新町遊郭新町と言えば、規模こそ松島や飛田には及ばなかったものの、古さと格式にかけては東の横綱吉原に負けないほどの超老舗。西の張出横綱的な位置に君臨していました。 今も地下鉄四つ橋線の四ツ橋駅の北に「新町」の地名が存在していますが、そこの1~2丁目の場所にありました。 昭和17年(1942)の航空写真ではこうなっていますが、戦争が終わった後はどうなったでしょうか。 終戦から3年後の昭和23年(1948)の航空写真ですが、新町の名物でもあった演舞場建物のでこなど一部の建物を除いて、昭和20年3月の空襲でほぼ焼き尽くされました。松島と同じく「消失」でした。 堀江遊郭は、その新町の長堀川を隔てた向かいにあった遊里で、遊郭となっているものの昭和初期には芸妓が圧倒的多数を占める花街でした。 その堀江遊郭も、新町と同日に「消失」となり、焼け野原となっています。 同日の空襲で、現在の南海難波駅の北側から道