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オタクと思想に関するImamuのブックマーク (44)

  • 新連載「現場から遠く離れて」第一章 ゼロ年代は「現場」の時代だった 【1】 - WEBスナイパー

    第一章 ゼロ年代は「現場」の時代だった 【1】 ネット時代の技術を前に我々が現実を認識する手段は変わり続け、現実は仮想世界との差異を狭めていく。日々拡散し続ける状況に対して、人々は特権的な受容体験を希求する――「現場」。だが、それはそもそも何なのか。「現場」は、同じ場所、同じ体験、同じ経験を持つということについて、我々に質的な問いを 突きつける。昨今のポップカルチャーが求めてきたリアリティの変遷を、時代と ジャンルを横断しながら検証する、さやわか氏の批評シリーズ連載、開始! インターネットの普及が始まって以来、つまりここ15年ほどで、日のポップカルチャーの状況は急激に様変わりした。これは今さら言うまでもないことで、ほとんどの人に同意してもらえるだろう。だが、いま筆者が考えるのは、どのように状況が変わったのかということについて、いまだ十分な理解がなされてきたとは言えないということである。

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    Imamu 2011/03/06
    「中森が定義したように、特定のジャンルを嗜好することと内向性を直結させたような定義付けは失効しており」
  • 『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』論考 - 濱野智史の個人ウェブサイト@hatena

    7月頃、「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破 」に関する原稿を書いたのですが、諸事情につき刊行されない運びとなったとのことなので、せっかくなのでウェブサイト上にアップしたいと思います。約8,000字です。 ■ 『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』(以下、『新エヴァ』と略す)の総監督である庵野秀明は、いまから約三年前にあたる二〇〇六年の九月に、同作品を制作するにあたって「我々は再び、何を作ろうとしているのか?」と題された所信表明を公開している(注1)。そこでは次のように書かれていた。なぜいまエヴァの再映画化を手がけるのか。それは「疲弊しつつある日のアニメーションを、未来へとつなげたいという願い。蔓延する閉塞感を打破したいという願い」を実現するためである。もちろん、いまさら十年以上も前の作品を映画化するのか、という思いはある。事実、「エヴァはもう古い、とも感じ」る。しかし、庵野はこうも断言している。「この

    『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』論考 - 濱野智史の個人ウェブサイト@hatena
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    Imamu 2009/09/08
    「『新エヴァ』という作品自体が、人々の「繋がりの社会性」を満たすための媒介」「コンテンツとコミュニケーションのカップリング」『コミュニケーション・スキルの格差を「無関連化(in-differentiation)」』
  • 【訃報】・「平岡正明氏」 - ふぬけ共和国blog

    評論家の平岡正明氏死去 平岡正明氏が亡くなってしまった。 昨年の1月か2月、阿佐ヶ谷ロフトのイベントを観に行ったときがこの人のトークを生で聞いた最初で最後になってしまった。 私は平岡正明氏の大ファンというわけではなかったが、やはり気になる人だった。 私にとって、彼は簡単に言えば「勧善懲悪の人」。 むろん、「永久革命」という彼にとっての「正義」に基づいて物事を判断しているという意味。 大衆や周辺的な人が正義で、彼らが中央的なものにとって代わる幻想を抱き続けてきた人である。 だから、この人は論点としては何を論じても同じなんだろうと思う。 私が読んだのは山田風太郎論と、あと水滸伝、清水次郎長、中森明菜についての文章くらいだけど(有名な「山口百恵は菩薩である」は読んでない)。 で、「同じだからどうでもいい」と、私と同世代、あるいは年齢的に下の人たちは思っていたと思う。というか、私と同世代か年齢的に

    【訃報】・「平岡正明氏」 - ふぬけ共和国blog
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    Imamu 2009/07/10
    平岡正明-「大衆」や周辺的な人へ仮託/オタク-「センスエリートの哲人政治」が担えないルサンチマン
  • 米国での学会用の英語配付資料の日本語版 - MIYADAI.com Blog

    ──────────────────────── 1992年以降の日サブカルチャー史における意味論(semantics)の変遷 ──────────────────────── 序 『サブカルチャー神話解体』以降の2つの変化 【『サブカルチャー神話解体』以降】 私は『サブカルチャー神話解体』(1993)などの著作を通し、戦後日のサブカルチャーの変遷史を、社会システム理論の枠組を用いて記述してきました。社会システム理論の枠組は、従来の「上部構造と下部構造の二元論」から区別される「コミュニケーション一元論」の枠組で、コミュニケーション以外のものを要素としないシステムのダイナミズムを記述します。 戦後復興の時代から高度経済成長の時代まで、すなわち1970年代前半までは、日のサブカルチャーは、経済決定論や下部構造決定論によって説明しやすかったのですが、耐久消費財がゆきわたって「モノの豊かさ」

    Imamu
    Imamu 2009/03/09
    『「現実の至高性(paramountness of the reality)」が失~「現実の虚構化」と「虚構の現実化」の区別が実質を失い』『「この現実」がどんどん軽くなる~「オタク差別の消滅」「オタクの公認化」「総オタク化」の動きが、ぴったり
  • 余裕への憎悪  - 成馬零一が考えていること。

    アキハバラ発―〈00年代〉への問い 作者: 大澤真幸出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 2008/09/26メディア: 単行購入: 8人 クリック: 136回この商品を含むブログ (52件) を見る 今年のことを振り返る時にどうしてお避けて通れないのは秋葉原で起きた連続殺傷事件だろう。 あの事件が起きた時、ネットでは多くの人が事件と犯人の加藤智大の経歴に衝撃を受け、何とか自分達の問題として、言葉にしようとし、おそらくそれと同じくらい、関わりたくない、できれば避けたいと思い沈黙、あるいは語ること自体を牽制し合った。僕はどちらかというと後者の側で、事件が起きた時、ショックを受けてる人に対し、どこか冷めた目で見ていた。 その理由は簡単に言うと、それが秋葉原で起きたオタクが殺された通り魔殺人だからで、例えば、その数日前に僕が以前住んでたアパートの近くで起きた福岡の某所での老婆が殺された通り魔事

    余裕への憎悪  - 成馬零一が考えていること。
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    Imamu 2008/12/30
    「自称グラビアアイドルの事件が、そういう超ライトオタクのカーニバル化のもっとも醜悪な形での表出」「加藤が殺したのは、今もネットで行われている趣味の闘争や、自虐ネタで繋がるコミュニティの持つ欺瞞だろう」
  • 時代を切り拓くサブ・カルチャー批評『ゼロ年代の想像力(早川書房)』 文=さやわか 【後編】 - WEBスナイパー

    special issue for the summer vacation 2008 2008夏休み特別企画! web sniper's book review 時代を切り拓くサブ・カルチャー批評 『ゼロ年代の想像力(早川書房)』 著者=宇野 常寛 【後編】 文=さやわか 『DEATH NOTE』、宮藤官九郎、よしながふみ……格差・郊外・ナショナリズム、激震するゼロ年代に生まれた物語たちの想像力は何を描いてきたのか。時代を更新するサブ・カルチャー批評の決定版。 << 前回の記事を読む 宇野がポスト決断主義として考えた作品への読解に、現実との齟齬が感じられた点は他にもある。木皿泉によるドラマ版『野ブタ。をプロデュース』(二〇〇五、日テレビ)についても同様で、こちらは作品側のレベルで宇野の期待するポスト決断主義の構想に追いついていないように見受けられる。宇野はこの作品について、主人公

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    Imamu 2008/08/18
    『等価に並べられてしまった物語たちにいかに向かい合うべきなのか』『宇野は、明らかに最低でもインターネットに接続し、「ネット論壇」的なものの存在を知っている読者だけを選んでいるのだ』
  • 時代を切り拓くサブ・カルチャー批評『ゼロ年代の想像力(早川書房)』 文=さやわか 【前編】 - WEBスナイパー

    special issue for the summer vacation 2008 2008夏休み特別企画! web sniper's book review 時代を切り拓くサブ・カルチャー批評 『ゼロ年代の想像力(早川書房)』 著者=宇野 常寛 【前編】 文=さやわか 『DEATH NOTE』、宮藤官九郎、よしながふみ……格差・郊外・ナショナリズム、激震するゼロ年代に生まれた物語たちの想像力は何を描いてきたのか。時代を更新するサブ・カルチャー批評の決定版。 昨年、『SFマガジン』誌上で連載が開始され、ネットを中心に大きな話題となった宇野常寛『ゼロ年代の想像力』がついに単行化された。つまり、これは話題のである。 連載開始当初から宇野が注目された理由とは、まずはやはり彼が「決断主義」という言葉によってゼロ年代のフィクションの特徴を抉り出すことに成功したからだろう。その達成は単行

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    Imamu 2008/08/16
    『ところが「ポスト決断主義」的なものを提出するにあたって、彼は作品の中から「こういう社会になれば安寧だ」という理想を語ることしかできない』
  • まだあの夏を越えられていない/つまりついに受容されなかったおたくの終焉と、失敗し続ける語り手 - N.S.S.BranchOffice

    はてなエコー, EVAオタクから個人主義へ。--Something Orangeついに受容されなかったメッセージ「オタク」から個人へ。価値観の異なる相手ともきっちりと対話しあうことのできる「言葉」を確立するということ。互いにわかりあえないこと、差異があることを前提として受け入れ、その上でなお、理解しあえる何かを模索すること。第一世代の遂に成し遂げられなかったことを、第三世代以降の「ポストオタク」世代は成し遂げるのかもしれないし、やはりあいかわらず「依存」と「排斥」が続くのかもしれない。それはわからない。オタクから個人主義へ。--Something Orangeこういう記事を読むといつも、ああ、あの夏から12年を経てなお、我々(という言い方にはやっぱり語弊があるような気がするんだけど、とりあえずはそういう言い方にしよう)はまだここで足踏みしているのだと思ってしまう。あの夏とは何か、といえば、

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    Imamu 2008/05/18
    (エヴァ)(セカイ/決断)「『コードギアス 反逆のルルーシュ』であれ『デスノート』であれ、そこで要請され主人公として行動を起こす「強い私」は、そういう仮面を付けなければ世の中渡っていけない「弱い私」の裏返し」
  • なぜオタクはニコニコ動画を語れないのか 「ネット動画時代の芸術作品」 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    なぜマンガは子供が見るものなのか マンガは子供が見るものと言われてきた。日のようなマンガによる多様な表現が行われるマンガ先進国でも、まだまだそのような考えは根強い。 なぜマンガは子供が見るものなのだろうか。簡単に言えば、実写に比べて画像表現のリアリティに欠けるからだろう。カメラが写すだけでは、光の情報しかない。人が「見る」ということは、「〜として見る」というように能動的に解釈することが必要である。 マンガは必要な情報だけを抜き出し、デフォルメされて書かれる。だから写真を見る場合には一から解釈する必要があるのに対して、マンガはすでに解釈されて提供される。(実際は写真もなにを写すというような解釈が含まれている。) 社会性が未熟な子供に対してマンガは、かわいいものはかわいく、怖いものは怖く、描くことで理解しやすいように噛み砕いて提供してあげる。その中で子供は社会的な解釈の共通基盤を学んでゆく。

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    Imamu 2008/05/14
    音楽評論家はどういう位置なんだろうか『ニコニコ動画は行為系の「オタク音楽カルチャー」』『音楽を楽しむのは「聴覚-運動系」(「行為系」)であり、オタクに楽しむのは「視覚系」(「認知系」)である』
  • 岡田斗司夫氏の新著について - 仮想算術の世界

    岡田斗司夫さんの『オタクはすでに死んでいる』。僕は発売直後に読み、ふつうに納得してそれで終わったのですが、さっきちょっと気になってネットを調べてみたら予想外に否定的――というかむしろ嘲笑的――な反応が多くて驚きました。そんな簡単にバカにしていいんでしょうか。 僕の印象では、ネットの評判は「オタクは死んだというが、それは岡田の思いこみで、いまでもオタクはいるし、これからもオタクは生き続けるだろう」というひとと、「岡田が言うように昔ながらのコアなオタクが死んだとして、だからどうだというのだ」というひとに大きく分かれています。けれども、それはどちらも浅い主張だと思います。 そもそも、なぜ論壇はオタクに惹かれるのか。いろいろな側面はあると思いますが、いちばん単純な理由は戦後の問題です。東浩紀さんがずっと言っているように、オタクというのは戦後日の価値を凝縮し、かつ大きくねじ曲げた文化階層として

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    Imamu 2008/05/13
    (戦後日本)(造り変える力)//「過剰人工的」テレビ/「過剰自然的」ゲーム//『ゼロ年代がオタクの遺産を食いつぶしていく10年だったとして、2010年代の実作や批評はその厳しさに直面することになると思います』
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    ネイルで使う材料で、DIY時の木割れやネジ跡を派手にしたらかわいい OSB合板でちょっとしたボックスをつくりました。 ビス止め下手すぎて木を割ったり穴あけすぎたりした場所に、好きな派手色の樹脂を詰めてパテ代わりにしてみました。 ちょっと某HAYっぽみ出て可愛かったので、自分用にメモです。 手順 塗装 派手色グミジェルで失敗部分…

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    Imamu 2008/01/19
    (アイマス)(京アニ)(ニコニコ)P=プロデューサー/プレイヤー//プロダクター///『物語には本質的には寄与しない、現実の接収』『現実に実行可能な踊りのシーケンス』/『現在のコピー』
  • 小さきもの、カワユスかな: muse-A-muse 2nd

    カワイイもの好きなおっさんはコモノが好きで カワイクないおっさんはハコモノが好き そういう傾向があるように感じられるのはワタシだけでしょうか?(まぁ、そうでしょうね) で、ぼくとしては前者に当たるわけですが、その辺のところはこの辺見ていただければ分かります。 はてなブックマーク - morutan@はて部 / これはかわいい おっさんはかわいいものが好きです。 ってか、 かわいいものがすきなおっさんもけっこういます。 その「かわいさ」というのは渋谷発なギャルどもが発する「こぉれかぁ~わぁ~いぃ~いぃいぃ~」的なかわいさおしつけ型のかわいさとは一線を画すように思います。 やつらの発するそれに違和感を覚えるのは、対象のかわいさではなく「それをかわいいと思う私ってかわいい?」的な押し付けがあるからなんでしょう。 そういう意味では前段エントリともちょっと関連するように思います。 muse-A-mu

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    Imamu 2007/12/02
    (かわいい)「支配 / 被支配」「ノスタルジア-歴史隠蔽」「ミニュアチュール-実物歪曲」"ゴスロリのいびつさ"「ヨーロッパの貴族文化の幻想」なんだよね。実際バロックとロココの違いなんてわかんないし。
  • 『らき☆すた』に見る永遠の日常~変わらないものがそこにある | 旧館:物語三昧~できればより深く物語を楽しむために

    美水 かがみ らき☆すた (1) 評価:★★★星3つ (僕的主観:★★★3つ) 第二回レビュー募集「らき☆すた」/業魔殿書庫・オタク漫画紹介録 http://d.hatena.ne.jp/LIT2/20070908/p1 真・業魔殿書庫 のLITさんのオタク漫画レビュー企画に参加させていただきます。ちょうどらき☆すたの記事を書こうと思っていたので。 面:3 オタ:4 パロ:4 共:5 痛:1 萌:4 燃:0 マンガは5巻まですべて読んでみましたが、うーん、とりわけ激しく面白い!というものはありませんでした。★3つは、読めば面白いけれども(=暇つぶしにはなる)、あえて読む必要もないし、心にも残らないという評価です。基的には、これが僕の全体評価まとめです。 このマンガの面白さや話題になった魅力を分解すると、以下の3点になると思う。 ①Changing same~「擬似日常」を描く作品 ②4コ

    『らき☆すた』に見る永遠の日常~変わらないものがそこにある | 旧館:物語三昧~できればより深く物語を楽しむために
    Imamu
    Imamu 2007/09/23
    「永遠の日常~Changing same」「繰り返しに耐えうるリズム」欧(「ヨーロッパ病の中で生まれたヨーロッパ映画のモチーフ」)/日米亜(成長幻想)
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    2024夏休み旅行 神戸・2日目【前編】 zfinchyan.hatenablog.com ↑1日目はこちら 6:50 わたしと夫だけ先に起床 前日に買っておいたお芋のパンで朝ごはん 昨日の疲れからか、なかなか息子たちが起きてこなかったので、ゆっくり寝かせてから10:00にホテルの下にあるプレイゾーンに行って、パターゴルフやバス…

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    Imamu 2007/07/28
    観察-傍観-冷徹-メタ-性的不能
  • 「戦闘美少女の精神分析」とツンデレ=ヒステリー論 - 萌え理論ブログ

    議論の流れ 404 Blog Not Found:書評 - 戦闘美少女の精神分析 orangestarの日記 - 戦闘少女の精神分析とスキゾパラノ なぜ、フィクションの世界なのに、読者たちは♂の主人公に直接暴力(的妄想)を託すのではなく、そのカノジョたちに暴力を託すようになったのか? 現実世界における男子による暴力の封殺が、ほぼ完成の域にまで達したからではないか http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50878556.html 戦闘美少女とは、暴力を振るう存在であると同時に、暴力を振るわれる存在でもあるということだ。 http://d.hatena.ne.jp/orangestar/20070725/1185302690 オタクは戦闘美少女を通じて欲望する まず、「戦闘美少女の精神分析」の著者である精神科医の斎藤環の見解はこうだ。戦闘美少女とは

    「戦闘美少女の精神分析」とツンデレ=ヒステリー論 - 萌え理論ブログ
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    Imamu 2007/07/26
    『(萌え系)オタクは(戦闘)美少女を通じて欲望する。しかも、美少女という中継地点がないと欲望できない。更に、美少女がオタクの位置から欲望する、というところまで来ている』
  • http://www.bmp69.net/mt/archives/2007/06/post_524.html

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    Imamu 2007/06/13
    面白ひ。スキーム:「個人と社会-決断主義」「資本と民衆-欲望をコントロールされた入出力の結果」「行動分析学-lifehack」
  • 純粋なココロ 2.0: 宇野常寛氏の「ゼロ年代の想像力」を読んで、この「サバイヴ感」「決断主義」こそが、5年ほど時代遅れの感性だと感じてしまった

    ↑タコシエ・オンラインにて絶賛発売中!通販可能!在庫切れの際はご容赦ください。 【関連サイト】 ・純粋なココロ(旧サイト) ・世界のはて(はてなダイアリー別館) ・Twitter@Masao 【正直、むしろ古いと思った】 ・さて次の企画は - 95年エヴァンゲリオン文化圏の終わり--知的な塹壕としての「ゼロ年代の想像力」スタートと、よしながふみ「フラワー・オブ・ライフ」完結について ↑の記事で絶賛されていたので、産まれて始めてSFマガジンを買って、「ゼロ年代の想像力」を読んでみたんだけど…… ゴメン、これ書いてる宇野常寛氏の感性こそが、時代遅れだと感じてしまった。「セカイ系」が90年代的な時代遅れの感性だとしたら、「決断主義」は2000年代前半的な5年くらい時代遅れの感性だと思う。 この文章で宇野氏は、「バトルロワイヤル」「デスノート」「ドラゴン桜」「野ブタ。をプロデュース」と

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    Imamu 2007/06/04
    『「社会」や「現実」の価値が相対的にどんどん下がっていき、「現実」がすでに「サバイヴ」するに値しない程度の価値しか持たないと判断する層の増加がある』
  • キップル。オタクと作家性と似非科学としょこたん - モノーキー

    Imamu
    Imamu 2007/04/08
    自分のが言及されとった。『既存の引用の集積でありながらも引用元のルールに捕らわれないから面白いわけ』
  • 『ゲーム的リアリズムの誕生――動物化するポストモダン2』 - logical cypher scape2

    この記事の目次 外観 装丁や文体(?)に関して 全体要約 書の全体について 「メタリアルフィクションの誕生」との比較 書のもとになった連載記事との比較。特に、削除されてしまった柄谷行人に関する議論について 大塚英志 書と大塚英志の関係 コミュニケーション 書と宮台真司の関係 自然主義的読解と環境分析的読解あるいはポップ文学とメタリアルフィクション 書と仲俣暁生の関係、並びに阿部和重を環境分析的読解する試み メタ物語的な詐術とセカイ系と青春小説オタク」の生を肯定するか否か、あるいはポストモダンの実存文学としてのメタリアル青春小説?? 自分の考えとの接合 個人的なメモに近いが、自分の理論と書の関係 「限界小説書評」「小説の環境」 書に関係する、若手の評論の紹介 外観 書の内容について入る前に、いくつか。 講談社現代新書はリニューアルに伴って明らかに装丁が悪くなったが、書の

  • ゾミ夫(うさちゃんピースを見て飛んでくるUFOが夕日に照らされている) - あいぼん解雇

    http://www.helloproject.com/newslist/kago_0703261829.html ・第1部 「事務所の管理が甘かった」という意見もあるけど、そんなの内情がわからない以上、知りようがない。 「加護がファンを裏切った」という意見もあるが、それだってあらゆるアイドルが裏で何をやっているかわからない以上、加護ちゃんだけを断罪するわけにはいかないだろう。 自分がこの件について心配なのは、 「あー、やっぱり『アイドル』っていうイメージはダメなんだね、世の中に『いらない』ものなんだね」と世間が思うということだ。 どういうことかというと、 大塚英志だったかササキバラ・ゴウだったか忘れたが、かつてのアイドル・岡田有希子の自殺について、 「生身の女の子に『アイドル』というイメージを押しつけすぎたからではないか」と、「アイドルというイメージを押しつける人たち」を批判していた記憶

    ゾミ夫(うさちゃんピースを見て飛んでくるUFOが夕日に照らされている) - あいぼん解雇
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    Imamu 2007/03/27
    面白ひ。重要。最重要。「アイドルというイメージを押しつけ」批判or『「アイドル」という「イメージ」はあってもいい』派→『ただ、その役割を担う人間が生きやすいようにした方がいいんじゃないか』