![【大河原克行の「パソコン業界、東奔西走」】 FM TOWNS誕生から35周年。初のCD-ROM標準搭載パソコンを振り返る](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/b411d99c5c7755711d03a3f9c371cee0e19958b7/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fpc.watch.impress.co.jp%2Fimg%2Fpcw%2Flist%2F1572%2F032%2F1.jpg)
富士通は1981年5月20日、同社初のパーソナルコンピュータ「FM-8」を発売。2021年5月20日で40年の節目を迎えた。FM-8以来、富士通のパソコンは常に最先端の技術を採用し続け、日本のユーザーに寄り添った製品を投入してきた。この連載では、日本のパソコン産業を支え、パソコン市場をリードしてきた富士通パソコンの40年間を振り返る。掲載済みの記事にも新たなエピソードなどを追加し、ユニークな製品にフォーカスしたスピンオフ記事も掲載していく予定だ。その点も含めてご期待いただきたい。 ハイパーメディアパソコン「FM TOWNS」 1989年2月28日、まさに鳴り物入りという言葉通り、大きな話題を集めて登場したパソコンが「FM TOWNS」だ。 1989年2月に発売となった「FM TOWNS」。1989年といえばバブル景気の真っ只中だった 「パソコンが変わる、タウンズが変える」のキャッチフレーズ
あの頃も今も、コンピュータは楽しい機械です。仕事でも趣味でも、コンピュータとともに過ごしてきた読者諸氏は多いことでしょう。コンピュータ史に名を刻んできたマシンたちを、「あの日あの時」と一緒に振り返っていきませんか? FMシリーズの誕生 1981年(昭和56年)5月20日に富士通は、8ビットパーソナルコンピュータ「FUJITSU MICRO 8」(以下、FM-8)を発表しました。のちに日本製コンピュータの代名詞の1つともなった「FMシリーズ」の誕生です。 その設計思想は斬新で、8ビットCPU「MBL6809」(モトローラ「MC6809」コンパチブル)をメイン用とサブ用に2個搭載していました。さらに、同社の大型コンピュータ「FACOM Mシリーズ」に採用したばかりの64KbitダイナミックRAMを8個も、4層の基盤上に搭載。合計64KBという大容量の主記憶領域(メインメモリ)を誇りながら、21
黎明期のパソコン雑誌が実家から出てきた。 「懐かし~」 と思う当時を知る人と、当時を知らない 「ちょ、マジかよ」 と思う人がいるんじゃないかと思う パソコン黎明期の話です。
シンガーソング・ライターの谷山浩子さんに懐かしいパソコン通信について、音楽プロデューサーの石井AQさんと共に語っていただきました。 なべ: パソコン通信はかなり昔からやっていたんですよね? 谷山: はい! AQ: もろに通信自由化元年だよね 1985年、電話線に繋いでよくなった 法律的に 谷山: その時からですね アスキーネットがまだタダで実験運用していた頃です。 なべ: その頃のモデムって・・・ AQ: 谷山君はカプラ持ってたよね 谷山: 持ってた!300ボーでしたよ~。旅に持っていくとか・・・。でも、あの頃、ホテルの電話線が壁に埋め込まれてたりとか・・・。 AQ: そうそう、だからツアーにみんなワニ口持っていくんだよね。 谷山: うん、私、ドライバーまで持っていって、こうして・・・外して(一同爆笑) あとは部屋で(通信)できなくて公衆電話からした記憶があります。 AQ: なんで
アナログモデムを使ったことは? 使われなくなったメディアとして、本連載ではフロッピーディスクを取り上げたことがある。かつて当然のように標準装備だったフロッピードライブも、今のPCではオプション扱いになっている。同様にかつてのPCには当たり前だった装備とすて「モデム」がある。モデムといっても、今のケーブルモデムやADSL/ADSLモデムとは違う。デジタル信号を音声帯域で通信できるアナログ信号に変調する装置だ。ちなみにモデム(Modem)という用語は、modulator-demodulator(変調・復調)の頭の部分をとってつなげた言葉である。 DOSやWindows 3.1の時代からパソコン通信に慣れ親しんできたユーザーにとっては、欠かせない通信機器だったろう。RS-232C規格のシリアルポートにモデムをつなぎ、アナログ電話機と回線の間に割り込ませる形で接続していた。帯域が音声通話と共用なの
“A Brief History of Computers, As Seen in Old TV Ads”という企画が米PC World誌で掲載されています。Appleの以外はほとんど見たことのないですね。なかなか貴重です。YouTubeって便利ですねー。 では日本のはどうかって調べてみたらけっこうしんどかった……。 いちおう、年代別に並べて分かるところは出演者も書いてみましたが、足りないところがあったらコメントからトラックバックで教えてくださいませ。 [1981] NEC PC-6000 かずのがっこう [1981] シャープ X1 CGは河口洋一郎 [1982] カシオ PB-100 伊武雅刀「ポケコン」 [1983] 東芝 パソピアIQ MSX 横山やすし&木村一八 [1984] NEC PC-6601SR(Mr.PC) 武田鉄矢 [1985] 富士通 FM-77L4 タモリ「今や主
Click here for the camellia homepage ツバキのホームページはここをクリック! Copyright (C)1995-2007 FUJITSU LIMITED All rights reserved. 2001.6.27 URL が、http://www.ykanda.jp/になりました。 2004.12.14 所蔵するオアシスのカタログ全部入れました。 2007.1.14 雑誌にのったJEFの記事 2008.10.10 毎日新聞の記事 2009.11.11 ワープロの店 オアシスのホームページにようこそ 日本語ワードプロセッサーOASYSの生みの親、 神田泰典が提供します。乞うご期待! オアシスの歴史 オアシスの発表、親指シフト開発、種々のオアシスの製品のことなど 2010年3月 OASYS 100 と親指シフト が情報処理技術遺産に指定されました。 その
You are about to permanently delete this entry. When you delete an entry, you also delete any comments and trackbacks associated with it. This action cannot be undone. Delete|Cancel 私がその昔、秋葉原少年だった頃(今のアキバ系とちょっと違うとは思うのだけど、まぁ普通の人から見ると同類項だったのかな?)秋葉原にはアスターインターナショナル、コンピュータLab、若松通商、ビットイン、本田通商、そして新宿のムーンベース、タンディ・ラジオシャック、御苑前のアスターインターナショナル本店などに当時のマイコン少年は毎日たむろしていたのでした。 当時はTK-80、KIM-1、SCAMP、HitachiやL-Kit16などの1
古いパンフレットでめぼしいものを張り付けてみました。(それほど古くないのもあるけど)。 75dpiで撮ってあるので、プリントアウトするとちょっと厳しいかも?でも、見せびらかせてびっくりさせるぐらいは可能でしょう(^^;;) それでもサイズは大きいです。モデムでは厳しい? 発掘作業をしていて…もっと数あるかと思っていましたが、かなりあいだが抜けてます(^^;;) けっこう中途半端なラインナップです(^^;;) 懐PCを語る上で、無くてはならないものが抜けてるし(T_T)。。。 (*)印の画像は、時代錯除様よりいただきました。 (#)印の画像は、ふじしお様よりいただきました。 ($)印の画像は、Na15様よりいただきました。 (&)印の画像は、Rydeen様よりいただきました。 シャープMZシリーズ MZ−80シリーズ($) MZ−80C($) MZ−80K2($)
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