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2006年2月26日のブックマーク (9件)

  • Wikistitutionってどうっすか? : 404 Blog Not Found

    2006年02月26日01:53 カテゴリOpen SourceLightweight Languages Wikistitutionってどうっすか? 先日はTBありがとうございました。 ポケット六法〈平成18年版〉 法務だけど理系女子の綴るblog: プログラマに資したいですただ、私は法律の知識を広める、ってことを自分のミッションとしてずっとやりたくて、かつ、それが今一番求められている分野ってワールドワイドでみても、プログラミングの分野だと思うのです。 法律というのは、法治国家で生きて行く上で、剣であり盾です。自分の権利を守るためにも、他者の権利を尊重するためにも法律が必要です。これからどんどん適用範囲も分野も働く人も拡大して行き、世界のあり方を決めるであろうプログラマが法律の知識を、あまり持たない、ということが私にはとてもイヤなんです。逆に、法務部員もプログラミングを少しは理解すべき、

    Wikistitutionってどうっすか? : 404 Blog Not Found
    Hukusui
    Hukusui 2006/02/26
    web上の判例集
  • 『ホテル・ルワンダ』が役に立たない?? – 音極道茶室(旧アーカイブ)

    ベイエリア在住町山智浩アメリカ日記 – 『ホテル・ルワンダ』なんかまるで役に立たない!この人を見よ! を読んで。 誤解を招くかもしれないのであらかじめ断っておくと、町山氏がリンクした先のブログ主を擁護する意図は微塵もない。 しかし、この記事に対するブックマークコメントには強烈な違和感を感じた。町山氏の行動が親切?丁寧??私には理解できない。 町山氏が取ったような行動が「評価」されてしまうところに、ネット上で起こる多くの不毛な衝突の質があるような気がする。 今回の町山氏の記事内容には同意する。その主張は全くもって正論だと思う。 特に共感するのはこの部分。 このルワンダの事件を、遠いアフリカの出来事として観ても意味がない。 虐殺は、どこの国でも起こってきたし、これからも起こり得ることであって、 私たちは誰でも、人を差別して迫害する、虐殺の種を秘めているんだということを自覚し、 ルワンダみたい

    Hukusui
    Hukusui 2006/02/26
    人の意見を変えるには根気が必要。
  • 『センセーショナルな犯罪報道の先には何が待っている?』

    マスコミがセンセーショナルに流す報道、それによってわたしたちが「常識」として受け入れてしまう「治安悪化」の先に何が待ち構えているのか、それを書こうと思う。 こちらも龍谷大学の浜井浩一さんの論文を参考に下記に要約させていただく。 ** 日の刑事政策の大きな特徴に、刑務所人口の安定があった。欧米諸国で過剰収容が問題となった20世紀後半、また大戦後においても、30年以上日は過剰収容を経験していない。 犯罪率が多少上昇傾向にあった昭和末期から平成初期にかけても刑務所人口は減少しつづけている。ところが日の刑務所人口は1993年を底とし2000年には初めて定員を超える。無論、過剰収容は「犯罪が増えたわけではない」。つまり、今迄犯罪として実刑ではなかった者が刑務所に入ってきているのだ。 刑務所の過剰収容の報道は、あたかも凶悪犯罪が増えたかのごとく文脈ではあるが、立件数が増えたのである。さらに世論に

    Hukusui
    Hukusui 2006/02/26
    結局受刑者は『また社会に戻ってくる』というところがポイントになるんだろうな。
  • 『少年犯罪には先進国中一番厳しい日本』

    今日は調べものがあって国会図書館に行っていた。おもしろいデータを手に入れたのでご紹介しようと思う。龍谷大学、浜井浩一教授の論文にある調査である(※)。 日の「犯罪増加」の根拠は認知件数をもとにしているから間違うのだ。つまり認知件数はどういう犯罪を受理するかという警察の方針によって変わるからである。 浜井教授は国際的な犯罪被害調査をもとに論を展開する。調査は略して「ICVS」という。標準化された統計手法に基づいた、現在もっとも信頼性が高い調査である。 2000年に行なわれた調査において、日の被害率は「住居侵入、未遂」においては先進12か国中下から二番め。脅迫のみを省く暴力犯罪では一番低い。唯一の例外が自転車盗で各国中トップという結果である。 さらに、「被害が重大なもの」として受け取られたかどうかの調査では日は上位。 そして、「この罪にはどんな罰が適当か」という「量刑意識」については日

  • http://www.asahi.com/business/update/0224/142.html

    Hukusui
    Hukusui 2006/02/26
    フッドペダルって結構いろいろなものに使えそうなんだけど。。
  • ベイエリア在住町山智浩アメリカ日記 - 『ホテル・ルワンダ』なんかまるで役に立たない!

    こんなものにリンクされて、ものすごく脱力した。 http://blog.livedoor.jp/mahorobasuke/archives/50487989.html 僕は『ホテル・ルワンダ』を日で公開してもらうために、いろいろ尽力してきましたが、あの映画を観た後でも、こんなことを書く人がいるのを見ると、絶望的な気持ちになります。 この人は、僕が『ルワンダ』のパンフに関東大震災の朝鮮人虐殺事件について書いた意味がわからないようなので、もう一度書きます。 このルワンダの事件を、遠いアフリカの出来事として観ても意味がない。 虐殺は、どこの国でも起こってきたし、これからも起こり得ることであって、 私たちは誰でも、人を差別して迫害する、虐殺の種を秘めているんだということを自覚し、 ルワンダみたいな状況になった時、ポールさんのように行動できる人間にならなければ。 ところが、この人は、虐殺の種を抱え

    ベイエリア在住町山智浩アメリカ日記 - 『ホテル・ルワンダ』なんかまるで役に立たない!
    Hukusui
    Hukusui 2006/02/26
    脱力されるのもわかる。ほんと人に理解されるのって難しい。
  • 「平和を学ぶツール」としてのゲームの可能性 | WIRED VISION

    「平和を学ぶツール」としてのゲームの可能性 2004年4月26日 コメント: トラックバック (0) Daniel Terdiman 2004年04月26日 最初は、よくある一人称視点のシューティングゲームに思える――敵の群れに照準を合わせ、ミサイルを撃つタイプの。 しかし、オンライン・シミュレーションゲーム『September 12th』は他のゲームとは違う。アフガニスタンにある架空の村が舞台のこのゲームでは、アラブ人テロリストに向けて発射したミサイルが罪のない村人を殺すのだ――実際、村人を避けるのは不可能に近い。他の村人たちは駈け寄り、涙を流し、そして怒りから、今度は彼ら自身がテロリストへと変貌する。 「このゲームは、ことを起こすか否か、一般市民を犠牲にすることを避けられない行動を取るべきか否かという、恐ろしい決断を下さなければならない構造になっている」と語るのは、物語とゲームの関連性

    Hukusui
    Hukusui 2006/02/26
    ゲームの可能性。
  • 絶叫機械+絶望中止 - 読解力というものは、知能とは関係ない。

    内田樹という方が書かれていた『不快という貨幣』を読んだ。 これは、思春期のしくみではないかと思う。 内田さんの意見を要約すると、こうだ。 なぜニートになるのか。最近の子供は、具体的な作業を目にせず、帰宅した親の疲れた姿だけを見る。そして「辛い思いをすること=労働」だというふうに感じる。子供だって労働したい。だけど、近頃は家庭内で子供のできる簡単な労働がない。仕方なく、子供は、働かずに、わざと辛い思いをする。辛い思いをすること=労働だからだ。 まったく、何て簡単な話だろう、対象が子供であるならば。 ニートというのは、いい年をした若者であるはずだ。ならば彼らに「印象としての労働」と「じっさいの労働」の区別がつかないわけがない。いくらなんでも、いい年をした大人が、労働=苦痛=賃金とは思わないはずである。 なぜなら労働と賃金は=で結ばれないからだ。労働によって生まれた何かが金銭と交換され、それから

    絶叫機械+絶望中止 - 読解力というものは、知能とは関係ない。
    Hukusui
    Hukusui 2006/02/26
    相手の思考で考える
  • どうしてフリー・ソフトウェアのユーザビリティはアレなのか

    Why Free Software usability tends to suck 2005年12月25日 Matthew Thomas さんの2002年4月13日のブログエントリ、“Why Free Software usability tends to suck” の日語訳です(現在はリンク切れになってますが、Internet Archiveアーカイブが読めます)。僕はこれを Joel on Software の 「5つの世界」で(正確には書籍のほうを読んで)知りました。このエントリはいろいろと論争を巻き起こした有名なもののようですが、どうやら当時の日ではあんまり言及されてなかったみたいなので(≒ Google で見つからなかったってことですけど)、いまさらながら日語にしてみました。 お知らせ: Matthew Thomas さんは 2008 年に、この記事の続編ともいえる、