今年の1月、拝島大師に行く途中で見つけた小さなお宮 今昔マップで見ると、なんと戦前には、五鉄(五日市鉄道)武蔵田中駅から 分岐した砂利用支線の線路があった場所でした。 現地では全然気がつかなかった。 水路(昭和用水の支流?または湧水を集めた流れ?)も脇にあります。 このお宮の説明版。※写真が白飛んでいるのではありません。 文字が剥離または褪色してしまって、まるで読めないのです。 木製の扁額。一番上の字が「風」のようで少し違います。 でも、調べてみると、ここはやはり「風田社(ふうでんしゃ)」という神社のようです。 「風」は崩し字の書き方なのかもしれません。 せっかく板が立っているのに、書かれた文字が読めないというのは、 非常にもったいない。もどかしい。 最初に設置する予算はついても、メンテする予算はつきにくいのでしょうか? きちんと管理する手間がかけられないからといって、何とかかんとか理由を
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