カメラという機械というか、道具というか、そういうものに思い入れを強くできるのは、カメラそのものが工芸品だった時代までであって、自動化されたかわりに失ったものも大きいのではないだろうか。たしかに、カメラは自動化によってどんどん便利になり、誰でも失敗が少なくカメラで写せるようになった。しかし、自動化されたカメラ、とくにAF化以降のカメラにはあまり思い出がなく、単によく写るカメラになっただけだ。とくに、デジタルカメラはその感じが強く、とても「名機」だとか、まして「銘機」などと呼べるカメラはなくなった。ただし、よく写るし、失敗もカバーできるから、道具としてはある意味では完成に近づいたと言えるだろう。だから、デジタルカメラを礼賛するのを別に否定はしないし、贔屓のデジタルカメラがあってもいい。ただ、写真を撮るという行為において、どれだけカメラやレンズの占めるウエートが大きいのだろうか。そういうカメラや