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ブックマーク / mutronix.hatenadiary.org (57)

  • 「みんな好きずきやればいいじゃない」というのにも責任はあるよ - 焚書官の日常

    書いてたものを放流。 「あなたはいつか趣味の世界からいなくなる、だから趣味の世界を守るために後進の育成をしましょう」という趣旨のツイートに、半分納得、半分疑問符。 Pro/ConのConから書く。<趣味の世界>というのは、<クラスタ>みたいなもので、たまたま線を引いて切り取ったらそこにあった、というようなものだろう。そして、それがあることにしたい人が、その世界を所与のものとして、なくなってはいけないものとして、語りたがるのだろう。自分はことさらに「ある」と思い込もうとはしていないので、守ろう、と言われても「何を?」というのが正直な感覚。「後進の育成って? これ部活か何かだっけ?」という感じ。 でも、そういった違和感から単純に「みんな思い思いに好きなことやってれば、それでいいのでは?」という見解を引き出すことには、同意しない。 正確に言えば、「みんな好きずき」が「好きへの無関心」を表すことに

    「みんな好きずきやればいいじゃない」というのにも責任はあるよ - 焚書官の日常
    Hebi
    Hebi 2011/11/30
    >その人の持ってる歪みに興味がある
  • 忘年会帰り - 焚書官の日常

    喫茶店で、北村薫『夜の蝉』。しまった…。この、悪魔のような語り口を、忘れていた。 文体の、間、で、ものの数ページで「私」にさせられてしまう。女の子が読んで、これどうなんだろうなぁ。 忘年会シーズン、酔って風俗に行きそうになったとき読むと、抑止力になるかも。 (すいません)

    忘年会帰り - 焚書官の日常
    Hebi
    Hebi 2006/12/23
    日によって「私」みたいな女の子になった気になれるときも、なんなんじゃこいつはとつっこみまくりたくなるときも、逆に男性視点でときめくときも。いろんな楽しみ方があります。
  • 右の「ひとりの時間」は多ければ多いほどいい - 焚書官の日常

    日記やmixiなどの有害物にかまけたりせず自分の意志で何か行動したと思った時間を記録する。それが1日1時間て何それ。

    右の「ひとりの時間」は多ければ多いほどいい - 焚書官の日常
    Hebi
    Hebi 2006/11/10
    この種の時間を習慣の惰性のうちに組み込むのがライフハックではあるまいかーとか。いちいち意志を駆動するのがしんどいのでそうせざるを得ないしくみを仕込む/グラフ記法で日記中に書いて…も右にはならないなぁ。
  • 特濃レビューを書きながら思った - 焚書官の日常

    今回に限らず、感動をおぼえるレベルの傑作ゲームに出会うと、おれは比喩てんこもりでレビューを書いてしまう。 http://d.hatena.ne.jp/mutronix/20061031/p3 しかし、それらオモシロについて、ここで言葉を尽くした結果、何の変化があるか。よくて、会った人が「あー、日記になんか書いてましたねー」とリアクションをくれる程度である。なんかってなんだ! まぁ長文がうざいから相手するのがめんどくさい、というのはあるかもだが。 しかし、反応の鈍さには、そういうおれ自身の問題よりも重要なことがあると感じる。 たとえば「昨日読んだ」としてここにISBNを画像つきで紹介すると、それほど熱を込めて紹介したわけでもないのに、レポートを見ると、思いの外クリックがあったりする。 リアルによって裏付けされないレビューっていうのは、結局のところ見もさわれもしないものを誉めているフィクショ

    特濃レビューを書きながら思った - 焚書官の日常
    Hebi
    Hebi 2006/11/01
    非ゲーマーなのでゲームレビューはいつも架空書評感覚で読んでいることに今気づいた。
  • 常体敬体が混ざる - 焚書官の日常

    この間読んだ(asin:4061498444)で「コードスイッチ話法」が巧みな人は空気を操れる、ということを意識してしまったのかわからないが、書いている文章の中に常体と敬体が無根拠に混ざるようになってしまった気がする。

    常体敬体が混ざる - 焚書官の日常
    Hebi
    Hebi 2006/10/30
    昔は常体と敬体が混ざっているのが気持ち悪くてしょうがなかったのに、最近混ぜたくてそれが何でか分からなかったんだけど、腑に落ちた。相手との関係の糸をたこ揚げのときみたいに引っ張ったりゆるめたりする感覚。
  • 読書について - 焚書官の日常

    書いてあることに感動するのはダサい、という強迫観念みたいなものがあるのかもしれない。書いてあることではなくてその書き方に感動するべきだ、というか。 古典は、書いてあることに格闘することを読者に要求する。うーん違うな。読者が格闘したいと思ったとき、古典が読者の前に現れる。

    読書について - 焚書官の日常
  • 酔えなくなるのは不幸なことばかりではない、という - 焚書官の日常

    http://d.hatena.ne.jp/adramine/20060724/1153722290 http://d.hatena.ne.jp/yms-zun/20060724#enjoy えーとなんかいろいろ申し訳ないですというか。ちなみに読んでいたのはGOSICK(2)。読めないなりにぼちぼち読んでますが、面白いとかそういうのはまだわからなくて、シリーズの話の転がし方に興味があります。 さて。昨日今日と書きながら勝手に「ステージ1」「ステージ2」と書いてたことだけど、これをお酒に喩えるなら ステージ1:いろんな酒に出会えてうれしい、酔えるし、という時期(酒呑み) ステージ2:たいていのものに耐性がついて酔わなくなってしまったが、自分の中に酒かくあるべしという信念が生まれてそれが大事になってくる時期(メタ酒呑み?) という感じでしょうか。ポイントは「酔えなくなる」というのは、悪いだけじ

    酔えなくなるのは不幸なことばかりではない、という - 焚書官の日常
    Hebi
    Hebi 2006/07/25
    他の趣味がどうかは分からないけれど、年をとるにつれていろんな実経験(イメージの視点や材料)が増えるとステージ2から1に降りてって以前とは違う楽しみ方ができるようになるから読書は奥が深いと最近思う。
  • ライトノベルを読んでいたら - 焚書官の日常

    「そんなゴミみたいなものを読むなんて君はなんて無意味なことをしてるんだい?」 と、脳内の勝ち組志向のおれが言うのでそれへの答えを考えてみた。 確かに今おれが読んでいるこれは、人生の真理からはほど遠いし、芸術的な価値もほとんどない。まぁ、それはおいとこう。それどころか、エンターテイメントとしても不十分だとも、思う。 ラノベの文章は読者のラノベ常識に頼りすぎていて、それに乗れないと適切に情景を想像することすら難しい。 つまりどこかで読んだ設定・どこかで読んだストーリーに近づくほど受容しやすくなるが、どこかで読んだものならそもそも読む必要がなくなる。 いや…だからそれは問題ではないと言いたいのだ。 どこかで読んだような話を1時間で読み流すようなことを繰り返すと、「あそこの展開が弱いのではないか」「ここは説明が足りない」「折角こういう伏線が使えるのに勿体ない」といった不満が生まれるようになる。ほぼ

    ライトノベルを読んでいたら - 焚書官の日常
    Hebi
    Hebi 2006/07/24
    これ、ラノベにかぎらないなぁ。読書に慣れるとミステリでも恋愛小説でもあら探しばっかりしてしまう。
  • 読者が「解く」べき謎なんてない、なぜならそれは作者が準備したものだから - 焚書官の日常

    ということを、ここ数日の日記のまとめとして書こうと思いましたが、まとまらないので書けません。 作者が作ったものを読者・プレイヤーが「解く」というのは、極端に言えば嘘でしょう。ゲームにおける「謎解き」っていう言葉の語感はおれの中では「おつかい」と大差ない。あるアクションへの誘導が、暗示されているか明示されているかの違いでしかありません。 あーそうだ 何が起きたのかがわからないタイプの話というのはあって、これは大きな「謎」だと思うし、惹かれる。 予想と裏切り 作者がてっきり準備してるものだと信頼してたら、準備してなかったから腹が立つんだよ、みたいなことがある。清涼院流水とか。 わたしは『奇偶』も「え、明快なオチなし?」と思ったのだが、それはそれで「あぁ思ったほど楽しめなかったな」と思うだけだ。(『コズミック』『ジョーカー』は文体に耐えられなくなって途中で捨てた。あと背がピンク色だったのも陶し

    読者が「解く」べき謎なんてない、なぜならそれは作者が準備したものだから - 焚書官の日常
    Hebi
    Hebi 2006/07/18
    ここから一歩階段下がると、解かれることを意図しないまま作られた謎なんて許せないという憤りになって、こういうケースに限って壁本している気もするなぁ
  • 書籍のハードカバー - 焚書官の日常

    ときどき拝読してる日記のあの方がオレと同様あのを積ん読していたなんて! と、心休まる思いをしているここ数日。 数年前、気負ってハードカバー買ったわりには完読していないが、立て続けに3作品、文庫になって出てしまった。 しかし、めちゃめちゃそのが好きか、お金に困って文庫を買うのも惜しい、という状態でないかぎり、最終的には場所をとらない文庫のほうがいいのではないか、ハードカバーというのは単に早耳価格のようなものだから読んで「面白かった!」くらいならもうハードカバーは手放してしまってもいいよな、と考えることにした。いや、まだ読んでないからそれすらできないのが問題なわけだが…。 文庫になったからといって、書店の棚を占めている時間がはっきりするわけでもない(特に棚の小さい地方の書店ではそう)。逆に、あーこれで文庫も書店から消えてしまったら読めなくなるんだな、などと無意味な不安を抱いたりする。

    書籍のハードカバー - 焚書官の日常
    Hebi
    Hebi 2006/06/16
    未読本の文庫が出たときの心理/>ハードカバーというのは単に早耳価格のようなものだから
  • Getting Things Done(2) - 焚書官の日常

    http://d.hatena.ne.jp/mutronix/20060513/p2 のつづき。 GTD(私が理解した)の方法論で重要なのは「やることを探し出すまでに十分時間をかけろ」と言ってる点にあるのですが、もっと言うと「やることを探し出すまでの処理を、必要以上に便利にするな」ということなのです。 タスクというのは 仕事に使えるようにRuby勉強したい (粒度大) 手が動かないのをなんとかすべき(粒度中) 書籍のサンプルを順番に試す(粒度小) Rubyで発想できるように頭を馴らす(粒度中) 今書いているへちょいcgiをRubyで書き直してみる(粒度小) ... このように大きなものから小さいものへと、順番にブレイクダウンしていくものです。一見これは、コンピュータやPDAで綺麗に処理ができそうです。 理想のスケジューラがあったら…そこにまず、曖昧で大きなタスクを放り込んで、暇なときにそれ

    Getting Things Done(2) - 焚書官の日常
    Hebi
    Hebi 2006/05/15
    はてな使ってみて思ったのは道具を使うことは自分の思考回路にそれをインストールすることでもあるということで、そういう意味であらゆるツールは思考の外注というよりか、仮想機構の脳内注入なのかも知れない…
  • Getting Things Done - 焚書官の日常

    いろいろ整理したい気分になっている。GTD(Getting Things Done)のの影響だとしたらおれはそうとう単純な人間らしい。 Life Hacks PRESS ~デジタル世代の「カイゼン」術~ 作者: 田口元,安藤幸央,平林純,角征典,和田卓人,金子順,角谷信太郎出版社/メーカー: 技術評論社発売日: 2006/03/23メディア: 大型購入: 27人 クリック: 886回この商品を含むブログ (396件) を見る このに「GTD」として紹介されていることは、かなり重めの管理を要求する。タスクの抽出からオーガナイズに3時間かけろだとか書いてある。しかし、頭がすっきりするからやってしまう。つまり管理のコストをちょっと上げて気分良くなりましょうということであって、このへんの順序が、よくある「シンプルがいちばん!」みたいなビジネス書と逆になってるような気がする。 管理コストを上げ

    Getting Things Done - 焚書官の日常
    Hebi
    Hebi 2006/05/14
    結局土台にどれだけ贅沢に時間をかけられるかなんだろうなぁ。
  • 焚書官の日常 (5) - 私の頭の中のメモ帳

    さてオフ会のシーズンである。大学生になってmixiデビューして、え何君も熊なん、そしたら連休オフ会やろうやー、はいはいパルコ前に6時ね、などという待ち合わせをしてはせ参じる、といった一般的な例はおいといて、ブロガー同士のオフ会では人のアーティクルを読んでいることがかなり重要である。なぜってそれしか情報がないから。私などはほとんど他人の日記を読まないので、オフ会が開かれる時期になると、「そういえば**事件の時にですねぇゴニョゴニョ」「あーあれはねゴニョゴニョ」「あ、mutronixさん何か飲み物いりますか?」「あ、カルチューひとつ」と、3時間で自分の話した音節が20に満たないというような空想のオフ会を想像して背筋が凍り付くのである。今書いていても手汗がびっしょりだ。 そこで他人の日記を読もうということになる。ブラウザを開き、参加者(空想のオフ会なので、空想の参加者です)の日記を開いて上から

    焚書官の日常 (5) - 私の頭の中のメモ帳
    Hebi
    Hebi 2006/04/22
    はてブカレンダー2005 http://yagi.xrea.jp/2005/hbcal/とかどうでしょう。
  • SF日記 - 焚書官の日常

    はてなの質問で「SFを読み始めたばかりの者ですが、ハードではないものでお薦めを教えてください。ハイペリオンやしあわせの理由は読みました」というのがあって、これはオレも一緒になって読むべきだと思ったが、なかなかこれはというものが出てこない。 question:1145099590 アナログゲーム世界において初めての人に「とりあえずカタンでもやってみては」、んでその次は「あとはまぁ適当に好みで…プエルトリコはちょっと重いしなぁ」みたいな脳内勝手二極化が行われるのと相似でしょうか。鉄板のお薦めは誰にだって言えるけど、そこから先は道がない。 そういう人には、この1冊、じゃなくって、2,3冊スジを教えたほうがいいのかなぁ。スジというか…なんというか、自分の薦めたが相手の認識を変える、みたいな幻想を捨てたほうが、気楽に薦められるような。自分もヘンな人からいろいろ教わりたいもんだ。 SFは1000冊読

    SF日記 - 焚書官の日常
    Hebi
    Hebi 2006/04/16
    ある程度知識が増えると軽々にお薦めとかいえなくなる。人力検索だとポイントと引き換えなのもハードル高い/言えてる。>趣味を始めたばかりの人には、1000冊読んでない人が喜んでる姿のほうが信頼できると思った。
  • wikiと日記 - 焚書官の日常

    膨大なリファレンスとリンク情報を持つ、とか、言われている『薔薇の名前』の、いくぶんでもおいしいところを読もうと、単純な発想ながら、ハイパーテキスト的な書物にはハイパーテキストだぜとばかり、読書メモのためにwikiスペースを借りてみた。 うーん、これは、に限らず、有効だ。もっとみんな、ボコボコwikiディレクトリを作っていい。 なぜもっと早く、これをやらなかったのだろう。 ペンを片手にを読む。読書メモが積み上がっていく。しかし実は、一つ一つのメモは、それほど重要なのではなく、と私が反応しておきた、火花のようなものなのだ。この小さな、関係のゆるい、一つ一つの気づきを、どうやって言葉にして残せばよいのか。火花どうしを連結し、意味のある思考にするには、直線的なノートをとってはいけない。 ぐだぐだやらずに意味のある文章を積み上げればよい、と、言う人があるかもしれないが、今の自分が生み出した意味

    wikiと日記 - 焚書官の日常
  • 購読中のブログを「壁に投げる」機能の実装を要求する - 焚書官の日常

    ミステリなどで、今までこうかと思って読み進めていた話が、まったく違う斜め上の解決で終わり、自分の考えていた問題意識が梯子を外され宙ぶらりんになってしまうことがある。そういうとき、「壁にを投げたくなりました!」という人がいる。 ブログにおいても、今まで面白いと思って読んできたものが、実はある宗教団体の(元)信者によるものだった、という、ある意味驚天動地の叙述トリックに対して、「なんじゃそりゃー!」と、「壁にを投げる」と同等の機能を実装していただきたいものである。 社会的責任がどうとかいうのはよく知らんけど、人の書いたものを読み、それを受けて自分も書く、という世界では、とりあえず、読んだもののオチが気に入らなかった人は「なんじゃそりゃー!」と言っておけば、たいてい間に合うような気がする。

    購読中のブログを「壁に投げる」機能の実装を要求する - 焚書官の日常
    Hebi
    Hebi 2006/03/15
    むー。「本=エントリ」「ブロガー=作者」だとしたら、たとえ作者が何しようと本は投げないなぁ。本を投げるのは本がくだらなかったときであって…。/「ブロガー+エントリ=本」ならありかもだけど。
  • サブプロセスとしてvmekkenを走らせることができる理由 - 焚書官の日常

    昨日のエントリは後半小二化して茹だった頭で書いていたのでどう誤読をうけても仕方ない。(いや、そうじゃない時などないですが) いろいろフォローをしたくなるのだが、前提としてわたしが何故vmekkenに考えを乗っ取られないか、その理由を書いておく。 あのエントリの後半の蛇足が、「論理的なvmekkenに追いつめられたわたしが、大声(太字)で切れている」かのように思われたのであれば、それは心外だ。vmekkenには大きな屁理屈の穴がある。わたしはその穴から手を入れて、vmekkenをパペットとして操作することができる。vmekkenの主張をおさらいしてみよう。 「ブログというのは、一度書いてしまったら、<web2.0>によってすべての情報が浚われて再構成されてしまうものだ」 これは正しい。 「その流れは止められない」 これも正しい。ここまでは、vmumedamochioと互換でもある。 「その結

    サブプロセスとしてvmekkenを走らせることができる理由 - 焚書官の日常
    Hebi
    Hebi 2006/03/01
    これ読んでやっと論点が分かった…/不快・違和感を感じる人でも使い続けられるようにするにはどうしたらいいのかを考える向上心(?)があんたらにはないんか、という。/そりゃあ切りすてるのは楽だろうけど、と。
  • 情報に対するスタンスが違う - 焚書官の日常

    はてなSNSsns.hatelabo.jp)が嫌だという話。 http://i.hatena.ne.jp/idea/8786 以下、書きかけたが…投稿しても、立場を異にする人をどうできるわけでもないのでこっちに書いておく。 今回に限って言えば見え方や内容はそれほど問題ではないと考えます。 私が気に入らないのは、なんの手続き的な準備もなく、idについての既存の情報の新しいビューを「はてな社」が作ったということです。 そして、そのようなことを一つ認める、ということは、「はてな社」に、好きなときに、好きな形でidに関する情報表示をさせることを認める、ということになりませんか? たとえば、私の日記の全エントリの文字数や、一文あたりの平均読点の数、あるいは誤字の数といった情報についても、RSSではなくとも機械的に調査し公開することは(時間をかければ第三者でも)可能でしょう。そのような情報を表示され

    情報に対するスタンスが違う - 焚書官の日常
    Hebi
    Hebi 2006/02/28
    うーん。気持ちはわからなくもないけど、でも一回放流しちゃった情報だしなぁ…。
  • hatelabo.jpの感想 - 焚書官の日常

    すでに人の感想を見た後だしいろいろ混じっている。 sns 機能がしょぼいということじゃなくて、単に表に出ているものを集約して価値が生まれるんだろうかという疑問。人のユーザデータで遊ばんといてもらえるか、と、おそらく複数の人がでかい声で言うだろうからそちらに譲ります wordlink 自分で言葉どうしの関係性を(自分ルールで)規定できるところが面白いけど、まぁこんなもんか。 言葉ではなく、自分が結びつけた関係がコンテンツになってるところは面白い。 この言葉の1ノードをブログの1エントリまで大きくするとかなり面白いことになると思うんだけど、それは妄想だ。 自分が面白がるのと全体のノード構成を充実させる動きの間で綱引きがおきる(歴史は繰り返す) しかし、綱引き以上のもめ事にはならない 「なぜ揉めないのか」というところを突っ込んで研究すれば、他のサービスにも活かせるのではないか。 公的なノードから

    hatelabo.jpの感想 - 焚書官の日常
    Hebi
    Hebi 2006/02/22
    これいいなぁ。はてブとはてなWordLinkがタグごしに連携したら可能じゃないかとか、ひも分類とか>この言葉の1ノードをブログの1エントリまで大きくすると
  • 匿名の問題ではなく文責不定の問題だと思う - 焚書官の日常

    http://d.hatena.ne.jp/ululun/20060216/jinbutsuwikikirai wikiに不特定多数(「みんな」)の価値評価を書くのは僕も大嫌い。ululunさんが腹を立てているのは気分としてよくわかるんだけど、その根拠が少し違う。 「匿名で悪口を言うこと」ではなく、「文責が定かでないこと」が問題。一人が編集した瞬間、あたかも複数の人の査読・承認を経たように、ぬけぬけとwiki空間に存在してしまう、というのがおかしいと思う。 ここでおさらい→google:黒ユーザーリスト 「文責が定かでない」ということを問題にしないと、悪口を書かないwikiが無条件に「よいもの」になってしまう。その最たるものがwikipediaに対する信仰だと思う。 ここでおさらい→http://ameblo.jp/kougen/entry-10007917580.html wikiped

    匿名の問題ではなく文責不定の問題だと思う - 焚書官の日常
    Hebi
    Hebi 2006/02/17
    では文責が明確ならどういう事になるか、というと、古き良き(そして空気を読むことが何より求められる)リンクコメントみたいになるのかなぁ…