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2007年4月13日のブックマーク (3件)

  • 多様性は事実であり、価値ではない - モジモジ君のブログ。みたいな。

    昨晩あげた「<アンチであること>は質でありうるか - モジモジ君の日記。みたいな。」に対して「「質」という概念そのものを無効化する戦術 - 想像力はベッドルームと路上から」というお返事が戻ってきた。この中で、特に次の一文が、このところ僕が疑問に思っている点である。 僕が社会において最も重要だと考えるのは、「どれだけの選択肢を確保できるか」という視点です。その選択の是非は問いません。 模範的なリベラルにおいて多様性はほとんど必ず守られるべき価値として提示されるのだけれど、僕はそこには誤解、少なくとも詰められてないところがあると思う。 多様性は無前提によいものか これに関連して、以前、「政治における多様性・新自由主義などいらない - モジモジ君の日記。みたいな。」というエントリを上げたことがある。僕は「新自由主義的な思想を持つ人が現にいる」という意味での多様性を不要だと思う。「難病者や障害

    多様性は事実であり、価値ではない - モジモジ君のブログ。みたいな。
  • ララビアータ:戦陣訓 - livedoor Blog(ブログ)

    断固として闘はねばならぬ時、最強の戦術は礼節であり、最強の武器は敬語である。 手段は目的を正当化する。ジョークで人を攻撃する場合、しゃれたジョークでさへあれば、人を傷つけることは許される。 怒りは貴重なものだから、浪費してはならない。 味方であるといふだけで、退屈な連中に気を許してはならない。 刺された相手も感心するような手さばきで、匕首を相手の急所に突き刺せ。 人格攻撃を避けるやうな腰の引けた者は、はじめからアリーナに立つ資格なし。 出来れば最も尊敬できる敵、出来なければせめて最強の敵を選んで闘へ。 実際の戦争では、負けないことが必須であり、常に妥協こそ勝利であるが、精神の闘ひでは、妥協は敗北以上に敗北である。 敵には恥をかかせてやらねばならない。それゆゑ、恥を知らぬ輩を敵にしてはならない。さういふ連中は、いかに不快でも無視する他はない。「ドブネズミと見なして、彼らに善行を施せ。」 闘ひ

  • なぜインターネットはナショナリズムを強化するのか - 池田信夫 blog

    4/7の記事へのコメントに「日のマスコミは、戦前・軍部・ファシズムを糾弾してさえいれば心理的には『道徳的戦勝国』側にいられるので、ただ楽な方を選んでいるのです」という指摘があった。たしかに、左翼的知識人にあるのは「ナショナリズムなんか信じているのは感情をコントロールできない頭の悪い奴だ。自分はそういう感情を克服して普遍的正義の側に立っているのだ」という優越感である。これは戦前からの伝統で、かつてマルクス主義に走った人々に大地主の子弟が多かったのも、「財産を捨てて貧しい人に尽くす」ことに道徳的な満足を覚えていたからだ。 こういう露悪的エリート意識は、いまだにカルスタやポスコロやフェミニスト一派に多い。彼らはマスメディアの言葉尻をとらえて「潜在的な差別意識」を指摘し、それを「脱構築」することが正義だと信じているが、自分の依拠する価値観が他ならぬオリエンタリズムだということに気づいていない。