タグ

関連タグで絞り込む (1)

タグの絞り込みを解除

自己責任に関するziglarのブックマーク (2)

  • 人生選択の責任は、その人生を生きているということ自体ですでに果たされている - 赤の女王とお茶を

    だから、他人があーだこーだいう筋合いはないし、自分ですらその「責任」について思い悩む必要はないと思います。趣味ならいいんですが。 今現在の人生は、自分と、他人と、環境との相互作用によって形成されていて、これからの人生もそう。 まずコントロールできるのは自分であるとはいえ、結果は相互作用によって生まれるので最終的にはカオスです。 そして、そういうカオスなリスクをある程度ヘッジするために、人間は社会を持っている。 出来る限りのリスクを社会を使ってヘッジしながら、自分は自分で選択を積み重ねていく、というのが人類が21世紀までに積み重ねてきた人生のノウハウです。 アリやハチといった社会性昆虫では、おのおのの「個体」があるとはいえ、もはやそのコロニー自体が一個の生物と考えても良いくらいの徹底した機能分担が成されています。社会機能が生存に必須になっているため、「進化」ですら今後は個体レベルでなく、集団

    人生選択の責任は、その人生を生きているということ自体ですでに果たされている - 赤の女王とお茶を
    ziglar
    ziglar 2008/03/01
    同意。/エントリからはやや外れるかもしれないが、無責任であろうとする人でさえ、やがて責任を引き受けることを恐れて何もできなくなるといった形で、「責任を取る」ことになるのだと思う。
  • 自殺は防ぐことのできる社会問題だ 『STOP!自殺』[書評]第6回/SAFETY JAPAN/日経BP社

    仕事関係の打ち合わせが終わると、多くの場合、後は雑談となる。ある時、ハードワークでうつ病を患うビジネスマンが多いという話題から、たまたま自殺の話になった。すると打ち合わせの相手の言うことには「多いんですよ、自殺。私の知人でもいますし。たいていの場合、誰か一人は知った人が自殺していますよ」。 あなたには、自殺した知人がいるだろうか。私にはいる。中学からの親友が32歳で自ら命を絶った。長くうつを病み、少し回復したと思ったら、踏切から列車に飛び込んでしまったのだ。 こういう死に方は、後に残された者に傷を残す。私は10年以上が経った今も、心のどこかでは彼が死んだとは信じられないでいる。囲碁を好んだ彼が、まだどこかでいつもの物静かな笑いを浮かべながら、ぱちんぱちんと碁石を置いているような気がする。 「自殺した友人」は私の専有物ではない。何しろ日は世界でもかなり上位に位置する自殺大国だ。

    ziglar
    ziglar 2006/09/01
    同感。まさに、他人事ではない。
  • 1