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橋本治に関するGuroのブックマーク (22)

  • 神奈川近代文学館「帰って来た橋本治展」(下) ふざけてマトモな桃尻語訳 連載 | カナロコ by 神奈川新聞

    「桃尻娘」で作家デビューし、続いて少女漫画評論集「花咲く乙女たちのキンピラゴボウ」を世に問うた橋治は突然気が付いた─「平安朝の女流文学は少女マンガである」。 映像プロデューサー・浦谷年良は橋が「をかし」は「カッコいい」、「あはれ」は「ジーンときちゃう」と解説するのを聞いて衝撃を受け、「枕草子」の現代語訳を熱望した。〈大胆不敵〉でありながら〈精緻〉な「桃尻語訳 枕草子」はこうして生まれた。 〈大胆不敵〉とは桃尻語という橋の生み出した言葉に訳したこと。大島弓子らによる1980年前後の革新的少女漫画と平安時代に花開いた女流文学とは、男社会における女の表現の姿勢として同質だと橋は看破した。清少納言はナウいキャリアウーマンだったのだから、少女漫画に取材した桃尻娘の言葉で訳せるはず、との仮定からスタートする。 〈精緻〉とは原文を厳密に一字一句、桃尻語に置き換えたこと。勢いで意訳したのではなく、

    神奈川近代文学館「帰って来た橋本治展」(下) ふざけてマトモな桃尻語訳 連載 | カナロコ by 神奈川新聞
  • 神奈川近代文学館「帰って来た橋本治展」(上) 代表作は「桃尻娘」 連載 | カナロコ by 神奈川新聞

    治が1977(昭和52)年に初めて書いた小説が、のちの代表作「桃尻娘」だった。女子高校生の一人語りで若者が日ごろ抱える社会への不満や悩み-妊娠や同性愛といったテーマに分け入り、それまでにないスタイルと内容で世間に衝撃を与える。同作はシリーズ化され、単行6冊を刊行。桃尻娘・榊原玲奈と、3人の同級生-木川田源一、磯村薫、醒井(さめがい)凉子を主人公に、彼らが成長していく様子を、橋は登場人物に寄り添いつつ書き進めた。 シリーズ6冊目「雨の温州蜜柑姫(おみかんひめ)」の主人公は醒井凉子。橋が「うっとりするような美しいトンチンカン」と設定する凉子は、大学1年の夏、先輩の滝上圭介を好きになり妊娠、木川田が滝上に思いを寄せているとも知らず、滝上と仲のいい木川田に相談を持ちかける。衝撃を受け、傷つきながらも、木川田は凉子のため奔走するのだった(第2冊「その後の仁義なき桃尻娘」)。 「雨の温州蜜柑

    神奈川近代文学館「帰って来た橋本治展」(上) 代表作は「桃尻娘」 連載 | カナロコ by 神奈川新聞
  • 社会や世界がどうしようもなくぐらついてきたとき、人びとは「橋本さん」を発見せざるを得なかったーー神奈川近代文学館で特別展「帰って来た橋本治展」開催中(6月2日まで) | ローカルナレッジ 新しい教養を再発見しよう

    社会や世界がどうしようもなくぐらついてきたとき、人びとは「橋さん」を発見せざるを得なかった ーー神奈川近代文学館で特別展「帰って来た橋治展」開催中(6月2日まで) の場 神奈川近代文学館で特別展「帰って来た橋治展」が開催されています(6月2日まで)。ポスター、編み物、自筆原稿など約450点が、1)橋治自身の歴史、2)作家としての仕事歴史、3)美術系の仕事歴史、の3ブロックに分けられ展示されていますが、度肝を抜かれるのは受付入口で一番最初に私たちを迎えてくれる、大きなプロジェクタに映し出された橋治のドキュメンタリー映像です。これは橋治と岡田嘉夫(グラフィックデザイナー)が、2006年の着手から刊行まで8年を費やした特装『マルメロ草紙』の制作過程を記録した映像で、関係者と白熱した議論をしている、まだ元気だった頃の橋治に会うことができます。80分に及ぶ記録映像の上映会はすで

    社会や世界がどうしようもなくぐらついてきたとき、人びとは「橋本さん」を発見せざるを得なかったーー神奈川近代文学館で特別展「帰って来た橋本治展」開催中(6月2日まで) | ローカルナレッジ 新しい教養を再発見しよう
  • 今なお人々を魅了 橋本治の世界 横浜で特別展/『はじめての橋本治論』刊行 | 毎日新聞

    膨大な仕事、豊富な資料で 横浜で特別展 ポスターや生原稿など450点 小説や古典の新訳、戯曲、社会時評、イラスト、編み物と幅広い分野で活躍した橋治さん(1948~2019年)の仕事を振り返る特別展「帰って来た橋治展」が、神奈川近代文学館(横浜市中区)で開催されている。6月2日まで。 構成は、橋治とその時代▽作家のおしごと▽橋美術館――の3章立て。<とめてくれるなおっかさん/背中のいちょうが泣いている/男東大どこへ行く>のキャッチコピーで一躍注目を浴びた東京大駒場祭のポスター(68年)の原画をはじめ、衝撃の小説デビュー作「桃尻娘」(77年)、400字詰め原稿用紙で9000枚弱の大作「双調平家物語」(98~07年)などの生原稿、スター歌手の姿を編みこんだ鮮やかなセーターや歌舞伎をモチーフにした挿画、さらには母親が開いた喫茶店の自筆メニューもある。約450点が展示され、橋治さんの生涯を

    今なお人々を魅了 橋本治の世界 横浜で特別展/『はじめての橋本治論』刊行 | 毎日新聞
  • 橋本治さんの編んだセーターを着ているのは、早川タケジさん - saoの猫日和

    詩音さんより、下記のコメントを頂きました。有難うございます(^-^) (詩音さんより) 橋治さん、 多くの著名な方々のセーターを編んだおられたのですね。 私は直接的にはお会いした事もないのですが、 70年代に勤めていた会社の同僚が親しくしていたみたいで、 橋さんが編んだというデビット・ボウイの、 セーターを貰ったと言って着ていました。 当時、私も渋谷公会堂でデビット・ボウイのライブにも 行っていたので、斬新なそのセーターが 欲しいと思いましたが… 今にして思えば、いろんな話も聞いていたので、 70年代、男同士の良い付き合いを羨ましく思っていました。 橋さんの名前を目にするたびに若かりし頃を思い出します。 ジュリーのセーターも素敵💓 あんなに手の込んだセーターを気前よくあげちゃうんだ、橋さんは。男たちの間の友情というものが、垣間見られるような気がしました。 ネット上では、橋さんが

    橋本治さんの編んだセーターを着ているのは、早川タケジさん - saoの猫日和
  • 橋本治展でジュリーのセーターが展示「神奈川近代文学館」 - saoの猫日和

    J友さんが、神奈川近代文学館で開催中の「帰ってきた橋治展」に行かれたそうです。 特別展「帰って来た橋治展」 | 神奈川近代文学館 神奈川近代文学館の公式ホームページ 神奈川近代文学館/(公財)神奈川文学振興会 残念ながら展示のセーターの写メはNGだったそうで、図録の画像を頂きました。ジュリーの横顔の部分は雑誌に掲載されていたので見たことはありましたが、袖部分は初めて見たのかも。全部を見たら、非常に斬新なデザインですね!! 以下は、J友さんからです。 ジュリーのセーターは図録の写真を先に見たけど、物の方が数倍素敵。 袖、面白いですね。イラストだと着られないので、セーターにしたそうです。 展示をみたら、早川タケジさんや、セーラー万年筆年のポスターの宇野亜紀良さん、山田風太郎さん、久世光彦さんたちと交流あり。 当時、イラストレーター、作家、テレビマンなど皆んな交流があり、仲間だったのかも?

    橋本治展でジュリーのセーターが展示「神奈川近代文学館」 - saoの猫日和
  • 「帰ってきた橋本治展」に行ってきた。|norihiromita(三田典玄)

    今回は日記のようなものだ。 横浜の外人墓地近くにある神奈川近代文学館に「帰ってきた橋治展」を見に行ってきた。自分の世代だと、大学に入学したときは既に大学紛争などは終わった後で、リアルに学生運動の時代に当たっていたわけではない。つまり、私が大学生になる前に橋治は大学紛争真っ只中の東大駒場祭のポスター「とめてくれるなおっかさん。。」で有名になり、後に小説「桃尻娘」で作家デビューした。 橋治はその時代の「面白いもの」を追いかけて生きていた人で、その生き方そのものが「芸術家」だったように、私は思う。 その後、橋治は徒然草、源氏物語、枕草子などの日の古典文学のぶっ飛んだ現代語訳で知られるようになった。彼に言わせると「平安朝の女流文学は少女マンガ」という「サブカル」に、自然になる。そして、少女漫画や少年漫画の絵柄のニット(大島弓子の綿の国星、ちばてつやの明日のジョー等)を作って自分で着て回っ

    「帰ってきた橋本治展」に行ってきた。|norihiromita(三田典玄)
  • 二度目の橋本治展、講演、『はじめての橋本治論』|chisato_mrt

    新潮社の編集者だった作家の松家仁之さんと、橋治の実妹である柴岡美恵子さんの講演と対談を聞きに、神奈川近代文学館に行ってきた。 展示ももう一度見る。初日と違ってお客さんがたくさんいた。 講演もおもしろかった。その場が、橋治の人柄そのもののような温かい雰囲気だった。笑って泣いて。橋治が特に好きだった歌詞、鐘の鳴る丘の4番を紹介しようとして泣けてきて読めなくなった松家さんが「助けて美恵子さん」と言ってその流れのまま対談に入ったのには、笑いながらもらい泣きした。お母さんの話、住んでいた家と仕事の話、橋治と美恵子さんとで一緒になって下の妹さんをからかった話、病気になった後の話。1時間半があっという間だった。前に別のところで聞いた松家さんの話と重複するところもあったが、むしろだからこそ話に置いてきぼりにならずに聞けた。どうして結婚しないのかを橋治に聞いてくれとお母さんに言われて、聞きに行った

    二度目の橋本治展、講演、『はじめての橋本治論』|chisato_mrt
  • chisato_mrt|note

    たった一人が書いたを読むことに人生を懸けると決めた 作家・橋治と聞いて、いったいどれだけの人がピンと来るのだろう? 夏目漱石のように学生時代に習って知る人でもないし、SNS読書家と自負するアカウントでも頻繁に目にする名前ではない。 それでも私は、橋治のを読むことにこれからの人生を懸けると決めた。 知る人ぞ知る、ではないけれど、確かに橋治を読んでいる人はいる。でも全部の著作を読んだ人は恐らくいないだろう。 なぜならば、分野があまりにも多岐に亘るから。 橋治を知らなくても、よく読書をする人であれば「上司は思いつきで

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  • 「とめてくれるなおっかさん」「昭和枯れすゝき」から自作のセーターまで “型破り”な作家・橋本治のユニークな展覧会が開催中(全文) | デイリー新潮

    作家のものとは思えない展示物 3月30日から横浜市の神奈川近代文学館で開催されている「帰って来た橋治展」。展示された約450点の作品群は、5年前に70歳で亡くなった橋さんの魅力が満載だ。橋治さんが遺したマルチな“表現”とは。 *** 【写真を見る】作家の回顧展とは思えない異色の展示品たち 小説家の回顧展といえば、著者近影の大型パネルに、代表作の生原稿、そして数々の受賞歴を記した年譜の展示が相場だが、この方の場合、手編みのセーターやポスター、切り絵、絵画など、およそ作家のものとは思えない多様な展示物で溢れている。 橋さんの名前が最初に世に出たのは、東京大学在学中、2年生の時に作成した駒場祭のポスターだ。 任侠映画風のポスターの「とめてくれるな/おっかさん/背中のいちょうが/泣いている/男東大どこへ行く」の粋なキャッチフレーズは今読んでも格好いい。東大生のお堅いイメージを覆すしゃれの利

    「とめてくれるなおっかさん」「昭和枯れすゝき」から自作のセーターまで “型破り”な作家・橋本治のユニークな展覧会が開催中(全文) | デイリー新潮
  • Wikipediaブンガク11「橋本治」参加記 - 「70歳のウィキペディアン」のブログ                   The Blog of "A 70-year-old Wikipedian"

    県立神奈川近代文学館、2024年4月14日(筆者による撮影)2024年4月14日日曜日、Wikipediaブンガクに参加するために横浜に出かけました。午前中の会場は港の見える丘公園にある、県立神奈川近代文学館で、3月30日から6月2日まで「帰ってきた橋治展」を開催中です。今年は桜が遅かったので、花吹雪の中を会場に向かいました。 テーマの作家橋治は1948年に東京に生まれ、東京大学に入学。東大紛争最中の2年生の時、駒場祭ポスターに書いた「とめてくれるなおっかさん~」で一躍有名になり、当時高校生だった私もニュースでそのポスターを知りました。卒業後橋イラストレーターを経て作家として活躍しましたが、私は彼の作品を読んだことはなく、編み物もする変わった人、くらいの印象でした。 橋は2019年に没し、資料は神奈川近代文学館に寄贈され、今回の展示開催に至ったそうです。10時に会場に集まった10

    Wikipediaブンガク11「橋本治」参加記 - 「70歳のウィキペディアン」のブログ                   The Blog of "A 70-year-old Wikipedian"
  • 橋本治「再読」ノート_BOOTH専用PDF版 - 破船房オンラインストア - BOOTH

    2019年に惜しくも世を去った小説家、橋治の中期から後期の評論的エッセイを軸に読み解き、彼の「思想」に迫る試論です。「再読」の対象としたのは『浮上せよと活字は言う』、『江戸にフランス革命を!』、『ぼくたちの近代史』、『宗教なんて怖くない!』、『「三島由紀夫」とはなにものだったのか』、『小林秀雄の恵み』など。 【BOOTH専用PDF版特典】なお、このPDF版をご購入いただいた方は、文学フリマ東京などの即売イベントでの著者対面販売時に、印刷版(80ページ、予価1500円)を割引販売いたします(割引証付き) はじめに二〇一九年に逝去した作家の橋治は共著も含めると二〇〇を超える著書を残した。だがその多くは現在、絶版あるいは入手困難である。没後、一部に復刊・再刊の動きもあるとはいえ、その膨大な著作の全体像を見渡すことは、書店に並ぶからだけでは不可能だ。 この文章はそうした橋の旧著を再読し、そ

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  • ヤクザ映画は〝参加すること〟に意義がある?! その2 - 前田和男|論座アーカイブ

    ヤクザ映画は〝参加すること〟に意義がある?! その2 【30】高倉健「唐獅子牡丹」 前田和男 翻訳家・ノンフィクション作家 前回では、「唐獅子牡丹」が生み出した「表の世界」にまつろわぬ者たちの束の間のアジールについて、私の世代的な共通体験から検証をこころみた。それをうけて、今回は、別の視座からさらに追究を深めたい。前回も記したが、当時、オールナイト興行以外にも、全共闘運動が燃え盛ったキャンパスで〝まつろわぬ者たちのアジール〟が生まれ、そこでも「唐獅子牡丹」が大きな役割を演じていた。 その象徴的出来事が、1968年11月に東大教養学部で開催された駒場祭のポスターである。作者は、当時東大2年の橋治(1948~2019)。東大のシンボル記章である銀杏(いちょう)の入れ墨をほった若者の背中が描かれ、そこに「とめてくれるなおっかさん、背中のいちょうが泣いている 男東大、どこへ行く」のコピーが添えら

  • 高橋源一郎氏による『そして、みんなバカになった』「はじめに」全文公開|Web河出

  • 帰って来た橋本治展…あふれるエネルギー 70年の生涯振り返る

    【読売新聞】神奈川近代文学館 6月2日まで 小説、古典、社会評論、編み物やイラスト――。2019年に死去した作家の橋治さんは、あらゆるものについて書き、論じた多芸多才の人だった。横浜市の神奈川近代文学館で始まった『帰って来た橋

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  • 特別展「帰って来た橋本治展」(神奈川近代文学館)開幕レポート。文化を徹底的に考える

    特別展「帰って来た橋治展」(神奈川近代文学館)開幕レポート。文化を徹底的に考える小説家、文筆家、評論家、デザイナー、演出家、ニット作家など多様な顔を持つ橋治(1948~2019)。その歩みを振り返る展覧会、特別展「帰って来た橋治展」が、神奈川・横浜の神奈川近代文学館で開幕。会場の様子をレポートする。 文・撮影=安原真広(ウェブ版「美術手帖」副編集長) 展示風景より、橋治によるニット作品 小説家、文筆家、評論家、デザイナー、演出家、ニット作家など多様な顔を持つ橋治(1948~2019)の歩みを振り返る展覧会、特別展「帰って来た橋治展」が、神奈川・横浜の神奈川近代文学館で開幕した。会期は6月2日まで。 展示風景より、左から『月』ポスター(1994、美術=横尾忠則)、『女賊』ポスター(1999) 同館は、2019年以降、橋の直筆原稿をはじめとする資料を家族や関係者からの寄贈により

    特別展「帰って来た橋本治展」(神奈川近代文学館)開幕レポート。文化を徹底的に考える
  • 橋本治というジャンル|ちくま新書|武田 砂鉄|webちくま

    2月刊、橋治『思いつきで世界は進む』に関して、武田砂鉄さんにエッセイをご寄稿していただきました。 突然の訃報により、こののみならず、「橋治」とは何者だったのかについて、論じていただいております。ぜひともご覧ください。 さて、書評を書くために書を読もう、と思ったところで訃報が入った。著作をたくさん読んできた。一度だけお会いしたこともある。ツイッターを開けば、偲ぶ声が連なる。追悼文的な内容のほうがいいのだろうか(と、「こういう時に最適な文章とは何か」を模索する自分に苛立つ)と思いながら書をめくると、しばらくの間、この人がもういなくなってしまった、という現実をすっかり忘れて没頭する。目の前に異物を発見し、その異物がどんな形をしているのかをいくつもの角度から見つめ、どうやったらこの異物を柔らかくほぐせるか、挑発できるか、壊せるか、仲良くなれるかと、しつこく絡んでいく時評コラムに憧れを持ち

    橋本治というジャンル|ちくま新書|武田 砂鉄|webちくま
  • 第3回 「あの日の橋本クンがいる」 おおくぼひさこさん 写真家 | ほぼ日の学校・新講座予告橋本治を忘れない | ほぼ日刊イトイ新聞

    シェイクスピア、歌舞伎、万葉集、ダーウィン。 2018年の開講以来、 古くて新しい古典に取り組んできた ほぼ日の学校が、2020年最初の講座に据えるのは 作家・橋治さんです。 題して「橋治をリシャッフルする」。 今年1月の早すぎる死を悼みつつ、 橋治さんが私たちに遺してくださったものを じっくり考えていきたいと思います。 橋治さんの作品は、 読者にどんな力を与えたのか? 橋治さんはどんな人だったのか? 開講を前に、縁のあった方々に お話を聞かせていただきました。 橋治さんが「自然な顔」を見せた、 とても信頼する写真家がいます。 レンズを介して見つめ合い、 スタイリングでいっしょに遊び、 いつも、おもしろいこと、 当にやりたいことを追いかけた仲間。 それが、おおくぼひさこさん。 高い評価を受けた『窯変 源氏物語』は、 光源氏の一人語りというスタイルと 橋治的解釈が画期的だった

    第3回 「あの日の橋本クンがいる」 おおくぼひさこさん 写真家 | ほぼ日の学校・新講座予告橋本治を忘れない | ほぼ日刊イトイ新聞
  • 「あの日の橋本くん」開催記念トーク | 仲井戸麗市✕おおくぼひさこ | ほぼ日刊イトイ新聞

    木曜日の夕方、 写真の展示がほぼ出来上がったところで 会場にやってきた 仲井戸“Chabo”麗市さんは、 拍手をしながら室内を見回しました。 写真展「あの日の橋くん」実現にこぎつけた ・おおくぼひさこさんへの称賛であり、 友・橋治さんへの「良かったね」の拍手であり、 スタッフへの労いの拍手でした。 20歳をちょっと過ぎたころ、 イラストレーター、カメラマン、 ミュージシャンとして出会った 橋治さんとおおくぼさんと仲井戸さん。 橋さんが作家になる前のことでした。 仲井戸さんのバンド古井戸のジャケット写真を おおくぼさんが撮影し、 橋さんがデザインするといった 仕事上のつきあいは、仕事であると同時に 遊びの要素もたっぷり盛り込まれたものでした。 あるときの撮影現場は橋さんの自宅や、 それぞれの実家のそば。 移動のドライバーを務めるのは仲井戸さん。 今回の写真集『あの日の橋くん』

    「あの日の橋本くん」開催記念トーク | 仲井戸麗市✕おおくぼひさこ | ほぼ日刊イトイ新聞
  • ちくまプリマー新書 - Wikipedia

    ちくまプリマー新書(ちくまプリマーしんしょ、chikuma primer shinsho)は、株式会社筑摩書房が発行する新書レーベル。ちくま新書の姉妹レーベル。 概要[編集] 2005年1月創刊[1]。プリマー(primer)が「初歩読、入門書」を意味する通り、ヤングアダルトを対象とした新書である。 普遍的でベーシックなテーマを扱い、分量的にも原稿用紙150枚程度とコンパクトにし、現代を生きる上で必要なことがわかりやすく表現されている[2]。同社ウェブサイトでは「身近な悩みに答える、さいしょの新書」と紹介されている[3]。装幀は、クラフト・エヴィング商會による[4]。 2009年1月に通巻100点を、2013年8月に通巻200点を突破した。毎月上旬に2点程度ずつ刊行されている。新書レーベルであるが、天童荒太『包帯クラブ The Bandage Club』や吉田篤弘『つむじ風堂と僕』、万

    Guro
    Guro 2024/03/30