タグ

2019年2月7日のブックマーク (4件)

  • (5ページ目)薬物、強盗、公開処刑! 「死体を1日1体見た」広東省から考える“もう一つの中国” | 文春オンライン

    現在の広東省の街を見るとびっくりするが…… 佐近 考えてみると、日語でこういう話をしたのは十数年ぶりです。話しているうちにどんどん思い出してきました。ちょっと前まで、そうだったんだよなあ……。 安田 私もだいぶん思い出しました。社会が変化すると、それ以前の状態を忘れるんですよね。一昔前の感覚で現在の広東省の街を見るとびっくりします。治安はいいし、インフラも整った。ただ、それを一皮剥いた根っこの場所には、きっといまでも往年の「暗黒の伝統」が息づいているんでしょう。 佐近 現代の中国の監視社会は、中国政府の側が「放任すれば、以前のようにメチャクチャになる」と考えていることが、理由としてあるのでしょうね。それが良いか悪いかではなく、監視社会の出現については一種の納得感があります。 安田 かなりの納得感がありますね。そして「現在の社会は前よりもよい」という実感も明らかにある。やっぱり人権はないん

    (5ページ目)薬物、強盗、公開処刑! 「死体を1日1体見た」広東省から考える“もう一つの中国” | 文春オンライン
    Humisawa
    Humisawa 2019/02/07
    “北京から深圳や東莞までの距離って、パリからサラエボまでの距離よりも遠いですからね。「同じ欧州だからっておフランスの話をされても、こっちはスラブ圏やねん」みたいな気持ちになります。”
  • (4ページ目)薬物、強盗、公開処刑! 「死体を1日1体見た」広東省から考える“もう一つの中国” | 文春オンライン

    通り全部が「ピンク床屋」 安田 現在は表立ってはほぼ壊滅しましたが、以前はアンダーグラウンドな産業もすごかったです。深圳でも、街のいたるところにニセDVD屋とピンク床屋(注.中華圏では理髪店が簡易風俗店になる例が多い)がありました。当時は感覚が麻痺していて、完全に日常風景として眺めていましたが、いまから考えると異次元だよな……。 佐近 昔の会社の近所に、通りが全部ピンク床屋だけになっていた場所がありましたよ。一歩足を踏み入れるだけで店の人が100人ぐらいワラワラと集まってくるような。ちなみに通りの先にある公安の敷地内に、ある建物がありました。当時は公安が、ピンク床屋の客向けのレンタルルームというか、連れ込み宿みたいなものを経営していたわけです。 安田 でも、広東省のピンク床屋って、特に都市部ではゼロ年代中盤〜後半に一気に消滅しましたよね。当にウソみたいに消えてしまった。都市化が進むと、社

    (4ページ目)薬物、強盗、公開処刑! 「死体を1日1体見た」広東省から考える“もう一つの中国” | 文春オンライン
    Humisawa
    Humisawa 2019/02/07
    “2006年末、確か沙咀村という巨大な売春街が摘発された際も、働いている女性や関係者らが100人規模で市中引き回しにされていましたっけ。たった12年くらい前まで、深圳でも普通にそういうことをやっていた”
  • (3ページ目)薬物、強盗、公開処刑! 「死体を1日1体見た」広東省から考える“もう一つの中国” | 文春オンライン

    深圳の高速道路には山賊が出た! 佐近 暴力といえば、昔の会社が広州の外れの永和経済開発区という場所にありましたが、かなりヤバかったですよ。強盗とか荒っぽい犯罪者が多いから、公安(警察)がすぐにマシンガンを撃つんです。会社で仕事してると、外からタタタタタン、と乾いた音が聞こえてくる。 安田 無法地帯すぎる(笑)。90年代後半ですね。 佐近 会社の門の前に、分銅の付いた鎖を振り回しているヤバいやつがいましたからね。ずっと振り回し続けていたので、変なヤクをやっていたんだと思う。当時は薬物関連も、氷毒(メタンフェタミン)なんかが野放し状態で流通していたので、頭がおかしくなっている人が多かった。 安田 2003年の春に、当時の中国人の彼女と乗ったタクシーの運転手がそういう人でした。「俺は追われているんだ!」とか叫んで、駐車中の他の車にボコボコぶつかりながら走りはじめて。時速140キロぐらいでタンクロ

    (3ページ目)薬物、強盗、公開処刑! 「死体を1日1体見た」広東省から考える“もう一つの中国” | 文春オンライン
    Humisawa
    Humisawa 2019/02/07
    西部劇かな? “強盗とか荒っぽい犯罪者が多いから、公安(警察)がすぐにマシンガンを撃つんです。会社で仕事してると、外からタタタタタン、と乾いた音が聞こえてくる。”
  • (2ページ目)薬物、強盗、公開処刑! 「死体を1日1体見た」広東省から考える“もう一つの中国” | 文春オンライン

    「1日1回は死体を見ていました」 安田 まずはご経歴をおさらいさせてください。佐近さんは日語と広東語が両方ネイティヴ。それプラス、標準中国語(普通話)と英語も不自由なく話すことができます。 佐近 ですね。僕の経歴を言いますと、親の仕事の関係で香港で育って、現地ローカルの学校に通ってから香港の日人学校に行っていました。それから、高校・大学は日。大学時代に広東語を言語学的な面から勉強しなおしました。 安田 大学時代は千島英一先生のお弟子さんですよね。日人の広東語学習者がほぼ必ず手に取る、『東方広東語辞典』や『エクスプレス広東語』を書かれた広東語研究の泰斗です。 佐近 はい。で、学生時代に台湾に留学して標準中国語も覚えて、1996年以降、多少の中断はありますが基的に広東省で働いています。2016年に独立して、現地で東莞市比愛色印刷材料有限公司という印刷会社を経営しています。自宅は香港に

    (2ページ目)薬物、強盗、公開処刑! 「死体を1日1体見た」広東省から考える“もう一つの中国” | 文春オンライン
    Humisawa
    Humisawa 2019/02/07
    90年代末の広東 “ドライバーが事故現場にとどまると身の危険があるからです。村人が総出で復讐にやってきて、よくて半殺しにされるし、車もボコボコにされてしまう。基本、生命が軽くて、暴力が身近な世界でした”