日本人は、「和」とか「空気」とか「世間」とか「ケガレ」という概念に支配されていて、自分でも意識しないうちにそういう概念に基いて行動するということはよく言われている。これらは合理的には説明のつかないもので、精神の深い所をかなり強固に縛っているものであるので、宗教に限りなく近く、実際「日本教」という言葉もある。 しかし、教祖はいないし教義も戒律もテキストになってないので、日本教は宗教とはみなされていない。宗教とみなされてないから、日本教は政教分離や信教の自由という原則の適用範囲外になる。 キリスト教の信者が熱心な信者の力で市長に当選して、市内の学校に聖書の講義の時間を作ったり、信者である職員を優遇したら大問題になるだろう。しかし、日本教の信者が熱心な信者の力で市長に当選して、学校で生徒に日本教の戒律を強制したり、日本教信仰の度合いで人事を行なっても問題にならない。 問題にならないというより、大