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ブックマーク / finalvent.hatenadiary.org (16)

  • 通じないといえば - finalventの日記

    ほいでも個別に書かないのだけどね。 通じないA派とB派があった場合、というかそういうのはありがちなんだけど、ほいでこれが対立するとする。で、この場合、A派の世界、B派の世界、と傍観者の世界というかまず3つあってネットだと云々というのはある。それとネットだとこの世界の対立に工作とかあるし、ああ勘違いもある。 で、なんつうかワタシ的にはそうした3極性というのはけっこうどうでもいいんですよ。もちろん私だってある見解を持つからA派であったりB派であったり傍観者であったりするわけだけど、重要なのは、私と公の二項の垂直関係ですよ。 「公」の関係において、A派とB派が許容かどうかが「私」に問われるわけで、その問いかけから越えて、派の争いというのは、それぞれのプライベートというか党派の問題になる。 だめだめなのは党派の水準が「公」になると思っている香具師が大杉。 次にだめだめなのは「公」が「正義」とか勘違

    通じないといえば - finalventの日記
    Hebi
    Hebi 2007/01/18
    …どこの世界でも結果だけみればそのとおりなんだけれども、みもふたもないです
  • ぶくま的図書館の話題だが - finalventの日記

    現実の地方の図書館、つまり、当に地方の公共図書館がどうなっているか、私は知っているので、あまり議論がピンとこない。まあ、議論をフォローしてないからだろう。 沖縄にいたとき、地域の図書館を寄贈した。ゴミも多いのでなんだが。いずれにせよ、寄贈や中古を精力的に収集するとよいのではないかと思った。あと、地域の図書館はその地域にしかない情報を収集するセンターであってほしい。 沖縄にいたとき、僻地っぽい村の村史をめくっていろいろ知るところがあった。古老に問えばもっと歴史が出てくるだろうと思った。 あと、話が違うけど、日の大学の図書館って、自由書架ではないのでは。

    ぶくま的図書館の話題だが - finalventの日記
    Hebi
    Hebi 2007/01/09
    20070109/09:25/地方にもいろいろあって…
  • 多読とか一日一冊とか - finalventの日記

    インスパイア元⇒404 Blog Not Found:多読って何冊ぐらいから言うのか知らん 小林秀雄が言ってたけど、ある著者の全集を端から端まで読め、と。その割に小林は全集を残さない奇妙な意地悪をしてくれたけど。というか、「感想」が読めなければ「居宣長」が読めるわけねーのに、それだで読んで欲しいみたいな、こーゆー超高等テクニックの意地悪というのも、この歳になってみるとありがたいものだが。 で、まあ、全集を端から読めはけっこういろいろと面白い。比較的コストパフォーマンスがいいのは、中島敦。山月記だけじゃないというか、中島はどっちかというと西洋的な作家でもあった。 中島敦全集〈1〉 中島敦全集〈2〉 中島敦全集〈3〉 で、この中島全集だが、速読な人なら3日か、一週間で読めるわけだけど、書架に残るわけですよ。一生残る。というか、正確にいうと、中島敦を受け入れるかだけが問われていると言える。 つ

    多読とか一日一冊とか - finalventの日記
    Hebi
    Hebi 2007/01/09
    これはある程度読んできた人がじわじわ感じる類の感慨だという気も…
  • この手のことに言及するのは野暮なことだが - finalventの日記

    ⇒童貞の皆さんに言っておきたいこと (セックスなんてくそくらえ) いくらセックスをしたところで、あなたは一人ぼっちです。 ⇒はてなブックマーク - 童貞の皆さんに言っておきたいこと (セックスなんてくそくらえ) 私はこの問題はというか、問題ということにすると、世の中の人に美醜があるのと同じくらい難しい問題で、しかも、そのかすかな真実が語られることが少ない問題だと思う。というかこの問題はうまく言葉で語れない部分を含んでいる。しかし、あえて言えば、「いくらセックスをしたところで、あなたは一人ぼっちです」ではなく、「一人ぼっちであることを確認する虚しい多数のセックスがある」ということのほうが正確で、私は男だからそしてあまり性的な経験に乏しいのだが、女を多数抱けばそれはそれだけ女のクラスの理解になるが、生身の女というのはクラスからインスタンス化したものではないことを忘れる。人クラスから「私」が生成

    この手のことに言及するのは野暮なことだが - finalventの日記
    Hebi
    Hebi 2006/11/20
    王子さまとバラとかの
  • 本好きの人が持っている10の間違った認識と行動 - finalventの日記

    自分はを正しく評価できると思い込んでいて、あれはくだらない、あれはすばらしいとか言う。 自分は正しくを読んでいると思い込んでいる理由が実際は精読によるのではなく、個々のインフォメーションの集積によっている(気が付いていない)。 つまらないを買ってしまった自分に恥じてこっそりブックオフに売り、これはよいと思ったを書架に並べるが、それは単なるコレクションだと言われるとむっとする。 を読んで感動できる自分がとっても好き。その割に他人が感動しているのが大嫌いでいろいろなんくせをつける。 を読むことによって得られるものはといった議論が好きでやたらと難解にする。 $山形浩生のとか訳とか書評は読んでみる……なお、$山形浩生は変数で、小熊英二とか浅田彰とかいろいろ代入可能(自分をそれらと同一視したいファンちうことやね、結局)。 ローマ史とかハプスブルク家とか三国志演義とかディテールを知

    本好きの人が持っている10の間違った認識と行動 - finalventの日記
    Hebi
    Hebi 2006/06/15
    本そのものの話題より読書行動に関する話題が盛り上がるのはなんでなんだろうなぁ。
  • 私が価値観を相対化できない馬鹿であること - finalventの日記

    これ⇒「フラット化」を自分に都合よく解釈する人々 佐々木俊尚さんの発言を引用して id:finalvent さんが意味不明と感想を述べた、という状況。 (中略) 佐々木さんや、あるいは(もう少し素朴な感覚として)花岡信昭さんが疑問を感じているのは、どんな言説も価値体系の外側から批判されてしまうような世界ではあっても、しばしば大勢がひとつの方向でワッと糾合する話題があるということを、どう考えたらいいのか、という問題だと思う。炎上の現場を見て私が感じる違和感は、参加者の大半が自分の正義を確信していること。たまたまその「場」において自分たちが多数派となったのではなくて、自分たちがその「場」で多数派となっているのは当然だ、と考えている様子なのです。 (中略) 世の中にどれほどたくさんの価値観があるにせよ、特定の問題について対処の選択肢は多くない。もっと書けば、価値観の多様性はパチワークのような仕組

    私が価値観を相対化できない馬鹿であること - finalventの日記
    Hebi
    Hebi 2006/06/08
    いつもここのコメント欄みたいにはかみ砕いて書いてくれない、ということについて考えてしまう。解釈の幅を持たせて書くことで封じているものについて。
  • 読売社説 [図書館]「地域の情報拠点にも活用したい」 - finalventの日記

    とか言うまえに、プロ市民が税金でサヨク文書買いまくりの実態をどーにかせー。 mumur小部隊とかネラーでもいいから、東京都の公共図書館における「上野千鶴子」の購入リストでも作ってみるといいのに。

    読売社説 [図書館]「地域の情報拠点にも活用したい」 - finalventの日記
    Hebi
    Hebi 2006/05/17
    それを調べるなら予約やリクエストが何に対してどれくらい出てるかとか利用率も調べなきゃだと思うなぁ…。
  • Googleというルール - finalventの日記

    話のきっかけはこれ⇒切込隊長BLOG(ブログ) - なんか「ウェブ進化論」の書評を「論座」に寄稿した件について 論座のそれを読んでないのでなんとも。 ただ、微妙なズレを感じるのだが、その微妙な部分がうまく言葉にならない。これは、梅田についても似たものを感じる。 で。 いま、私たちが暮らしているインターネットのルールの一部は、明らかにGoogleによって創られている。そっちへのシフトが進化である、という価値観を分かりやすく提示しているのが書であるなら、それはそれで問題ないと思うので私は書を良書だと思う。 切隊さんの言うルールは言わば運用のルールというものだろう。 ほいで、私が、なんとなく思うのは、技術のスタンダードとしてのルールだ。もっと端的に言おう、UTF-8(with XML)とJavaScriptだ。 ちょっと下品な言い方だが闇黒さんみたいな、あるいは、徳保さんの言うような、W3

    Googleというルール - finalventの日記
  • 日本のブログを考えるうえで重要ではあるだろうな - finalventの日記

    泉さんにしてみるとこうした点は触れられたくはないでしょうが。 ⇒GripBlog 〜私がみた事実〜 : 取材活動ができなくなる可能性〜お願い 私(うんこ)、野、黒崎……3大アルファーコメンテーターの黒崎登場。とちゃかすわけもなく、主張には傾聴すべき点はある。 とはいえ、総括的にはこうかも。 Posted by: tue : 2006,03,14 : 07:14 私はここは作者の自分探しのブログだと思ってます。ふらふら、右往左往し、時にもうやめたと投げ出し。それが面白くて観に来てます。何かを生めばハッピーエンド、気がついたらなくなってたというのなら、「まぁ、そんなもんか」。経済的に持続可能なメカニズムを持たない以上、ここの活動も今のところお遊びと変わりません。それなのにこの執着、憤り、一番幻想を抱いていたのは黒崎さん、あなたじゃないのですか?わかりきったことを大人気ないですよ。 とりあえず

    日本のブログを考えるうえで重要ではあるだろうな - finalventの日記
    Hebi
    Hebi 2006/03/14
    後半同意>フツーにネットのリソースとなるエントリが多い。それらのエントリは、「誰の」に限定されない部分である程度独立して評価できる。/実際には、ブログのエントリというのは、それ自体が別の文脈の価値があ
  • いや、そうではないと思うのだ - finalventの日記

    ⇒■[社会][メモ]とか言いながら、スグにまた脊髄反射的に 10 その場に立ちあわなければ、その出来事の事実を「知る」ことは出来ないし、その出来事を「知って」しまった人は、その出来事を「客観的、全体的、歴史的に把握する」ことは出来ないのではないかと思うのです。 ちょっと若い人に刺激的な言い方になるのだが、三十年から四十年くらい生きてみると、自分の人生というのが歴史のなかに埋め込まれている、ぅあっ、俺って歴史なんだという奇妙な感触が出てくる。簡単な部分では懐古だが。それは若い世代には伝えにくい時代感覚かもしれない。 そして、その自分が歴史である、そうか、人間が歴史なのか、というところから、人は人の体験に独自の内的な歴史の感覚から耳を澄まそうとするようになる。 このあたりがうまく言えないのだが、人の話を聞くというのがコミュニケーションとかいう次元だけではなくなるし、まして真偽だの善悪の判断では

    いや、そうではないと思うのだ - finalventの日記
    Hebi
    Hebi 2006/03/04
    昔は年長者からこういうこと言われると「けっ」て思ってたけどわかる年になりつつある。なんだかんだ言っても歴史から逃れられる人間なんていないんだなーと思えるようになるまでは、「けっ」でもいいとも思ったり。
  • 多様性? - finalventの日記

    ⇒ARTIFACT ―人工事実― : ネットは多様性を生むという幻想が終わった時代に 傾向としては多様性の排除というのはあり、これは文化戦争に収斂していくように思うのだが、と、この傾向はメディアというもの形式性に依存しているのではないか。あれだ、マクルーハン的以下略。 で、個性とかそういうものでいえば、多様でありうる。 っていうか、精神というのは孤独なものでしかない。 マスがでかいだけ。 で、草原を避けて枯れ草をはむ。 実際のところ自分のブログは?というと、微妙。というか、読まれかたに多様性がないんだろうなと思うことは多い、表面的なリアクションとかだと。 書き手としては依然孤立しているし、孤立以外はないでしょう。というか、書き手というのもは質的にそうでしょう。2年間毎日書いてごらん。 いや、読まれかたというか、沈黙の読まれかたを深く信頼するしかないだろうとは思う。

    多様性? - finalventの日記
    Hebi
    Hebi 2006/02/07
    銀河通信・ボトルメール・ロングテール・暗黙知を共有する(by mutronix)>沈黙の読まれかたを深く信頼するしかない
  • Irregular Expression: マスコミがインターネット・ブログ文化に対抗する4つ目の方法 - finalventの日記

    そういえば…という話題。ま、essaさんも書かれていたがま、そ。 ⇒新聞や既成のマスコミが、インターネット・ブログ文化に対抗する3つの方法 ⇒ 愛・蔵太の気ままな日記:新聞や既成のマスコミが、インターネット・ブログ文化に対抗する3つの方法 ところでgoriさんの指摘: もちろんマスコミが無くなったら困るのは間違い無い、でも敢えてマスコミに金を払いたくなるような価値があるか?と問われると、無いんだよなこれが。 となると彼らが企業として存続するには広告収入を狙うしか無いわけで、読者よりスポンサー重視主義になって益々読み手との目線の乖離が酷くなる。そして更に一般人のマスコミ離れが進む、と。書いてたらマスコミという存在自体が金を稼げるスキームになるにはスポンサーに媚び諂いスポンサーの利益になるような記事を書くしかないような気がしてきた。それをあたかも読者の目線で書いてるように思わせたり、ジャーナリ

    Irregular Expression: マスコミがインターネット・ブログ文化に対抗する4つ目の方法 - finalventの日記
  • 「死にたい」と実際死んじゃうの間にあるもの… - finalventの日記

    よくわからん。 が、なんとなく思うことがある。 すべての人に当てはまるものではないのだろうが。 「死にたい」というのは、主語は、自分だ。 だから、その「自分」とその「自分」を支える者があるうちはまだいい。 どうも、「間」には、そうではなく、「死ね!」という他者のような自己の意識があるように思う。 もちろん、ネットなどではあちこちから「死ね!」が飛んでくるのだが、ま、これも同じ構造かもしれないが、ちょっと置いといて。 心の中に「死ね!」と告げるなに者かがある。それは、正常の状態でもうっすらあるのではないか。 普通はその者に「死ぬものか」と抗うのだが。 が、そもそも「死ね」と告げるように、意識を分断し、疎外し、一種他の人格のようにささやくそいつはなぜそこにいるのか(自分の意識の内部になぜ)? 私は、それは、私の隠された嘘のせいなんじゃないかと思う。 私の意識が嘘を抱えると、私の意識は分断し、そ

    「死にたい」と実際死んじゃうの間にあるもの… - finalventの日記
    Hebi
    Hebi 2005/06/12
  • ネタにマジレスというわけではないがある程度真実なんでしょうね - finalventの日記

    これ⇒はてなブックマークが共有しているもの[その他] 真性引き篭もり/entry 人と情報、情報と人によって浮き出るものはくだらない。 大衆は常に場当たり的に情報を求め、その欲求の流れが時代を作り出す。 時代の中心にあるのは、くだらない知と、くだらない情報だ。 くだらない流行、即ち時代というものである。 つまり来年の4月には肥大化したはてなブックマークははてなリーダーの手に負えなくなり、はてなブックマークとしての致死に至り死に、細かく巨大化した近藤淳也も死ぬ。それを持ってソーシャルブックマークサービスはソーシャルブックマークサービスとなり、ソーシャルではないソーシャルという1つの時代は終焉し、作り上げられた近藤淳也というはてなはそれぞれの心の中へと帰って行き、「そんな時代もあったね」と語られる日々の中でjin115ややねうらおといったような人々の脇に添えられてしまう時代が訪れる事が確実視さ

    ネタにマジレスというわけではないがある程度真実なんでしょうね - finalventの日記
    Hebi
    Hebi 2005/06/10
    道具全体が何を産むかではなく、自分がどう使うかどうなりたいか考えるところにしか道はない気がする。
  • ネットのことがよくわからなくなりつつある… - finalventの日記

    昨日、くりさんからウソバレを指摘されて、そういえば、RSSとメールってあんまし差がなくなってしまって。そして、メールはどうしてもうまく休めないときがあって…あー弁解は見苦しい…。それと、ブックマークってあまりネットという感じしなくて…ずぶずぶ。 ま、それはそれとして。 情報と自分の距離というのが、ちょっとわからなくなりつつありますね。ま、まいどながらうまく言えないのだけど。 例えば、ブログのエントリとか、一面では、気軽にほいって書こうと思っているのですよ。丹誠込めて書く人もいるだろうけど、私なんかそれだとへたりそうだし。で、反面、それはそれで、ひとつひとつのエントリに思いいれはある…でも、RSSとか側からすると、なんでも、フラットに、ただのネタなんですよね。で、それが悪いわけでもない。 ただ、自分が他の人のエントリを読むときでも、そうネタとしてだけ読んでいるわけでもない。 そのあたり、なん

    ネットのことがよくわからなくなりつつある… - finalventの日記
    Hebi
    Hebi 2005/05/23
    最近、使う道具で頭の中身まで左右されてる感じが強まっててちょっと怖いです。
  • はてなQ  「徒然草」の現代語訳で、安価&内容のしっかりとしているものを教えてください。 - finalventの日記

    岩波文庫ではだめか? 個人的には講談社文庫のがよいと思うのだが、今は絶版だろう。 「徒然草」程度の時代の言葉なら、きちんと日語にふれあっていくと、40歳ごろ、普通の言葉のように読めはじめると思う。というか、我ながら、古語が自分の言語の延長に自然に訪れるときがあって、驚いたものだ。 そうなってから読んでもいいとは思う。 八 つになりし年、父に問ひて云はく、「仏は如何なるものにか候ふらん」と云ふ。父が云はく、「仏には、人の成りたるなり」と。また問ふ、「人は何として仏には成り候ふやらん」と。父また、「仏の教によりて成るなり」と答ふ。また問ふ、「教へ候ひける仏をば、何が教へ候ひける」と。また答ふ、「それもまた、先の仏の教によりて成り給ふなり」と。また問ふ、「その教へ始め候ひける、第一の仏は、如何なる仏にか候ひける」と云ふ時、父、「空よりや降りけん。土よりや湧きけん」と言ひて笑ふ。「問ひ詰められて

    はてなQ  「徒然草」の現代語訳で、安価&内容のしっかりとしているものを教えてください。 - finalventの日記
    Hebi
    Hebi 2005/02/12
    >岩波文庫/絶版だけど講談社文庫
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