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歴史と学問に関するyucoのブックマーク (2)

  • 日本の外国文学研究が滅びるとき - 内田樹の研究室

    水村美苗さんの話題作『日語が亡びるとき-英語の世紀の中で』を鹿児島への機内で読了。 まことに肺腑を抉られるような慨世の書である。 『街場の教育論』で論じた日教育についての考えと通じるところもあり、また今書いている『日辺境論』の骨格である、日はユーラシア大陸の辺境という地政学的に特権的な状況ゆえに「政治的・文化的鎖国」を享受しえた(これは慶賀すべきことである)という考え方にも深いところでは通じているように思う。 とりわけ、「あらまあ」と感動したのは、「アメリカの植民地になった日」についての考察である。 明治維新のときに欧米帝国主義国家がクリミア戦争や南北戦争や普仏戦争で疲弊していなければ日は欧米の植民地になっていただろうということを言うひとは少なくないが、「植民地になって150年後の日」についてまで SF 的想像をめぐらせた人は水村さんをもって嚆矢とするのではないか。 「たと

  • ララビアータ:源氏物語の鑑賞態度 - livedoor Blog(ブログ)

    いつも拝読しているブログで、『源氏物語』の光源氏に共感して読むのが難しいというご意見を読んだ。以前、紀要論文(『自由人の教育』)において論じたことがあるが、『源氏物語』は近代小説として鑑賞する事はできないという事、それとは違った鑑賞態度が必要である事を、かいつまんで論じてみたい。 以前ある若手の小説家と話す機会があったとき、彼が『源氏物語』は嫌いだと言うのを聞いて、少し意外の感に打たれたことがある。というのは、彼は小説の中でも、実生活においても、女性のファッション・アイテムに異常なこだわりを示す人であったから、『源氏物語』の装飾的小物への細かい趣味に対しても、関心を持ちそうに思われたからである。ひょっとしたら、実際には『源氏』をほとんど読んでいなかったのかもしれない。最近の小説家(や文学者)には、あまりなど読まずに小説を書いたり、批評する人も多いからである。 まず補助線として、狭義の「ク

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