柳田國男は自分の学問を規定する時、好んで「反省」や「内省」ということばを使う。「自己内部の省察」という言い方もするが、意味は同じだ。自分らのあり方を省察するという意味での「反省」を万人のものとしたのは、言うなれば近代の功績である。後述するように、柳田は「省察は近代の傾向」という言い方でこのことを指摘してもいる。 事実、省察は明治30年代、一種の流行であった。明治36年(1903年)5月22日、華厳の滝で投身自殺をしたのは慶大生・藤村操だが、彼が傍らの木の皮を剥がし書き残した遺言「厳頭之感」が、内的な煩悶であることからその死をめぐる議論は社会現象化し、「省察」の流行ぶりを物語っている。それより前、明治29年、田山花袋と島崎藤村は自作の抒情詩の原稿を華厳の滝の前で朗吟し、原稿を滝壷に放り精神を捧げたという逸話も残る。彼らは松岡(柳田)國男とともに合同詩集『抒情詩』を刊行するが、近代の青年たちに
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