タグ

ブックマーク / yonezawakoji.com (254)

  • 新型コロナウィルスと正常性バイアス

    京都産業大学の学生が海外旅行へ向かい、帰国後に帰郷した先で感染を広げたと批判が殺到していたのは、記憶にそれほど古くないと思います。 また、こんなツイートもありました。 京産で10人以上のコロナ一斉感染があって、関西学生のみんなも他人事じゃないことが分からへんのかな。 さっき飲み会の中止を提案した時に言われた「じゃあ春樹は来んかったらいいやん」にはさすがにビックリした。 周りのことを考えない、自分のことすらまともに考えられないそんな大学生は嫌いです。 — 浜出春樹(はるまき) / Addrust (@harumaki___24) 2020年3月30日 予期せぬ災害が起こった時、みんな慌てて逃げようとする…映画かドラマにありそうなシーンですが、実際は 「自分は大丈夫!」 と事を過小評価し、結果的に「何もしない」ことが多いといいます。 これを、「正常性バイアス」と言います。 正常性バイアスとは何

    yaneshin
    yaneshin 2020/04/01
  • 灘町・花園町遊郭(鳥取県米子市)|おいらんだ国酔夢譚|

    山陰の都市の一つである米子は、鳥取県第二の都市ながらその歴史は古く、戦国時代の前から「米子」という地名があったと伝えられています。 ここに人が集まったのは江戸時代から。一時期は米子藩が置かれていましたが、結局鳥取を治める池田氏の家老、荒尾氏が治める領地になり、江戸時代は商業都市として栄えた所でした。鳥取県を日全体に例えると、鳥取市が東京に対し、米子は大阪や博多のような感じかと思います。それだけに、人々も全体的に明るい。 鳥取藩時代には、『鳥取県史』の資料によると公娼は認められていなかったとされています。しかし、明治5年にはすでに米子や境港には遊郭があったと記されております1。鳥取県が県として出した初めての売春防止条例が布告された時点で遊郭があったということは、おそらく江戸時代には存在していたと私は推定しています。 この二つの街の共通点は、金・モノ・人が集まっていたということ。やはり人が集

    yaneshin
    yaneshin 2020/03/28
  • 淡路島の桜と忠魂碑-淡路島に残る英霊たちの面影

    今年も「サクラサク」の季節になってまいりました。 Twitterのタイムラインをボケっと見ていても、ところどころで桜の開花の報告を見ることができます。今年は残念ながら、コロナの影響で花見はお預けになる人が多いと思いますが、一年くらい花見をしないからって死ぬわけではありません。 夜になると一気に寒くなるので、まだ格的な春とはいかないですが、もう春はすぐそこまで来ています。 兵庫県はタマネギ島…もとい淡路島。そこに桜が似合うある場所が、島の一角にあります。 淡路島一、桜が似合う場所ここは南あわじ市のあるところ。ここも桜が満開になっていますが、奥に何かがあります。先へ進んでみると、 何かのモニュメントが見えてきました。 天を突くかのような長細いモニュメントが。これは、一体何なのか。 私が数年前に淡路島に来た時に、まず目に止まったのがこれでした。明らかに何かを模した、そして明らかに周囲から浮いて

    yaneshin
    yaneshin 2020/03/27
  • 天王新地(和歌山県和歌山市)|おいらんだ国酔夢譚|

    遊郭・赤線跡探索がライフワークとなっている私ですが、興味の範囲はあくまで歴史であり過去。「現役」には見向きもしません。若いときはそんなことなかったんですが…とそういう話をしたいわけではないですが、オスとしての機能をほぼ放棄した身なので、和歌山県にいくつ「現役」があるのか、それはわからないし興味もありません。 そんな私でも、和歌山県で唯一知っている場所があります。それが今日のお題、天王新地です。 天王新地の歴史「業態者集団地域ニ関スル調」という、内務省衛生局1の資料(復刻版)が、私の手元にあります。 衛生局なので花柳病(性病)の蔓延の実態調査報告なのですが、業態者集団地域=性病危険地帯=私娼窟。事実上の私娼窟リストとなっているのが、この資料の大きな個性です。 遊郭の資料は、公の廓だけあって探す努力さえ怠らなければ、様々な形で見つけることができます。 そうして見つけた資料の断片的な情報を、パズ

    天王新地(和歌山県和歌山市)|おいらんだ国酔夢譚|
    yaneshin
    yaneshin 2020/03/25
  • 禁煙2ヶ月達成したから言える!禁煙のメリット&デメリット

    禁煙のメリット・デメリット時間が増えた時間は24時間。誰でも平等だけれども、1日が2~3時間増えた気がします。 私がタバコを吸う時間は、実際に測ってみたところ平均で約4分。1日に吸う数を約30として計算すると120分、ちょうど2時間。これは感覚的な「2~3時間増えた」ということと一致します。 ただ、私が感じた「2~3時間増えた」というのはただの錯覚で、1日24時間は絶対的に変わらないので、正しくは「タバコを吸っていた時間が手持ち時間となった」ということだけなのですけどね。 朝の目覚めが良くなった禁煙翌日くらいから自覚します。 朝のアラームが鳴った時に、反応が著しく違います。 禁煙前: 「あー、もうあと30分寝させて…いや、10分でもええから~」 と布団の中でグズグズしている。 禁煙後: 「シャキーン!(と飛び上がって)おはようございまぁ~す!\(^o^)/」 目覚めが全く違います。おま

    禁煙2ヶ月達成したから言える!禁煙のメリット&デメリット
    yaneshin
    yaneshin 2020/03/24
  • 1990年代の上海に数年だけ存在した!!幻のモスバーガー

    私の大好きなファーストフードの一つに、モスバーガーがあります。ファーストフードにしては、ちょっとお高くつくものの、多い時は週2回以上通うほどお馴染みでした。 ある日、何気にモスバーガーの公式HPの海外店舗を見ていました。モスバーガーはアジアを中心に海外でも店舗を展開しており、中国台湾韓国・シンガポールなどに支店があります。 特に中華圏の店舗を見ていたのですが、特に台湾への進出はかなり早く、私が台湾に住んでいた20年前(1997年)には既に国中に定着し、地元JKのたまり場になっていました。台湾であることを感じさせない、メニューも味もサービスも、そして店の雰囲気も日クオリティそのままでした。 香港は、私が広東省にいた頃は存在しなかったのですが、10年前の2006年に第一号店がオープン。今は各地に19店舗あるそうです。作るんやったら俺が滞在してた時に作ってくれよ~。 モスバーガーは中国にも

    yaneshin
    yaneshin 2020/03/21
  • 奈良県立図書情報館に眠る娼妓たち|おいらんだ国酔夢譚 番外編|

    全国の図書館の蔵書を調べていると、何か琴線というか、インスピレーションに触れるものがあります。それを地道にピックアップしていくということも、ある意味研究の一つなのかもしれません。これもこれで、ネット世界の宝探しのようで面白い。 今回も、3月の連休で調査予定の、出雲伯耆方面の遊里跡のデータを探していると、意外なところから意外なものを発見しました。 大和郡山の遊郭跡訪問を終わり、向かった先がこちら。 奈良県立図書情報館です。 「島根県と鳥取県やのに、なんで奈良県やねん!?」 とツッコミをらいそうですが、話はちゃんと最後まで聞きましょう。 嫌でも現地という丸に突入するのではありますが、「宝」というものは件と関係なさそうな、人の意表を突くような場所に息を潜めていたりするものです。 そして、丸に突入する前に外堀からじっくりと埋めていく。焦らず急がず、じっくり弱火でコトコトと煮詰めていくと、良

    yaneshin
    yaneshin 2020/03/20
    契約文面を読むと副契約書、特約書の他に正契約書あるいは基本契約書のようなものがあったのではと思います。特約書は本来、主契約に付随するものなので。
  • 築約110年!日本一のレトロ学生寮、京大吉田寮に潜入

    かなり前の話になってしまいましたが、京都で行われたあるツアーに参加してきました。 その名は、 「京大の歴史的建造物を探索しようツアー」 京大は構内参観自由なので、ツアーに参加しなくとも一人で見ることは可能です。私も12年前ではありますが、1日かけて京大をゆっくり探索したことがあります。 が、明治・大正・昭和と100年の歴史を持つ建物を建築学の素人が見ても、 「あー、この建物、昔からあるんだなー」 くらいの感想しか抱くことができません。 建物によっては重要文化財に指定されていたりするのですが、何がどう重要文化財級の建物なのか、素人にはやはりわからない。それを建築学のプロに説明してもらおうというツアーでした。 私が参加したのは「前半」でした。京大キャンパスといってもかなり広いので、1日ですべての建物を説明するのは正直しんどい。不可能ではないものの、終わる頃にはガイドする方もされる方もおそらくク

    yaneshin
    yaneshin 2020/03/17
  • 太平洋戦争中、もし戦争反対と言ったらどうなるのか?

    「昭和は遠くなりにけり」 時代は21世紀、平成も終わり時代は令和になりました。 昭和という言葉がますます遠くなり、じきに文化財扱いされるのではないかと、昭和生まれの私はつくづく思います。 しかし、メリットもあります。「昭和」という時代を、歴史学として客観的に見れる時代になったのです。 昭和史という分野は、非常にデリケートな分野でもあります。特に先の戦争のこととなると、当事者の自己弁護や感情論が渦巻き、昭和を手術台の上に載せた解剖学的視点を書くには「それなりの覚悟」が必要でした。 司馬遼太郎が、満ソ国境で起こった「ノモンハン事件」を題材に長編小説を書こうとしていたことは有名です。ノモンハンの取材は、かの『坂の上の雲』の取材と同時進行で進められていましたが、結果的に書きませんでした。 いや、「書けなかった」が正解。 司馬はこう答えています。 「(昭和のことを)書いたら1年も持たずに気が狂って死

    太平洋戦争中、もし戦争反対と言ったらどうなるのか?
    yaneshin
    yaneshin 2020/03/14
    「法と周囲の目でがんじり固めにされていた戦争中の社会で、戦争反対!!などと言える勇気、あなたにはありますか?」←だからこそ、このような状況にさせないためにも、政治への興味は失ってはならないと思います。
  • 大和郡山 旧川本楼(町家物語館)【後編】|おいらんだ国酔夢譚|

    1階を紹介…というより、あまりに長くなりすぎて1階で終わってしまったというのが音ですが、それほどこの川楼、細かい部分に贅が尽くされ、見所が満載なのです。 編は、2階と3階部分を一気に紹介していきたいと思います。 川楼の2階は? ガイドさんの誘導で2階へ向かいます。 2階と3階は実際に「営業」が行われていた「仕事場」でした。階段の奥に見える丸窓が、ムードを盛り上げてくれる演出になっています。 遊郭は大きく分けて遊女が妓楼に住み込んで営業する「居稼ぎ制」と、芸妓や娼妓が所属する基地である置屋から揚屋などに派遣される「送り込み制」があるのですが、ここ「旧川邸」は前者の「居稼ぎ制」で遊女が実際に住み込んでいたようです。 2階の階段を上がり、丸窓を横目にしてすぐにある部屋が、通称「髪結い場」。当に髪結いをしたかどうかはわからないそうですが、そう呼ばれていた部屋とのことです。 ここから見え

    yaneshin
    yaneshin 2020/03/14
  • 架線柱に残る阪和電鉄の遺構たち【阪和線歴史紀行】

    先日、といっても先月ですが、「天王寺駅の怪」で、現在はJR阪和線となっている阪和電気鉄道(以後阪和電鉄)の数奇な歴史を紹介しました。 この私鉄は、ほんの10年強という短命でした。以前にも書いたように、ふつうならとっくに記憶の彼方に放置されていてもおかしくありません。 しかし、その強烈な個性は沿線の人々の記憶に強く残ることになります。 その中の一つの変わり種に、警笛があります。 阪和電鉄の電車の警笛は「(南海と比べて)やさしい音色だった」、和泉市の郷土資料に書かれていた沿線住民の回想です。 「やさしい音色」…ふと思いついたのが、電子警笛やミュージックホーン。でも現代ではなく80年前の話。戦前にそんなものが存在するわけがない。あったらとんだオーパーツです。 私の乏しい想像力では「やさしい音色」がどんなものか、表現どころか想像すらできませんが、一度タイムスリップしてその音色とやらを聞いてみたいも

    yaneshin
    yaneshin 2020/03/12
  • 大和郡山 旧川本楼(町家物語館)【前編】|おいらんだ国酔夢譚|

    旧川楼-大和郡山に現存する元妓楼奈良県大和郡山市にあった洞泉寺・東岡町の両遊廓の建物は、長年の風雪に耐えながらも今日まで生き抜いてきました。が、洞泉寺遊郭は4棟の取り壊しが決まり、東岡町もほぼ放置プレイのまま朽ちるに任されており風前の灯火となっています。 しかしながら、遊郭という負の歴史を抱えつつも、当時の贅と金を尽くしたその造りは、和の神髄と言えるものがあります。 近年、その価値が認められたか、遊郭と言っても元当事者以外は抵抗感もなく、一部ですが元貸座敷の建物を保存しようという動きもあります。 洞泉寺遊郭跡にある、「町屋物語館」という木造3階建ての建物もその一つです。 こちらはかつて「川楼」と呼ばれた貸座敷でした。大正13年(1924)に建てられたこの旧川楼は、戦前戦後を通して妓楼としてその栄華を誇っていました。私が所有する昭和30年当時の業者リストにも、「川」として掲載されてい

    yaneshin
    yaneshin 2020/03/10
  • ロシア モスクワ地下鉄の4つの強烈な個性

    街を走る交通手段も、旅の楽しみの一つでもあります。 大都市に行ったらまず必ずと言っていいくらい、地下鉄が走っています。この地下鉄が、各都市によってけっこう個性があり、観察していると面白い。世界の地下鉄を回るだけで人生を費やしても損はない。 世界の地下鉄の中でも、路線がややこしいのはニューヨーク、ロンドン、パリ、東京と言われています。 単純キロ数だけなら、東京は中国の上海はおろか、韓国のソウルより営業キロが短いのは意外かもしれません。あんなに路線があちこちにあるのに。 東京(東京メトロ+東京都営):304.1km ソウル地下鉄(3社合わせて):313.9km 上海:330.0km =参考= ニューヨーク:374.0km ロンドン:408.0km(世界最長) パリ:201.8km (日地下鉄協会のHPより) しかし、「ややこしさ」にかけてはおそらく東京は世界一。 何故かと言えば、ほとんどの路

    yaneshin
    yaneshin 2020/03/08
    海外の地下鉄面白いですよね。以前、パリの地下鉄に乗ったときは子供のスリ集団に囲まれたことはありましたがなかなか楽しかったです。
  • 東岡町遊郭(奈良県大和郡山市)|おいらんだ国酔夢譚|

    大和郡山市には、かつて二つの遊郭が存在していました。 一つは洞泉寺遊郭、寺社の門前町として発展した遊郭です。まるで遊里が遊離した抜け殻のように妓楼が残っていたのですが、先年の台風で空き家となっていた元妓楼が倒壊の危険があると取り壊しになり、在りし日の抜け殻っぷりは見る影もありません。 こちらの遊里については、記事の巻末にリンクを貼っておくのでそちらからどうぞ。 そして今回の主役は、大和郡山のもう一つの遊郭、東岡町のお話。 東岡町遊郭の歴史洞泉寺遊郭と同じく、東岡町の色街もいつ成立したのかははっきり書かれておりません。下記のとおり明治初期にはすでに存在が確認されているので、おそらく幕末~明治初期かと思われます。 洞泉寺に同じく、いちばん古いデータは『大阪府・・・統計書』(!)からの明治初期のものになります。数は東岡町の方が栄えているように思えます。昭和初期に発行された雑誌『上方』掲載の「大

    yaneshin
    yaneshin 2020/03/07
  • 大江ビルヂング(大阪市北区)【近代建築これくしょん】

    所は大阪市北区。地下鉄の駅で言うならば淀屋橋駅と梅田駅の間の界隈をブラブラ歩いていると、こんな素敵な建物を見つけました。 大阪市内には戦争の空襲の衝撃や猛火にも耐えた、大正時代から昭和初期、たまに明治時代に建てられた、レトロな香りがする建築がけっこう残っているのですが、これもその一つに違いない。 名前は、 グンヂルビ江大 …なわけがない。これじゃ日語になってへんし。当然ながら、 大江ビルヂング 右から読むとビルの名前になります。 「ビル」というと、我々戦後の世代は何十階建ての垂直に建つ高層ビルを思い浮かぶことが多いです。これは和風のような洋風のような、なんだかどう表現してええのか言葉に困る、独特のたたずまいをした和洋折衷「ビルヂング」であります。 「ビル」でもなく「ビルディング」でもなく、「ビルヂング」というところがなんとも時代を感じます。 それより、右読みだけで相当レトロな雰囲気を醸し

    yaneshin
    yaneshin 2020/03/07
    大阪の著名な法律事務所はたいてい「西天満」にありますね。一際目立つ弁護士会のビルも建ってます。(笑)
  • 子曰く!恋する乙女のための中国古典のことば十選

    実は、ブログネタの一つとしてある構想を練っていました。それが 「中国古典の言葉で紐解く恋バナ」 要は、 「中国古典?そんなのつまんない」 というJKが目を輝かせて聞いてくれる中国古典ネタということです。 中国古典とイメージするものは、やはり 「子曰くうんぬん」 と、爺さんが堅苦しい言葉を並べ、お説教するようなイメージが強いと思います。 確かにそういうものもあります。 が、今に残る中国古典の言葉は、数百年から数千年の風説に耐え、磨きに磨かれた宝石のような人生訓、人間学の結晶なのです。取るに足らない書物なら、そもそも数千年も残ってません。 中国の古典は、今残っている10倍はあったと言われています。 しかし、戦乱や資料の散逸(目録だけ残っている)、そして「危険思想」として時の権力者に消されたりして、残ったのは今に伝わるものだけなのです。 中国古典は人間学のエキス。なので何にでも応用できます。読み

    子曰く!恋する乙女のための中国古典のことば十選
    yaneshin
    yaneshin 2020/03/04
  • 大和郡山の洞泉寺遊郭、山中楼を見学しました

    奈良県大和郡山市の洞泉寺遊郭跡。贅を尽くした外観の元妓楼が当時の繁栄をしのばせていたのですが、先日、老朽化した元貸座敷の取り壊しが決定して訪問しました。 さて、すべて写真に撮ったしもう心残りはない…と思った矢先、Twitterのフォロワーさんからこんな情報が。

    yaneshin
    yaneshin 2020/03/02
  • 阪和射撃場-阪和電鉄幻の施設が今ここに明かされる【阪和線歴史紀行】

    現在、関西空港へのアクセスラインとして大車輪の遅延騒ぎを起こし…は今や昔、JR西日のドル箱路線として活躍している阪和線。昔は「阪和電気鉄道」、略して阪和電鉄という私鉄でした。 当時の経営陣は、ネタを残すために経営していたわけではないはずですが、阪和電鉄がこの世から姿を消して75年、こうして後世によって愉しくネタにされております。 そういう意味では、その努力は決して無駄ではなかったと思います。実質たった10年しか存在しなかったのに、こうして記憶として残っているのだから。 阪和電鉄の伝説といえば、暴走「超特急」が有名ですが、そんなの飾りです偉い人にはそれがわからんのです…ではなく、阪和電鉄伝説の真骨頂は、多角的な、あまりに多角的すぎた経営。 当時の私鉄では常識となった住宅地設営はもちろんのこと、 夏真っ盛りの海水浴場に人気漫才師を呼び、 冬には兎狩りツアーを行い、 「いも掘り」やら「松茸狩り

    yaneshin
    yaneshin 2020/02/29
  • 洞泉寺遊郭〈又春廓〉(奈良県大和郡山市)|おいらんだ国酔夢譚|

    金魚の町、大和郡山。その歴史は江戸時代までさかのぼりますが、郡山藩15万石も置かれたこの町にも、遊郭は存在していました。 大和郡山には、遊郭が2ヶ所ありました。洞泉寺遊郭と東岡(町)遊郭ですが、この記事はその一つ、洞泉寺町にあった遊郭のことのことを採り上げていきます。 洞泉寺遊郭の変遷『ふるさと大和郡山歴史事典』1によると、洞泉寺は天正9年(1581)に宝誉という僧侶が作った洞泉寺を、天正13年(1585)に郡山に移したのが始まりで2、それがそのまま町名になっています。 郡山の傾城(遊郭)は、元は別のところにあったと言われています。江戸初期の藩主水野信之がそれを洞泉寺界隈に移したものの、次代藩主松平忠明が廃止にしたという話が『郡山町史』に書かれています。 その跡地はいったん田畑になったものの、それがいつの間にか廓として繁盛し、19世紀初め頃には6軒の店があったことが確認されています。おそら

    yaneshin
    yaneshin 2020/02/26
  • 二・二六事件秘話 渡辺錠太郎-一兵卒が大将になった話

    yaneshin
    yaneshin 2020/02/25