『新潮』の矢野優編集長も書いているが、以前にも触れた小説家、水村美苗の『日本語が亡びるとき』(筑摩書房)が読書人の間で話題になっている。副題は「英語の世紀の中で」。乱暴に要約すると、インターネットの時代たる現代では、英語のひとり勝ち状態が続いている。ラテン語や漢文などかつての「普遍語」は英語に取って代わられ、近代に成立した「国語」の地位も危うい。「叡智を求める人」は普遍語=英語を直接読み書きするようになり、それとともに非英語圏では「国語」と「国民文学」の終わりが始まっている。大量消費社会の中で書物は廉価な「文化商品」となり、いまや、広く読まれる小説といえば、つまらないものばかりになってきている。 国語と国民文学の成立についての、水村の立論と分析は鮮やかである。小説家の池澤夏樹も、『毎日新聞』に「こんな明快な論には初めて出会った」と記しているほどだ。少数しか理解できなかった「普遍語」の書物