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思想と社会に関するyucoのブックマーク (2)

  • 共通善は希望たりうるか

    最近、講義を含めいろんな場面で政治社会や民主主義について考える機会が増えて、どうしたものかと思っていた折に出版された、宇野重規『〈私〉時代のデモクラシー』を週末に読んだ。冒頭から面白いのは、「このは、〈私〉という視点からデモクラシーを考えるです」と書いてあるのだが、その〈私〉に「わたし」とルビが振られていることだ。もちろん、「私」は「わたくし」と読むのだ、などと国語の先生みたいな突っ込みをしたいわけではない。そこに、こののテーマが端的に表れているのだ。それはすなわち、公的な場面で自分を語る一人称としての「わたくし」ではなく、私的な一人称としての「わたし」が、「私」の内実になっており、それがデモクラシーの前提になっているのが、〈私〉時代なのだ、ということだ。 書の前半は、なぜその〈私〉感覚が広がり、問題を生んでいるのかが論じられる。ここで著者は、社会学者が「個人化 Individua

  • ウヨ曲折 - 偉愚庵亭憮録

    ニュース23の愛国心特集をチラ見。 まあ、予想通り。 というよりも、あまりにも陳腐な展開にあらためてびっくりいたしました。 香山リカの言う「プチナショナリズム」は、「プチナショナリズムと言ってみたかっただけちゃうんか」というレベルのおとぎ話だと思う。 たしかに、ネット右翼という現象はあるし、全体として、現代の若者が「右傾化」しているのは事実だ。 が、現在あらわれている「右傾化」は、必ずしも「反動化」や「保守化」ではない。 というよりも、ここで言う「右傾化」は、従来の区分でいうところの「右翼」「左翼」とは無縁な座標軸の上で起こっている現象であって、とすれば、正確には「右傾化」ではない。 あえて名付けるなら「強硬化」「粗暴化」ぐらいな傾向だと思う。 以下、うまくまとめる自信がないので、箇条書きにする。 まず前提。 従来の(つまり昭和時代の)枠組みでは、右翼とは「反共的」「国粋的」「保守的」「伝

    ウヨ曲折 - 偉愚庵亭憮録
    yuco
    yuco 2008/07/15
    こう説明されるとなんかすっきり。ってもう3年前の記事なのね
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