竹田城跡は、天守台を中央に南千畳・北千畳・花屋敷が放射線状に配され、城の築かれている山全体が、虎が臥せているように見えることから「虎臥城(とらふすじょう・こがじょう)」とも呼ばれています。JR竹田駅から見上げると石垣の辺りは虎の背中、尾根伝いの山が首や頭にあたります。 標高353.7メートルの山頂に位置する竹田城跡は、嘉吉年間(1441-43年)に但馬の守護大名・山名宗全が基礎を築いたとされ、太田垣氏が5代にわたって城主となりましたが、織田信長の命による秀吉の但馬征伐で天正8年(1580年)に落城。最後の城主・赤松広秀が豪壮な石積みの城郭を整備したと言われます。 縄張りの規模は南北400メートル、東西100メートルにおよび、完存する石垣遺構としては全国屈指のもので、平成18年には日本城郭協会により「日本100名城」に選定されました。自然石を巧みに配置した近江穴太衆による石垣は、400年を経