▼ 科学の「コレジャナイ性」について書きたいんだけど、いまいち良い例を思い出せない。 科学の俎上に載る前の問題意識と言うのは大抵はどこか漠然としていたり混乱していたりする。 それがきちんとした科学の上に乗るためには操作的に再定義されなくてはならない。しかし何であれXXについて定義することは、「XXとは何か」と問うことを止めて「XXはYYと定義されている」と断定することだ。 ただし、良い定義と悪い定義はある。良い定義を手に入れることは難しい。 科学史とはまさにそう言うことなんだけど、良い例を思い出すことができない。(こういう概念史は不正確な引用ではだめだから。) で、科学ではないけど、 「ジョン・メイナード・ケインズ『雇用、利子、お金の一般理論』解説」(by Paul Grugman)はちょうど良い例になっていると思う: ここでいう「知的な制約」というのはいま言っている 「俎上に載る前の漠然