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ブックマーク / cinemac.hatenablog.com (4)

  • マン・オブ・スティール(ザック・スナイダー) - シャングリラ屯田兵

    冒頭、クリプトン崩壊に関わるてんやわんやがあるのですが、スター・ウォーズ新3部作のがっかりした要素を拡大したようなというか、『リディック』のような安っぽさというか、「ああ、映画観終わった後で、ここのくだり蛇足だったな、って思うんだろうな」と思いながら観てたら、実は映画全編これ蛇足だったっていうね・・・(今回は厳しめなので、楽しまれた方におかれましてはご容赦ください) ・そもそも、ゾッド将軍の武士魂というか、方法は完全に間違ってるけどクリプトン再興に掛けた想いだけはよく分かる、ってなるほど人物に奥行きがない(だから衝突にドラマが生まれない)、クラークにしても「世間から疎外されて、人生を顧みてもむしろ辛かった思い出しかないけど、でも僕はアメリカ人だ!」という感じは受けないし(主人公なのに寄り添えない)、ロイス※1との気持ちの通い合いの側面もよく分からない内に好きになっちゃってるから「両親のこと

    マン・オブ・スティール(ザック・スナイダー) - シャングリラ屯田兵
    zenibuta
    zenibuta 2013/09/02
  • ヒックとドラゴン(ディーン・デュボア、クリス・サンダース) - シャングリラ屯田兵

    少年いかにしてトルーク・マクトとなりしか、の物語。どなたかも書かれていましたが、顧みると「ハート・ウォーミングもの」の側面を強調しすぎたトレーラーのせいで、血沸き肉踊る「夏休み冒険映画」としての分がスポイルされていたきらいがありましたね。動きで魅せる(とりわけ飛翔描写。日の作品の演出をかなり上手に参照、咀嚼した跡が)理屈を超えたアニメートの面白さを久しぶりに味わった気がします。 ドラゴンは物語の原初に辿れるほどの昔から、通過儀礼の象徴として描かれてきた訳で、その意味ではその最新版といえるかもしれません。ドラゴンを傷つけた因果のシンメトリー性と、試練の跡をその身に刻みつける、という英雄譚の構造部分でも平仄が合っていたのは脚としてよくできていたように思います。 ただちょっと気になったのは、杯を交わすように魚を分け合ったり、くわえた棒で境界について意思表示したりというように、互いを知り合う

    ヒックとドラゴン(ディーン・デュボア、クリス・サンダース) - シャングリラ屯田兵
  • 告白(中島哲也) - シャングリラ屯田兵

    感想を先に言えば受け入れ難かった。作品に懸けられた熱量は半端じゃないし(あんな細かいカット割り、素材を撮り上げることを考えただけでも気が遠くなる)、演出は憎らしいほど上手い(松たか子のポテンシャルをギリギリまで引きずり出したファミレス後のシーンと結末の凄み)。のだけれど、うーんフィクションとして楽しむには生々しすぎたというか、生理的・反射的な嫌悪感で客観的に飲み下すことができなかったというか・・・。学校という世界に何かしら関わりのある人生だったので(別に教師という訳ではないですけど)その点を割り引いてください。 「決断主義」的な世界観(とそれを称揚するような風潮)への嫌悪というのは、割と感想文ではちょくちょく書いていることなのですが、何というか観客(読者)の感情を揺さぶる技術としての「ためにする過剰性」というのは果たしてありなのか?というのがずっと創作的分野への疑問としてあって。映画でも、

    告白(中島哲也) - シャングリラ屯田兵
  • イングロリアス・バスターズ(クエンティン・タランティーノ) - シャングリラ屯田兵

    最初、バスターズって「始末屋」の方だと思っていたのだけど、「you bastard!」の方だったんですね。それはさておき、この映画の概要を知ったとき連想したのはアルドリッチの『特攻大作戦』でした。「ならず者部隊が戦局の趨勢を左右する一か八かの作戦にチャレンジする」というストーリーの枠組のみならず、どうやら連合国軍とナチスの立場を相対化するような視点が導入されているらしいという点で。(内容に少し触れます。) 実は結構前に『特攻大作戦』は観ていたのですが、どうにも自分の中で消化できないところがあって、感想を書けないまま今に至っていたのでした。この映画は2部構成で、前半は「特赦を条件に、生きて帰ることの難しいミッションへ凶悪犯罪を犯した兵士から編成される部隊が募られる。正規軍からはバカにされていたが、頼もしく有能な指導者であるライスマン少佐に鍛え上げられ、彼らは正規軍との模擬戦を見事勝利する」と

    イングロリアス・バスターズ(クエンティン・タランティーノ) - シャングリラ屯田兵
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