東京電力福島第1原子力発電所事故で、東電は20日、海の汚染を防ぐために投入した鉱物「ゼオライト」の土嚢(どのう)に、放射性物質(放射能)が吸着したと発表した。 東電によると、17日に2、3号機の取水口付近に投入した土嚢のうち2袋を19日に引き上げ、放射線量を測定した。その結果、土嚢の放射線量は毎時0・65ミリシーベルトで、周辺よりも0・1ミリシーベルト高かった。 ゼオライトは多数の微細な穴が空いた鉱物で、ペットのトイレ用消臭砂などに利用されている。穴のサイズがセシウム原子の大きさに近く、セシウムを吸着しやすいとされている。 東電の研究では、ゼオライト1キログラム当たり、セシウム6グラムを約30時間で吸着できたという。東電はゼオライト100キログラムの詰まった土嚢10袋を海に投入しており、今後も引き続き効果を確認する。 【関連記事】 3号機、原子炉建屋の二重扉開く「放出防止にはNG
タレントのイモトアヤコ(25)がこのほど、東日本大震災で被害を受けた宮城県山元町を訪れ、避難所となっている山下中学校を慰問した。 1年の3分の2を海外ロケで過ごす多忙さだが、セーラー服と太眉メークのおなじみの姿に、子供たちは笑顔。今後も積極的に慰問を続けていく意向で、事務所の先輩で震災に心を痛めている「ホンジャマカ」石塚英彦(49)も協力する構えだ。 避難所を訪れたイモトを大勢の子供が取り囲んだ。「思い切って眉毛を描いてください」とマジックを渡す女の子には笑顔で眉を描き込んだ。「津波にも負けませんでした」という女性と話し込み、老人の衣服にはサインするなどして回った。 日本テレビのバラエティー番組「世界の果てまでイッテQ!」(日曜後7・58)では“珍獣ハンター”として活躍。世界各国の動物を探し求めて飛び回っているが、多忙な中でも、被災地のことが頭から離れなかった。 くしくも震災当日の
福島第一原発の事故で、東京電力が原子炉格納容器内を水で満たす「水棺(すいかん)」作業を1号機で既に開始していることが二十日、分かった。水棺は原子炉の安定的冷却のために重要な作業。水素爆発を防ぐための窒素注入と並行して実施している。 東電が十七日に発表した事故の収束に向けた工程表では、1号機は第一段階として三カ月後までに水棺を完了し、原子炉を安定的に冷却させる。その後の三〜六カ月で原子炉を一〇〇度未満の「冷温停止状態」にする計画だ。 1号機は格納容器の圧力が2、3号機より高く、東電は気密性が比較的保たれているとみて容器内への窒素注入を七日から開始。二十日朝までに八千五百立方メートルを注入した。当初の予定では六千立方メートルを入れた時点で容器内圧力が約一気圧上がると想定したが、実際には〇・四気圧ほどの上昇にとどまり、その後低下している。東電や経済産業省原子力安全・保安院は、容器が冷えて容器内の
東京ディズニーリゾートを運営するオリエンタルランドは20日、震災以降、休園していた東京ディズニーシーの営業を28日から再開すると発表した。 【写真】再開したTDL ファンとキャラクターが喜びあった 午後6時までの時限運営をしていた東京ディズニーランドも23日から、開園時間を通常時と同じ午後10時までに戻す。 ディズニーシーでは28日から、夜のショー「ファンタズミック!」を上演する。また、ディズニーランドも上演を見送っていた夜のパレード「エレクトリカルパレード・ドリームライツ」を再開。併設のパーク一体型ホテル「ホテルミラコスタ」も28日から営業を再開する。 【関連記事】 被災地へのミッキー慰問検討 再開のTDL社長 TDLが1カ月ぶり再開 営業時間短縮、パレードは自粛 東京ディズニーシーの従業員 大震災時も笑顔絶やさず客感動 ディズニーランドの帰宅難民は数万人 園内の建物開放
アート, アニメジブリ美術館! ここって、開館が2000年だからもう10年以上もたつんですね。 知ってはいるものの実は行ったことのない場所ナンバーワン。 「お花見のついでに」ということで、初めてジブリ美術館へ行ってきました。さきに言っておきますていうかはじめに言っておきます。 ジブリ映画とおなじで、ジブリ美術館は優等生だなーという感想。 はじめからおわりまで、びっくりするほどジブリ。 もう、なにからなにまでジブリの世界そのものなんです。歩こう歩こう、どんどんゆこう吉祥寺駅から井の頭公園の森をずーーーっとてくてく歩いていきます。 あったかい春のぽかぽか陽気の中、森のお散歩はきもちいい。 森をぬけると、ツタのからまったアンティークな感じの建物が‥‥ おお、どうやらここがジブリ美術館みたいです。いきなりジブリっぽい森を歩いてたどりつく、っていうところからしてすでにジブリっぽくてすごい。 それにし
ちょっとしたレストランやバーなどに、まるごと骨付きの生ハムが珍しい形の台に乗せられておいてあるのを見たことはないだろうか。 そこからスライスしてお皿に盛りつけるのだ。 ふつう、生ハムというと薄切りのがちょこんとお皿にのっているものだから、もしあの骨付きのかたまりが家になんてあったら、ほぼ無尽蔵に生ハムを食べ続けられるんじゃないだろうか。 夢のようである。 憧れるなあ。 欲しいなあ。 買おうかな。 買っちゃった。 (工藤 考浩) あのハムが欲しいの 僕が最初にあの骨付き生ハムのかたまりを知ったのは、だいぶ前に見た何かのテレビ番組だ。 たしかクイズ番組だったと思うのだが、スペインからの出題で、生ハムに関する問題だった。 天井から吊された豚の足がずらりと並んだ製造工場をミステリーハンターが(そう、あの番組だったと思う)歩いているのを見て、大変驚いた。 あのペラペラの生ハムがこんな形だったとは。
志保さんの遺影を抱く母の妙子さんに、看護師試験の合格通知が届けられた=宮城県東松島市の仙石病院(渡守麻衣撮影)(写真:産経新聞) 娘は確かな“足跡”を遺していた。宮城県東松島市野蒜(のびる)で激しい津波に遭い、亡くなった尾形志保さん(22)が2月の看護師国家試験に合格していたことが分かり、母親の妙子さん(51)に合格証書が手渡された。「私と同じ道に立ってくれた」。市内の病院で看護部長を務める母は、成長した娘が同じ看護師として、いまでも自分のすぐそばにいてくれていると信じている。(中村昌史) 【写真】もっと早く遺体発見できたのでは…機動隊員の葛藤 ■「私と同じ道に…」 「言葉にならないです」 祭壇に3人の遺影が並んでいた。津波は志保さんだけでなく妙子さんの夫、登志憲(としのり)さん(51)と長男、剛(ごう)さん(20)の命も奪った。自宅が流されてしまったため、妙子さんの携帯電話に残っ
妻が娘に託していた愛用の小銭入れを「お守り」にする熊川さん。「唯一の形見」という=福島県二本松市の遺留品掲示所で2011年4月18日、大場弘行撮影 東日本大震災の津波で数百人の行方不明者が出たにもかかわらず、福島第1原発の事故に伴う避難指示で1カ月以上捜索が実施されなかった福島県浪江町請戸(うけど)地区。津波に遭い、九死に一生を得た男性の耳には、50年近く連れ添った自分への感謝の言葉とともに波間に消えた妻の声が残る。「一刻も早く見つけてほしい」。男性は14日に始まった捜索による発見を祈るように待ち続けている。 「真っ黒い波が数十メートルの高さに立ち上がり、一気に倒れてきた」。海岸から数百メートル先に住む無職、熊川勝さん(73)は目前に迫る大波に度肝を抜かれた。妻洋子さん(73)の手を引いて2階に駆け上がったが水位はみるみる上がり、洋子さんを抱えて顔を出すのがやっとになった。死を覚悟し「これ
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