今回はナチスドイツ時代を舞台にした小説2冊について取り上げます。 極力ネタバレしないように努力しますが、多少内容に触れる箇所がありますのでご了承下さい。 ①佐藤亜紀著『スウィングしなけりゃ意味がない』(以下①) ②深緑野分著『ベルリンは晴れているか』(以下②) ①は第二次世界大戦中のドイツが舞台。当時敵性音楽とされたスウィングに魅了された少年の物語。モチーフになっているスウィング・ボーイズは実在したそうな。 一方②は第二次世界大戦後、1945年8月のドイツを現在として話は進みます。両親をナチスドイツに殺された少女・アウグステが主人公です。主な舞台は戦後ですが、幕間としてアウグステの過去、つまりナチスドイツが現れる辺りから戦時中にかけても描かれているので、実質ナチスドイツ時代がテーマと言っていいでしょう。 両者とも読後は(異論もあるかと思うが)爽やかな印象も受けるが、それぞれの主人公が辿った
二十世紀初頭、貴族階級の落日を告げるヨーロッパ情勢を背景に、ひとつの肉体にふたつの精神を宿す異色の双子が波瀾(はらん)万丈の半生を回想した『バルタザールの遍歴』で、佐藤亜紀がデビューを果たした一九九一年の衝撃は今も忘れられません。小説に求められる魅力のすべてを持ち合わせた、世界文学クラスの才能の出現に度肝を抜かれ、欣喜雀躍(きんきじゃくやく)したのを、つい昨日のように思い出すことができます。 それから幾星霜、発表作すべてが傑作であるにもかかわらず、佐藤氏が日本の出版界においてその才能に見合った扱いを受けているかといえば、否。トヨザキは無念でなりません。 近年でいえば…。中世と近代、野蛮と文明、迷信と理性、地主制度と資本主義。さまざまな対立項を吸血鬼譚(たん)を生かした物語の中に織りこみながら、誰もが誰かの血を吸い上げている世界の無残さを浮かび上がらせた『吸血鬼』(二〇一六年)は、語りのテク
本作中盤のクライマックス、ハンブルク大空襲。(雑誌「アラザル」vol.10掲載の佐藤亜紀さんインタビューによると、第二次大戦中ドイツへの爆撃で発生した瓦礫の、約1/10の量がハンブルクから出たそうな。)その描写はすさまじいが、空襲はハンブルクを徹底して破壊するとともに、なにより、エディを決定的に変質させてしまう。 死の都、とマックスが言ったもの そのものではないとしても、ごく近い何かが目の前に現れる。確かに何かが死んだのを、ぼくは感じる。ハンブルクはもうぼくの知っていた町ではない。それどころか、ぼくの知っていた僕も死んでいる。これは誰か別の人間か―でなければ死人のぼくだ。 (文庫版296ページ) 叔父も来ていた。親父とお袋が死んだことを告げても、さしたる反応はなかった。 「そうか、うちは女房と娘が死んだ」 ぼくは叔父がおかしくなったんではないかと思ったが、それを言うなら自分もいい
世の新刊書評欄では取り上げられない、5年前・10年前の傑作、あるいはスルーされてしまった傑作から、徹夜必至の面白本を、熱くお勧めします。 ◆ ◆ ◆ 祖国に身を捧げろって。ははっ、まっぴらごめんだ。 『スウィングしなけりゃ意味がない』(佐藤亜紀 著) 佐藤亜紀『スウィングしなけりゃ意味がない』は第二次世界大戦下のドイツを舞台とする戦争小説である。戦争とは国家と個人の関係が端的な形で表れる事態のことだ。人間らしく生きることが許されない世界のくだらなさが、最も自由を欲する年代である若者の視点から描かれていく。 物語は一九三九年のハンブルクから始まる。戦時色が強まる中、十五歳のエドゥアルト(エディ)・フォスは仲間たちと享楽の日々を送っていた。軍需会社経営者を父に持つ者にとっては兵役も他人事だ。邸では連日宴を開き、頽廃音楽であるジャズに耽溺する。彼らスウィング・ボーイズが背後から迫る不吉な足音に気
佐藤さとう亜紀あきさんの新作は、スウィング・ボーイズが題材らしい。そう聞いた時、私はそれはもう興奮した。以前から、佐藤さんが第三帝国時代を書いてくださったらなあ……とひそかに(熱烈に)願っていたし、しかもスウィング・ボーイズである。さすが! と声が出た。これはもう傑作まちがいなし、と発売を心待ちにしていた。 実際はもう傑作どころの話ではなく、しばらくの間、会う人ごとに勧めていた。今も、この文庫を手にした方ひとりひとりに、おめでとうございますと言いたいぐらいだ。 私が佐藤作品に出会ったのは、デビュー作『バルタザールの遍歴』が発売された時だった。書店でただならぬオーラを放っていた本を購入し、夢中になり、幻惑され、最後に茫然ぼうぜんとした。そして思わず著者が日本名であることを確認してしまった。なにしろ、滅び行く西欧の貴族社会を、「外」から書いている気配が全くなかったのだ。私たちには様々なフィルタ
スウィングしなけりゃ意味がない [著]佐藤亜紀 ナチスは、青少年を教化し愛国心を育てるため、ヒトラー・ユーゲントを組織した。だがナチス的な規律や美徳に反抗する少年少女もいたようだ。この史実をベースにした本書は、ナチスが「退廃音楽」として排斥したジャズに熱狂する若者たちを描いている。 1940年代初頭、ドイツの都市ハンブルク。軍需会社社長の御曹司「ぼく」は、スウィング・ジャズ愛が高じて英語風の愛称エディを名乗り、カフェで仲間と遊ぶ毎日を送っていた。 アメリカの黒人文化が生んだジャズが大好きなエディは、アーリア人の優越を唱え、ユダヤ人や黒人を劣等民族とするナチスの方針などどこ吹く風、人種的な偏見がない。それどころか、ユダヤ人が何代もアーリア人と結婚し続ければユダヤ人と見なされなくなり、純粋なアーリア人でもユダヤ教に改宗すればユダヤ人になる法律を、ナンセンスと嘲笑(あざわら)っているのだ。 ここ
人形表象による内面表現を切り口に、新しい文学論の構築を目指す。研究と日常、わんことの生活、そしてブックレビュー。 こんばんは。 ずいぶん遅くなってしまいましたが、『スウィングしなけりゃ意味がない』レビューの続き、書きました。 何だか結局まとまらなかったんですが、とりあえず今回でおしまい、です。 その1 その2 ****************************** 4.地下と裏庭――穴掘りは得意 ところで湖沿いの家は地形上どうもみなそうなっているようだが、エディの家の地下室は、防空壕になっていて、裏庭に通じている。かつて仲間たちがジャズのレコードを聴きながら、芝生の上に置いたデッキチェアに座り、あるいはパンチを飲み、あるいは水面で戯れた裏庭だ。この地下室と裏庭で、エディがエヴァと踊り、両親が亡くなり、両親を埋め、両親を改葬させた後には金を埋める。 エディとエヴァが一緒に踊る場面を見て
人形表象による内面表現を切り口に、新しい文学論の構築を目指す。研究と日常、わんことの生活、そしてブックレビュー。 以前記事を書いたときからずいぶん時間が経ちました。 ようやく記事を更新しようと思うのですが…、今回もちょっとまとまりがつきそうにないので、また続き書きます。 前回の記事 2.空から降ってくるもの ハンブルクの空襲場面、空襲による炎と、それによる煤を含む黒い雨が描かれる。水の描写に注目したとき、空襲後、おそらく炎による気圧の変動や空気の流れ 防火性の堅い胡桃の中身を燃やすにはどうすればいい? 彼らはまず殻を叩き割る。(中略)そこに、真っ白く火を噴くアルミニウムと酸化鉄とケロシンの混じった燃える液体を浴びせ掛ける。家々の柔らかい中身は燃え上がる。(中略)燃える液体が路上に広がると、アスファルトまで融けて燃え始める。液体は燃え上がりながら壁を伝って流れる。熱せられた空気の中で全ての炎
【書評】『スウィングしなけりゃ意味がない』/佐藤亜紀・著/角川書店/1800円 【評者】与那原恵(ノンフィクションライター) この小説の舞台はドイツ・ハンブルク。一九三九年から、戦争が進行する日々を十代の少年エディの目を通して描いていく。タイトルがデューク・エリントンの名曲からとられているように、物語を貫くのは、敵性音楽として排斥されたジャズの躍動的な音、および多様性を尊重するジャズの精神というべきものだ。 エディは、軍需会社経営者の御曹司。ブルジョア階級に属する彼は、ジャズに熱狂する悪ガキグループの一員である。おしゃれをして、夜な夜なクラブに集い、ジャズに酔いしれて踊る、そんな日々を過ごしていた。 ナチス体制下のドイツでは、若者たちをファシズム体制に順応させるべく組織された「ヒトラー・ユーゲント」が知られる。けれども画一的な価値観に同調しない若者たちも多くいて、エディら登場人物たちの設定
トップ > Chunichi/Tokyo Bookweb > 書評 > 記事一覧 > 記事 【書評】 スウィングしなけりゃ意味がない 佐藤亜紀 著 Tweet 2017年5月14日 ◆非政治性を貫く格好よさ [評者]須賀しのぶ=作家 格好いい。主人公たちが頻繁に口にする言葉こそが、この小説の心臓だ。 ナチス時代、若者による抵抗運動はいくつかあるが、この小説の題材となっているスウィングボーイズは、他の組織とは明確に異なる一面を持っている。定番のビラ配りや、ナチスの青年組織であるヒトラー・ユーゲントへの抵抗といった積極的な運動は一切しない。彼らはただ、ナチスに頽廃(たいはい)音楽の烙印(らくいん)を押されたジャズに熱狂しているだけだ。理由はただ「格好いい」から。一方で、ナチスと彼らが押しつけるものはダサさの極みだと忌み嫌う。 スウィングボーイズの多くは、いわゆる良家の不良少年だ。主人公エディも
人形表象による内面表現を切り口に、新しい文学論の構築を目指す。研究と日常、わんことの生活、そしてブックレビュー。 こんにちは。久しぶりに本の話題です。 佐藤亜紀さんの新刊『スウィングしなけりゃ意味がない』(角川書店、2017年)について。かなり好評を博しております。 タイトルからも分かる通り、ジャズが重要なテーマとなっており、ハンブルクの空襲やナチスのユダヤ人政策など、様々な観点から考察することが可能です。…が、ご本人が参考文献もあげておりますし、そちらの方面からの考察は得意な方にお任せし、私は、湖や雨、空から降ってくるもの、空襲の炎などに注目して考察します(長くなりそうなので、今日は水のイメージのみ)。 ****** 1.水の都 言わずと知れた世紀末ロマン文学に、ローデンバッハの『死都ブリュージュ』がある。亡き妻に酷似した踊り子にのめり込む主人公が、最終的に彼女の首を絞めて殺すという、そ
(角川書店・1944円) 現在に通じる「戦争時計」の音の反復 評者は小学生の頃にベニー・グッドマン楽団の名曲中の名曲「シング・シング・シング」を初めて聴き、ジーン・クルーパのドラム・ソロに熱狂して、そのレコード(といっても、当時の廉価なビニール盤)をそれこそすり減るほど何度も何度もかけたという経験を持つ人間である。必然的に、本書の『スウィングしなけりゃ意味がない』という題名を見ただけで、「ドゥ・ワッ、ドゥ・ワッ」と間(あい)の手を入れたくなりながら、矢も盾もたまらずに飛びついた。そして予想どおりに、その期待はまったく裏切られなかった。 一九四〇年前後、ナチス政権下のドイツには、敵性音楽であるはずのジャズにうつつをぬかす、金持ちのお坊ちゃんたちが大勢いた。彼らはスウィング・ユーゲント、あるいは自称スウィング・ボーイズと呼ばれた。これはなんとも魅力的な題材であり、たとえば彼らスウィング・ボーイ
今週の新刊 ◆『スウィングしなけりゃ意味がない』佐藤亜紀・著(角川書店/税別1800円) 心躍る小説だ。1940年代、ナチス政権下のドイツ・ハンブルク。独裁の魔手が支配する空気の中、悪ガキたちが夢中になったのは、なんとジャズであった。 佐藤亜紀『スウィングしなけりゃ意味がない』は、著者名を隠せば、ドイツ発の翻訳作品かと思うぐらい筆致はリアルだ。裕福な家の子どもエディを語り手に、ピアノの天才マックス、男の子みたいなクラリネットの名手アディなど、元気な中学生たちが小気味いいほど暴れまくる。 なにしろ、酒にダンス、不純異性交遊、そして禁制音楽と、青春を謳歌(おうか)する姿は、戦後のアメリカの若者みたい。彼らの奔放な姿を通して、著者は人々を縛り抑圧するナチス政権を嗤(わら)い、批判する。これは新しいナチス文学なのだ。 ダンスパーティーで突如、「シング・シング・シング」を演奏する熱い夜。歓喜する客。
■反ナチスの悪ガキがあける風穴 ナチスは、青少年を教化し愛国心を育てるため、ヒトラー・ユーゲントを組織した。だがナチス的な規律や美徳に反抗する少年少女もいたようだ。この史実をベースにした本書は、ナチスが「退廃音楽」として排斥したジャズに熱狂する若者たちを描いている。 1940年代初頭、ドイツの都市ハンブルク。軍需会社社長の御曹司「ぼく」は、スウィング・ジャズ愛が高じて英語風の愛称エディを名乗り、カフェで仲間と遊ぶ毎日を送っていた。 アメリカの黒人文化が生んだジャズが大好きなエディは、アーリア人の優越を唱え、ユダヤ人や黒人を劣等民族とするナチスの方針などどこ吹く風、人種的な偏見がない。それどころか、ユダヤ人が何代もアーリア人と結婚し続ければユダヤ人と見なされなくなり、純粋なアーリア人でもユダヤ教に改宗すればユダヤ人になる法律を、ナンセンスと嘲笑(あざわら)っているのだ。 ここには、世界的に広
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