終戦をわずか8日後に控えた昭和20年8月7日、東京湾上空を1機の戦闘機が飛行していた。千葉県の木更津基地を飛び立った海軍の特殊戦闘機「橘花(きっか)」だ。 橘花は、文字通り“特殊”な戦闘機だった。海軍航空技術廠(空技廠)が開発し、石川島重工業(現IHI)などが生産に携わった日本初のジェットエンジン「ネ20」を搭載。物資不足が背景とはいえ、燃料の一部に松の根から採取した油を使用していた。橘花は、世界初のバイオ燃料を使ったジェット機でもあった。 「日本のジェットエンジンの開発は米国や英国と比べても進んでいた」 IHI航空宇宙事業本部史料館名誉館長の原田実氏(70)は解説する。当時、ジェットエンジンの研究開発は欧米で活発化していたが、日本も昭和15年ごろには着手していた。 実用化にいち早く成功したのはナチス・ドイツだ。同盟国である日本は開発技術の入手に動いたが、潜水艦などを使った極秘輸送中に資料