ブログ パスワード認証 閲覧するには管理人が設定した パスワードの入力が必要です。 管理人からのメッセージ メンテナンス中 閲覧パスワード Copyright © since 1999 FC2 inc. All Rights Reserved.
ブログ パスワード認証 閲覧するには管理人が設定した パスワードの入力が必要です。 管理人からのメッセージ メンテナンス中 閲覧パスワード Copyright © since 1999 FC2 inc. All Rights Reserved.
みなもと太郎、大塚英志『まんが学特講 目からウロコの戦後まんが史』(角川学芸出版)である。いやはや、もうむちゃくちゃ面白い。この本については、すでに「漫棚通信」さんが書かれています。 http://mandanatsusin.cocolog-nifty.com/blog/2010/07/post-04ec.html 「新現実」という雑誌で連載された大塚氏によるみなもと氏インタビューをまとめたものだが、かなり削ってあったりするらしい。僕は「新現実」の字の小ささにめげて、ちゃんとは読んでませんでした。たぶん、単行本のほうが読みやすいはず。 みなもとさんは、故米沢嘉博氏と並ぶマンガ知識の巨人ですが、とにかく既存のマンガ史言説では得られない知識や観点が目白押しで、たしかに「目からウロコ」であります。もちろん、基本的にみなもとさん個人の歴史から導きだされた観点が多いので、そのまま採用するかどうかは読
中川大地「「森ガール」にできること~「少女」から「女子」への変遷の中で~」 2010年03月02日21:07 担当者より:文筆家/編集者の中川大地さんが「森ガール」について論じてくださった原稿をアップいたします。このキーワードの背景なども含めて周到に論じられておりますので、ご一読ください。 配信日:2010/02/24 2009年、急速に知名度を上げた流行ワードの一つに、「森ガール」がある。よく知られているように、エディトリアルデザイナーのchoco*氏が、知人に自分のファッションを「森にいそうだね」と評されたことから、同好の士を求めて2006年8月にmixiで立ち上げた「*森ガール*」コミュニティが、その始まりだ。 「ゆるい感じのワンピースが好き」「ナチュラル系にみえるけど、すこしクセのあるファッション」「民族系の服装もすき」「ガーリー」「カフェでまったりするのがすき」「カメラ片手
ソフラマのid:K-AOI、aBreのid:segawa-y、筑波批評のid:sakstyleによる座談会UST「キャラクターについて考える」を聴きました(http://d.hatena.ne.jp/tsukubahihyou/20091204/1259945292)。とても楽しかったです。キャラクターについて考えるきっかけをいただきました。 キャラクターを理解する上で先ず挙げられるのは、大塚英志のキャラクター分析でしょう。彼のキャラクター理解は、単なる記号にこそ魂が宿る、という逆説に基づくものでした。「記号的身体を「死にゆく身体」として発見してしまった手塚は同時に、「成熟する身体」をも否応なく発見してしまったのは確かです」(『教養としての〈まんが・アニメ〉』2001年)。 僕くらいの世代だと、これは柄谷行人の『日本近代文学の起源』のマンガヴァージョンだなと誰しもが直感したものです。 柄谷
ビースティーノカジノ- Beastino Casinoであなたの内なる獣を解き放ちましょう。何千ものトップスロットの中から選び、テーブルゲームで順番を決め、ライブカジノで動物のアクションを楽しむことができます。 カジノを見る ビースティーノカジノ ビーストモードで行こうBeastinoは、最大のゲームコレクションを持つカジノの獣です。アカウントを作成するのに時間はかかりませんし、唯一の問題は、最初に何をプレイするかを決めることでしょう。 Microgaming、NetEnt、Yggdrasil、Pragmatic Play、その他多数のトップクラスのゲームプロバイダーがここにあります。Beastinoでプレイすれば、いつでもジャングルの王様になった気分になれるでしょう。 Beastinoで何千ものゲームをプレイスロットが欲しいなら、私たちにはスロットがあります!正確には3000台です。次の
ヴォネガット関連でネットを探索していたら、斉藤環のヴォネガットの文章を見つけたのでリンクしておきます。 斎藤環は「ゲーム脳」批判でも有名ですが、この人の「オタクは一種の精神的病」といった持論も十分に怪しいというかいい加減なので、森教授も環もどっちもどっち(似た者同士の同族嫌悪くらいにしか思わない)だと思っています。 斎藤環【カート・ヴォネガット 「無害な非真実」の伝道者】 そう言えば、今発売している「小説トリッパー」で大塚英志と斎藤環が対談しており、そこで大塚英志が斎藤環に噛みついているらしく、何でも、斎藤環が最近の文芸時評で、舞城王太郎とか佐藤友哉とか、西尾維新とか乙一とか滝本竜彦といったその周辺の若手作家を「文学的評価」していることに対し、「あれらの作家には文学的価値などない! 文学としてみればゴミですよ! 糞ですよ! てめぇは無闇に連中を持ち上げているが、その根拠はなんだ!」としょっ
はてなエコー, メモ「物語感覚」は普遍的ではないのかもしれない - 魔王14歳の幸福な電波見かけたのでおーざっぱにメモっときます。主題とはややずれるかもしれないけど。既にブックマークコメントでもid:kashmir108さんが指摘してるんだけど、手元にちょうどあるので*1ちょっと該当するっぽい部分を引用しておきます。朝日文庫版『物語の体操』の66ページ目。本書の目的の一つが小説家が小説家であることの特権をどこまで一般の人に修得可能なものとして解放しうるかを検証することにあるのは、すでに何度も述べています。しかしその一方でぼくは「物語」というものに対してそれを母国語とする人と外国語とする人の二通りの人間がいることを否定しません。ただしそれは「物語」を母国語とする人を特権化することを意味しません。例えば同じ小説家であっても中上健次や村上春樹はかなり努力して「物語」という外国語を修得した人ではな
漫画, 創作多重人格探偵サイコ (1) (角川コミックス・エース)posted with amazlet at 09.09.30田島 昭宇 大塚 英志 角川書店 Amazon.co.jp で詳細を見る今更ながら中二病誘発・促進剤としての『多重人格探偵サイコ』の優秀さと自覚っぷりには驚嘆を覚える。さすが『魍魎戦記マダラ』の原作者というか。グロ描写で表層を彩り、政治思想的な要素を散りばめておけばある種の中二病患者が大勢釣れるので商売として成立する。「こんなグロい/天皇とかに言及しちゃう漫画読んでる俺カコイイ」――そう思っていた時期が俺にもありました。さらに前者によって表現の自由の問題提起にもなる。「輪転機止められた伝説」は出版社と積極的に殴り合う大塚の芸風の再アピールとして十分である。話題をかっさらうことでメディアミックスが促進され儲かる(儲かってないどころか映像版の衣装費なんかは自腹切らされ
神戸芸術工科大学 メディア表現学科特別講義Aに行ってきました。大塚英志さん司会と言っても実際は新海さんの話しの解説的な感じでした。あとCoMix Waveの川口さんも来られてました(本人曰く「ただの遠足のつもりだった」) 内容は、 ラフスケッチを元にビデオコンテを作る「アニクリ15」 音楽を元にビデオコンテを作る「ef」 文章と音を元にビデオコンテを作る「秒速5センチメートル」 質疑応答 激しく平日でしたがゼミの先生が「そういうのはすごくいいと思うよ」と言ってくれたので遙々神戸まで言ってきました。 内容が結構長いので表紙含め3回に分割します。 とりあえず要点。 「ほしのこえ」の男の子の声は新海さん本人だが、女の子の声は当時付き合っていた恋人 好きな人からメールが8時間返ってこなくて寂しかった。8光年したらいい感じじゃね? 絵コンテと完成作品は丁寧差の違い アニクリのビデオコンテ時のBGMは
23日、キャンパス内で講演をおこなった。図書館長の企画で、本を出している教員にそれについて講演をしてもらおうというので、最初はぼくというご指名であった。 ということで磯崎さんについて、ほんとうに久しぶりに話すことになった。『対論 建築と時間』についてであった。 磯崎作品のスライドをすこし鑑賞し、思い出話もすこしして、時間論的な磯崎論をご紹介した。まず分裂症という自画像。木村敏を参照して分裂症=時間意識の病、という説明。時間論ということで、真木悠介による時間の4類型、とくに近代の「終わらない時間」「リニア時間」。近代的な時間を批判的にとらえた磯崎さんによる「孵化過程」「切断論」「廃墟論」についてのプロジェクトなどなど。さらに最後に、例の「父を刺し、母を犯せ」(彼によるマイホーム批判)はもちろんオイディプス・コンプレクスなのだが、これもまた時間論に関連している、というような見取り図を説明した。
神戸芸術工科大学 「メディア表現学科特別講義A 〜ゲスト講師・新海誠氏」 7月1日(水) 14:40〜 司会: 大塚英志(本学メディア表現学科教授) ※一般の方の聴講可となっております 聴講し、いい意味でショックを受けて帰ってきました*1。 以下は、私の個人的なメモです。【※発言の引用等については、主催者や発言者の許可はいただいていません。不正確な描写等に問題がございましたら、リンクやメールにてご指摘いただければ幸いです。適宜対応させていただきます。】 講演が新海誠氏(実作者)、司会が大塚英志氏(批評家・教育者)、コメントに川口典孝氏*2(事業家)、そして客席には、作品づくりに人生を賭けようとしている学生たち。 この配役(?)の緊張感が素晴らしかった。 単なる作品批評でも、単なるビジネス論でも、単なる「将来の夢」でもなく、いわば当事者どうしの真剣さの掛け合い。 ほぼ満員の聴衆がずっと聴き入
不可能性の時代 (岩波新書) 作者: 大澤真幸出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 2008/04/22メディア: 新書購入: 14人 クリック: 191回この商品を含むブログ (169件) を見る 『ゲーム的リアリズムの誕生』の中で、分析・解釈されているいくつものゲームや小説を通覧することから直観できることは、まずは次のことである。すなわち、オタクたちは、あるいはより広く(オタクたちを生み出した)現代社会は、終わることの困難に直面し、もがいているのではないかということ、これだ。ゲームや、ライトノベル、アニメの中で、「反復」という主題がやたらと反復されているのである。反復する時間の中に閉じ込められ、そこから抜け出すことができない、という主題が、作品横断的に、あまりにも頻繁に登場するのだ。ゲームにおいては、この反復を何とか切り抜け、真の終わりをもたらすことが、目標となる。(196頁) たぶん
今回東方Projectのことについていろいろと考えているうちにふと思いついたことだが、20年以上前に大ブームを巻き起こしたお菓子のことを思い出した。その名は「ビックリマンチョコ」。値段は数十円ぐらいなものだが、おまけについているシールがキモで、これにさまざまなキャラクターが描かれており、さらにその裏にキャラクターとその周辺に関する解説がほんの二、三行書いてあるものだった。 大ヒットした「悪魔VS天使シール」にはバックグラウンドとして悪魔と天使の戦いという物語世界があるのだが、物語そのものは話として書かれているわけではなくて、あくまでもひとつひとつのシールに書かれているキャラ解説の断片的な情報でもって、ビックリマンの世界を読み解く必要があった。これが子供たちにとってはなかなか楽しい作業だったのだろう。この仕組みが、どうも東方Projectに対して現在拡大している「楽しまれ方」に似ているところ
昨日(08年6月18日)、評論家の大塚英志が朝日新聞の文化面で書いていた「この20年で失われたもの 宮崎勤死刑囚の刑執行に寄せて」が興味深かった。 いまのナウなヤングは皮膚感覚として理解していないかもしれないけど、大塚って、オタク論壇というものが初めて出現した1989年から数年は斯界の主要プレイヤーであり続けた。 そもそも「オタク論壇」が生まれたきっかけが、宮崎勤による東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件だったというのは言うまでもない。その数年前から、大塚は『システムと儀式 (ちくま文庫)』(単行本は1988年)と『定本 物語消費論 (角川文庫)』(同1989年)に連なる一連の論考で、アニメマニアのみならず、業界関連者からもかなり注目されていた。押井守も、彼の著作をかなり読み込んでいたと後のインタビューに答えている。これまでの「大きな物語」が終焉すると共に、消費者がその物語を自己流に解釈して消費
先日、SFマガジン6月号で連載が終了した宇野常寛「ゼロ年代の想像力」の連載分をすべて一気読みした。彼の展開する議論には、僕にとって賛同できるいくつかの部分と、そうでないいくつかの部分がある。それについて、まず一点を僕が思う状況を整理しながら考えてみたい。 彼の主張は、まず「90年代の『引きこもり』」があり、2000年代前半に「エヴァ」的感性の延長線上、あるいは残滓であるセカイ系があり、そしてゼロ年代においては 社会の既存のルールが壊れていることは「当たり前のこと」として受け入れ、それを自分の力で再構築しようといこうとする という、「DEATH NOTE」の夜神月に象徴される「決断主義」が来るという一連のフィクションの流れがあったという。 僕は現在、彼の言う「決断主義」のようなものがゼロ年代のフィクションとして大きく特徴付けられるという主張に異論がない(なお参考までに記しておくと、彼の主張は
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く