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ナショナリズムに関するKurilynのブックマーク (2)

  • 「ファッションレイシズムとウェブマイノリティの戦い方」 - とある在日コリアン大学生の自発的半強制勉強空間

    ―はじめに 私は朝鮮籍の在日コリアン、在日朝鮮人の大学生です。 ファッションレイシズムという言葉は私の造語です。意味としては自覚があるかどうかはさておき、趣味的に行われた差別のことです。その起源は2002年に香山リカさんが唱えた「ぷちナショナリズム」(香山、2002)や、社会学者の高原基彰さんの言うところの「趣味的ナショナリズム」(高原、2006)から、よりウェブ的な性格を強め発展したものだと言えます。もちろんウェブ上でされる差別的な発言なども含めますが、近頃ではそういったウェブ上の差別的風潮がウェブ外にも広がりを見せています。そういう風潮を無視しないために、あえて広い意味を持つように造語を作りました。 これをレイシストと表現した理由は実際に「趣味的ナショナリズム」が発展し差別的言動が生じていることがひとつで、もうひとつは彼らのナショナリズム的な物がまがい物にしか見えないからです。 私はナ

    「ファッションレイシズムとウェブマイノリティの戦い方」 - とある在日コリアン大学生の自発的半強制勉強空間
  • なぜインターネットはナショナリズムを強化するのか - 池田信夫 blog

    4/7の記事へのコメントに「日のマスコミは、戦前・軍部・ファシズムを糾弾してさえいれば心理的には『道徳的戦勝国』側にいられるので、ただ楽な方を選んでいるのです」という指摘があった。たしかに、左翼的知識人にあるのは「ナショナリズムなんか信じているのは感情をコントロールできない頭の悪い奴だ。自分はそういう感情を克服して普遍的正義の側に立っているのだ」という優越感である。これは戦前からの伝統で、かつてマルクス主義に走った人々に大地主の子弟が多かったのも、「財産を捨てて貧しい人に尽くす」ことに道徳的な満足を覚えていたからだ。 こういう露悪的エリート意識は、いまだにカルスタやポスコロやフェミニスト一派に多い。彼らはマスメディアの言葉尻をとらえて「潜在的な差別意識」を指摘し、それを「脱構築」することが正義だと信じているが、自分の依拠する価値観が他ならぬオリエンタリズムだということに気づいていない。

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