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百田尚樹と歴史に関するyosi0605のブックマーク (2)

  • 『日本国紀』監修者・久野潤氏の問いかけに答える

    『日国紀』問題で久野潤氏から再反論があった。 『日国紀』論争、久野潤「呉座氏は私の問いに真摯に答えよ」(iRONNA) 真摯に答えよとのことなので、私の考えを述べておく。泥仕合にしたくないので、なるべく簡潔に答えようと思う。 匿名の批判をどう考えるか 久野氏の反論は多岐にわたるが、主要な柱の1つは「ネット上での匿名の批判を相手にしない」という自身のスタンスの正当性を改めて唱えた点だろう。ネット時代においては、著名人に多数の匿名の批判が殺到するので、全ての批判にいちいち対応できないというのは、私も痛感するところである。 しかし、久野氏の勤務先である大阪観光大学を揶揄するといった中傷を除くのは当然として、議論する価値のある主な批判を選んで反論することはできるのではないだろうか。久野氏は匿名の批判者は揚げ足取りや人格攻撃ばかりしているかのように語るが、実際には『日国紀』の内容を真剣に検討し

    『日本国紀』監修者・久野潤氏の問いかけに答える
  • 『永遠の0』の何が問題なのか?

    先月に一時帰国した際、評判の映画『永遠の0』を観ました。また、小説も評判であるというのでこちらも読みました。どちらもプロの仕事であると思います。技術的に言えば、ストーリー・テリング(物語の展開)だけでなく、セッティングやキャラクターの造形、そして何よりも時空を超えた大勢のキャラクターが、物語の進行とともに「変化していく」効果が見事です。 キャラクターの「変化」というのは、「成長」したり「相互に和解」したり、あるいはキャラクターに「秘められていた謎」が明かされたりしてゆくという意味です。そうした効果を、時空を超えた複数のキャラクターを使って、しかも2000年代と第二次大戦期という2つの時間軸の中で実現している、そのテクニカルな達成はハイレベルだと思います。 更に言えば、老若男女の広範な層にまたがる読者あるいは観客は、多くのキャラクターの中から自分の感情を投影する対象を見出すことができるように

    『永遠の0』の何が問題なのか?
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