遊郭赤線跡をゆく 白河遊郭(福島県白河市)

    白河遊郭の歴史 陸奥みちのくへの入り口である白河。古くは歌にも詠まれた「白河の関」が置かれ、江戸時代には政治的・軍事的要衝として白河藩が置かれ、名門譜代大名が東北・関東の両方ににらみを利かせていました。 そんな東北の肝心要な場所柄、ヒト・モノ・カネも集まる経済の要衝でもあった白河。当然遊郭も存在していました。 今回は、名前は一度は聞いたことがある陸奥の玄関、白河の遊郭のお話。 白河の遊郭の由来は、市史においてもはっきりしないようです。が、遊女屋の出現は少なくても藩政時代にさかのぼります。 他の場所の遊女屋稼業に漏れず、白河の遊女屋も決まった場所になく、旅人が通る奥州街道沿いに走る町沿いに遊女屋が散開していました。その繁盛ぶりは「新地・町、吉原まがい」と地元で呼ばれていたといいます。 明治初期のデータですが、明治12年(1879)の貸座敷数は27軒、遊女数は80名前後。地方都市にしてはな

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    yaneshin 2025/02/21
  • 【二・二六事件秘録】天気から見る二・二六事件ー事件当日、本当に雪が降っていたのか?

    映画『226』より 二・二六事件=雪というイメージがあります。二・二六事件を扱う映画やドラマを見ても、226は雪でしょ!という設定はマストのようです。 しかし、当日当に雪が降っていたのか?事件当日の天気はどうだったのか。 今回は、「天気」というまた違った観点の二・二六事件を。 二・二六事件当日の天気は? 1936年2月26日の天気を考察する 気象庁のHPから、過去の天気や気温などを検索することができます。 当然、1936年2月の気象状況も見ることが可能です。 そこで、2月26日の天気を見てみると… なんということでしょう! 青年将校たちが事を起こしたのは、26日の午前5時前後。その2時間前、だいたい午前3時前後に兵に非常招集をかけています。そして7時前後にはすべてのミッションが完了しています。 そのときの降水量はゼロ。つまり、雪は降っていなかったのです。 嘘つけって?雪は降ってたって?

    【二・二六事件秘録】天気から見る二・二六事件ー事件当日、本当に雪が降っていたのか?
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    yaneshin 2025/02/16
  • 笠岡伏越遊郭(岡山県笠岡市)と岡部医院|おいらんだ国酔夢譚|

    カブトガニで有名な瀬戸内の静かな港町、笠岡。 古来より港町として栄えた町ですが、そのベースとなったのが「伏越」という地区。そこには元祖笠岡港こと伏越港が古くからありました。 で、港は海の男が集まるところ。焼津や石巻の項でも述べましたが、海に生きる男はとにかく女が大好き。 陸の生き物にはわからんこの世界、そんなところには常に色街の陰が見え隠れします。ここ伏越も例外ではなく、いつの間にか色街が成立し、男たちの癒やしの場として栄えました。 岡山県の近代史としての遊郭は、明治10年(1877)にさかのぼります。岡山市内には少し前に遊郭ができていたのですが、法令により定められたのは明治10年の「県甲九四号」によってのこと。岡山市内の東中島・西中島や津山と同時に、笠岡も「笠岡村」としてその初期メンバーに名を連ねています。 戦後の笠岡遊郭は、昭和21年(1946)のデータによると、業者18名に娼妓21人

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    yaneshin 2025/02/13
  • 神戸に残る機銃掃射の弾痕ー商船三井ビルディング

    商船三井ビルディング 洋風建築が多く残っている神戸の海岸通りの中でも、ひときわ存在感の大きいのがこの商船三井ビルディング。曲線を多く使っていることもあってが、その威風堂々とした姿と裏腹に、女性的な母性を感じます。 そんな荘厳な建物にも戦争の傷跡が残っています。 「建物に被害を与える」のであれば、こんな下の部分を狙う必要はないはずで、おそらく逃げ惑う人間を狙ったものだと思われます。 しかしながら、商船三井ビルディングの機銃掃射の跡を紹介しているほとんどのサイトは、この下の方しか見ていません。先に言っておこう、君らの目はどこについているのだと。 上向け上すると、側壁には無数の銃痕の跡が…と思ったら、これ耐震補強の跡のようです。偉そうなこと言って失礼しました(笑 場所 他にもこんなブログがあるので、よかったら見て下さいね! 神戸に残る機銃掃射の弾痕①−神戸市立博物館...yonezawakoji

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    yaneshin 2025/02/09
  • 淡路島の樋口季一郎の足跡を訪ねて

    樋口喜一郎という人物 占守島の戦いやユダヤとの関わりなど、最近再評価されている樋口季一郎大日帝国陸軍元中将。 陸軍=悪という昭和的概念で歴史を論じるなら、樋口は間違いなく「良識的将軍」であります。 そんな樋口中将は、実は淡路島の生まれ。同じくユダヤ人を救ったと評価されている外交官、杉原千畝氏と比べると、淡路島でのその存在感は非情なくらい薄い。私も「島流し」で3年間住んでいながら、彼が淡路島生まれだと知ったのは最後の最後あたりでした。 それからすでに4年以上もの月日が経ってしまったのですが、今回改めて、樋口中将の淡路島での足跡を追ってみようと思い、島の南部を久しぶりに自転車で走って来ました。ダイエットも兼ねてだったというのは内緒です(笑 樋口喜一郎と淡路島 樋口季一郎の生まれ故郷は淡路島、現在の南あわじ市です。南あわじ市と言えば、「カミヌマグラード(笑)」という町があるように(笑)、関西人

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    yaneshin 2024/03/05
  • 神戸に残る機銃掃射の弾痕−エルメス神戸大丸店(旧居留地38番館)

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    yaneshin 2024/01/02
    歴史ある建物だけにこのような痕跡も残っているわけですね。
  • 阪急神戸三宮駅の戦争遺構−焼夷弾の穴と炎が曲げた鉄柱

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    yaneshin 2023/12/07
  • 吾輩は糖尿病である−夏目漱石と糖尿病

    人なら知らぬ者はいない文豪、夏目漱石(1867-1916)。なに?知らない?Are you Japanese?? 漱石の49年の人生、偶然ながら筆者も今年で49年、まだ死ぬ気配どころか死ぬ気すら全くありません。 それはさておき、漱石の人生は病気との闘いでした。幼い頃の疱瘡(天然痘)から、死因になった胃潰瘍まで、なかなかの病弱ぶり。それで49年も生きれば上等だ…漱石はそう思ったかどうかは定かではありません。 その漱石の病歴図鑑に、糖尿病もあったことはご存じでしょうか。 今日のお話は、そんな漱石の知られざる(!?)糖尿病とのお話。 漱石は超甘党! 漱石と糖尿病を語るのに欠かせないのが、彼が甘党ということ。 甘党は誰しもそうで、私もダイエットを始める前は、ホットコーヒーに角砂糖4個入れるほどの超甘党でした。 しかし漱石の甘党は、傍目から見ると…ちょっと頭おかしくね?というレベルでした。 彼は

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    yaneshin 2023/11/25
    最初に自覚症状が無いだけに厄介ですね
  • 大門前・曳船駅-南海天王寺支線の幻の駅【南海電鉄歴史紀行】

    南海天王寺支線 Wikipediaより。天王寺駅に停車中の天下茶屋行き電車 かつて、天王寺~天下茶屋間を南海電車が走っていました。南海天王寺支線です。 平成5年(1993)に全線廃止となったのですが、昭和50年代以前生まれの大阪人なら、上の写真のように天王寺駅の端に居心地悪そうに止まる、1両ないし2両の電車に見覚えがあると思います。 廃止されて今年でちょうど30年、平成生まれの人だと え!?天王寺に南海電車が走ってたの!? と驚く人の方が多いかも知れません。 いや… Wikipediaより ほんの10年くらい前ま線路の跡が残っていたので、知っている人も多いかな!? 全長たった2.4kmの短い路線だったのですが、実は途中駅の変遷が激しい路線でもありました。 (今昔マップより、1974年の地図) 戦後の停車駅は、「いまいけ」こと阪堺線の今池停留所の下にあった「今池町」のみとなっていますが、戦前

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    yaneshin 2023/09/04
    家屋台帳を個別に当たるのは大変だったと思います。 執念ですね。
  • 「この世界の片隅に」と呉の朝日遊郭|おいらんだ国酔夢譚 番外編|

    呉を舞台にした漫画・アニメ「この世界の片隅に」には、呉にあった朝日遊郭がサラッと出てきます。 呉に来たからには、ひとり遊郭赤線調査兵団としてここの遊郭でも調べようかしらん…と思ったものの、「この世界の片隅に」が有名になってかみんな書いてる…こりゃタイパ悪いなといったんはスルーしました。 が、実際に「この世界の片隅に」を見てみると、 筆者 これはネタになるな とあっさり方向転換。アニメとの絡みの時代考証という形で書いてみるのも良き、とサラッと書いてみることにしました。結果的にサラッとならなかったのが、私のいつものあるあるですが(笑 というわけで、今回はそのまま「この世界の片隅に」と呉にあった遊廓、朝日遊郭との絡みについて書いていきます。 まずは、題に入る前に、少し朝日遊郭の歴史についてサラッと書いてみます。 …いや、今回は当にサラッとです(笑 呉朝日遊郭略史 呉鎮守府 明治22年(188

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    yaneshin 2023/08/29
  • 呉の大和の目かくし塀(目隠し板)ー「この世界の片隅に」聖地巡礼

    広島県呉市、瀬戸内海の重要な造船基地であり、明治時代からの軍港の町であります。 江戸時代はどこにでもある瀬戸内海の寒村だったのですが、近代海軍の軍港として有望として開発さ 陸軍の広島とともに、広島県軍都の両輪のような歴史を歩んできました。 その発展ぶりは、平安京のように碁盤の目状に整備された広い道筋として現在も残っています。 その呉を舞台にした漫画・アニメがあります。『この世界の片隅に』です。 一人の若い女性の視点から戦争中の広島・呉であった日常物語で、私もアニメを見ましたが、戦争の悲惨さより、主人公のすずののんびりとした性格から来る、慌ただしくもゆったりとした時間の流れの方が私には感じられました。 『この世界の片隅に』では、今で言う天然ボケの「不思議さん」、すずが方向音痴で遊郭に迷い込んでしまい、遊女に助けてもらうシーンがあります。 呉は軍港、海の男のための遊郭が当然ありました。 せっか

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    yaneshin 2023/08/29
  • 広島の「被爆トイレ」ー本川公衆便所

    広島といえば、原爆ドームに… 平和記念資料館(原爆資料館)。 ここに来るには中学の卒業旅行以来、広島まで旅に来た目的のメインでした。 が! G7以後の外国人観光客の殺到にお盆が重なり、中に入るだけでも3〜4時間かかりそうな人・ひと・ヒトの行列に私は戦意を喪失し、さっさと退散。外は朝でさえ30℃越え、最高36℃の予報の中で並んだら、中に入る前に熱中症で倒れるわ。 しかし、こんなことは想定済み。混んでて入れない時のために「プランB」を用意し、足は資料館の川向かいへ。 そこに、ひっそりとたたずむある建物が存在します。 たかが便所!されど便所!川沿いにある「被爆トイレ」 一見、何気ない、ホントにどこにでもありそうな公衆トイレなのですが、これ実は… 被爆建物なのです! つまり、昭和20年(1945)8月6日午前8時15分、広島上空で原爆が炸裂した時にはここにあったトイレなのです。 外観は、タイルが

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    yaneshin 2023/08/19
    私も知らなかったです。 何気ないものに実は歴史があったというのはよくある話ですが、それが見つかるとワクワクするのが歴史好きの性ですね。