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ブックマーク / mubou.seesaa.net (18)

  • ラピュタには何故自爆コマンドが用意されているのか: 不倒城

    バルスのことなんですけど。 大多数のネットユーザー諸兄はご存知かと思うが、バルスは天空の城ラピュタにおける「滅びの言葉」である。劇中ラストシーンにおいて、家伝の飛行石を手にしたシータとパズーが「バルス!」と叫ぶと、なんか飛行石がやたら光ってムスカさんが目が目が星人になったりラピュタがぶっ壊れたり、色々とエラいことになる。 「バルス=滅びの言葉」という図式の定着度・認知度はWeb上では恐ろしい程であり、ラピュタ放映時には実況板が「バルス!」の書き込みとAAで埋め尽くされるという。 まず考えなくてはいけないのは、このバルスという命令は一体何の為に用意されたAPIなのかということである。 ラピュタは人工物なので、当然設計者や開発者がいた筈である。そして彼らは、管理権限キーっぽい小さな飛行石に、複数のコマンドを用意している。「困った時のおまじない」であるとか、「滅びの言葉」がそれである。飛行石を身

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    Masao_hate 2011/11/11
    ”まず考えなくてはいけないのは、このバルスという命令は一体何の為に用意されたAPIなのかということである。”www
  • メタルマックス3に関する個人的な総括をしてみる: 不倒城

    端的に言うと傑作。オーパーツとすら言える気がする。今の時代にこのゲームが発売されたのは、大げさに言えば奇跡だ。 以下、あまりネタバレを含めない程度に書く。 メタルマックスの味というものは、私にとっては「殺伐」という二文字で大きく表現出来る。ストーリーや展開の殺伐さ、ゲームバランスの殺伐さ、テキスト一行一行の殺伐さ、戦車いじりの殺伐さ、それらすべてがメタルマックスの面白さだ、と私は思う。 例えばメタルマックスでは、人の死が非常に軽い。ストーリー上割と目立つ位置にいるキャラが、そこまでもってまわった展開になることもなく、ごくあっさりと、さくさくと死ぬ。死ぬとそこには死体が残る。当たり前のことなのだが、「死」というものをここまで隠蔽しない描写というものは、近年なかなか稀だ。 当たり前だが、世界観も殺伐としている。出てくる街はどこもかしこも廃墟一歩手前、ダンジョンにはこれでもかこれでもかという程に

    Masao_hate
    Masao_hate 2010/10/08
    胸が熱くなるレビュー。
  • 結構本音で、いわゆる「結婚への高望み」の中身について聞いてきた: 不倒城

    当にひょんなことから、職場でこちらのエントリーについての話になった。 当は怖いガールズトーク 話した、というか話題にされた相手は、隣の部署のAさんである。どうもはてなー、というか増田によく書き込む人らしく、たまたまはてなブックマーク経由でまなめさんのまとめに辿り着いた。 彼女はモテないという。私は元来頭の頂点からつま先に至るまで純度100%の朴念仁である為、どういう女性がモテてどういう女性がモテないのかよく分からないのだが、人曰く「笑える程もてない」らしい。 非常にさばさばとした人で、酒も入ってない職場の席で、普通なら話しにくそうな話を平然とするので、ちょっと書き留めておきたくなった。 以下、会話の内容は編集しているが、大筋では話したまんま。 A:「これさあ、」 し:「はいはい」 A:「最近、「結婚に対して高望みし過ぎな喪女」みたいなスレとか記事とかよくみるけど。多分なんだけど、私に

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    Masao_hate 2009/07/23
    恋愛に限らず、上がっても負けが確定してるから上がらないという選択をする人って結構いると思う。「上がらない」という選択が許される社会になってきたからだろうな。選択肢が増えたことは、素晴らしいことだと思う
  • エンディングの内容などどうでもいいのだーー!: 不倒城

    とまでは言い過ぎかも知れないが。 ■エンディングで震えるほど感動したゲーム レスの流れを見ていると、根的な部分で微妙に話がかみ合っていない部分がちらちら見受けられる様な気がしてちょっと興味深い。 多分、「EDに対する感動」という話題において、次の二つがごっちゃになっている部分があると思う。 1.ゲームのフィナーレ、エンディングの内容に対する感動 2.「あるゲームをクリアした」ということ自体に対する感動 この二つは勿論無関係ではなく、双方が双方を補完している部分もあると思うけど、根っこのところでは多分全くの別物だ。 1番の感動は、要するに小説を読むことで得られる感動、映画を観ることで得られる感動と同質のものだ。視聴してきた物語の見事な帰結、素晴らしいフィナーレ。RPGやアドベンチャーゲーム、特にここ十年くらいのRPGは、こちらの出来で評価されることが少なくない。 2番の感動は、出来合いの言

    Masao_hate
    Masao_hate 2009/04/05
    ”「娯楽としてのゲーム」の強みとは何かというと、当たり前だが「遊びであること」であり、「参加出来ること」であり、もうちょっと言うと「努力出来ること」である、と思う。”
  • さて、じゃあ、シューティングはどこへ行こうか。: 不倒城

    確実に置いてけぼりな人が増えていると思うけど、もうちょっとだけシューティング話を続けてみる。 「ゲームセンターに明日はあるの?」様より。 STGゲーマーは、現在の「危機的状況」をもっと認識すべきだよ。 まず二点、ちょっと気になったこと。弾幕系に限らず、STGはお客の回転効率も悪くインカムを稼ぎづらい。でも「インカムの稼げる」ようにしたものを現在のSTGゲーマーはボロクソに貶すのだな。細かいことだけど、「現在のSTGゲーマー」という言葉はちょっと一般化し過ぎな気がする。高難度ゲームが大好きな人もたくさんいるし、そういう人はそういう人で独自に声を挙げてると思いますけど。バトルガレッガやシルバーガン大好きな人とか。ちなみに私も大好きだ。 初見殺しでバンバン死んで、1面ボスでゲームオーバーになっても、それが「STGのあるべき姿」なんだよ。当はね。エントリ主さんの立ち位置を考えれば当然だけど、それ

  • シューティングの凄さをわかっていない人が結構多い: 不倒城

    シューティングっていうジャンルのコアって、操作系の単純さにあると思うんですよ。多分だけど。 シルバーガンみたいな例外もあるけれど、シューティングって大体は「ショット」と「ボンバー」とか「ショット」と「パワーアップ」の2ボタンだったりするし、増えても4ボタン以上になることは滅多にない。 多分横シュー含めて、今でも8割がたのタイトルは「2ボタン以内 + レバー」っていう操作系にあてはまるんじゃないかな。 アクションゲームRPGはいうに及ばず、シミュレーションだのスポーツゲームだの、ありとあらゆるゲームジャンルが「操作系の多様化・複雑化」を含んだ方向でゲーム性の拡充を目指すという道を選んできたのに、シューティングっていう最古のジャンルが、30年近く前の操作系と大して変わらないものを保持し続けている。最新タイトルでも、やろうと思えばファミコンのコントローラーで遊べるのだ。 これは、「シューティン

    Masao_hate
    Masao_hate 2008/12/03
    いまさらだけど、確かにすげぇ!
  • 能力系の漫画がインフレしにくい理由。: 不倒城

    目次・記事一覧(1) レトロゲーム(185) 日記(770) 雑文(512) 書籍・漫画関連(55) 子育て・子どもたち観察(115) ゲームブック(12) フォルクローレ・ケーナ・演奏関連(86) FF14(40) レトロでもないゲーム(335) 始めたばっか(13) アナログゲームいろいろ(37) 人狼(48) ネットの話やブログ論(61) 三国志大戦(20) 無謀的世評(52) ゴーストライター(16) 大航海時代ONLINE(40) FF3(6) Civ4(18)

    Masao_hate
    Masao_hate 2008/10/16
    僕も「ワンピースは悪魔の実のお陰でドラゴンボールみたいに戦闘力がインフレしないから上手いよなぁ」と思ってた。
  • 不倒城: SI業界からネットゲーム業界に移った知人に色々話を聞いてきた。

    ちょっと技術的な話になる。 私の知人に、かつてはアルファベット三文字の某有名SI会社に在籍していて、今はどういう訳か某ネットゲームの会社に勤めている変り種がいる。 彼はネットワークとDBの専門家である。ゲーム業界には元来DB周りに詳しい人があまり多くなかったらしく、しかしネットゲームの開発にはDBやネットワークのアーキテクチャに関する知識が必須で、要は引き抜かれたらしいのだが、当人それ程ゲーム好きでもないのに面白いルートに行くなーと思っていた。 機会があったら金融業界とネットゲーム業界のシステム周りの違いについて聞いてみたいなーと思ってたんだが、この前久々に会ったら色んな話が聞けた。特定されない程度においおい書いてみよう。ぼかして書く為、ところどころいー加減だが勘弁して頂きたい。 今日はサーバとかデータのやり取りとか、技術的な話。 まず、前提。オンラインシステムの肝の一つに、「誰がデータを

  • レトロゲーム万里を往く その81 メタルマックス2: 不倒城

    …押してもいいんだぜ!懐かしいドラム缶をよ! (メタルマックス2 デスクルス看守の発言より引用) 当然話はこれからな訳だ。 かつてゲーム業界に、データイーストという異能集団があった。 異能とかなんとかいうといかにも中二病っぽい大仰な言い方になるが、彼らに限っては異能と言う他に言葉が見つからない。 彼らの作るゲームの特徴は、たった一言で表現出来る。 「自重を知らないゲーム作り」。 データイーストは、一方ではB-WINGやバルダーダッシュ、ウルフファングやマジカルドロップの様な良作・名作を生み出す傍ら、もう一方ではカルノフやチェルノブ、トリオ・ザ・パンチやザ・グレートラグタイムショーの様な、「普通のメーカーなら思いついても作らない」凄まじいゲームを世に送り出し続けた。彼らの凄いところは、いわゆるイロモノゲームのみに留まらず、例えばヘラクレスの栄光や神宮寺三郎といった「まともな」名作群にも、色濃

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    Masao_hate 2008/08/20
    懐かしいな、みやおう。
  • レトロゲーム万里を往く その77 ザナック: 不倒城

    さてここで問題です。あなたにとって、「ファミコン最高のシューティング」とは何でしょう? 何度か似たようなことを書いているが、それが何であれ、「最高」を決めるのは意外に難しい。「最高のゲーム」などというテーマではより一層その難しさに拍車がかかり、「人の数だけベストゲームがある」というテーゼはあながち誇大でもないんじゃないかと思わせてくれる。 例えばゼビウスやグラディウス、あるいはツインビーといった、ファミコン初期の偉大な移植作を挙げる人がいるかも知れない。スターソルジャーやへクター'87といったキャラバン系シューティングも名前が挙がるだろうし、「烈火」やオーバーホライゾンといったFC後期のタイトルが出てきても不思議ではない。 スカイキッドやイメージファイト、B-WINGやエクセリオンといったタイトルに入れ込んだ人もいるし、アーガスやテラクレスタ、ヴォルガードII辺りも当然アリだろう。ファルシ

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    Masao_hate 2008/03/20
    「あなたにとって、「ファミコン最高のシューティング」とは何でしょう?」答え:グラディウスⅡ 移植モノだけど、ほとんど別物になってるから、いいじゃん……/確かに任天堂にはSTGのイメージが全然ないなー。
  • 「生き方の一般化」が無理過ぎる話: 不倒城

    要は、勇気がないんでしょ? [悪意]id:guri_2という、こいつが生きているからこの世界は駄目なんだというような糞野郎を、このリルリルが貴重な時間を浪費して罵倒してあげる この辺を見ていて、ふと思ったこと。 ここしばらく、「ポジティブ vs ネガティブ」であるとか、「生き方強者 vs 非生き方強者」という様な論争を頻繁に見る。 まず第一に。当たり前の結論から先に言うと、こういった「生き方」的なものを一般化することは来不可能である。 人間の人生というのは、生まれた瞬間から扇形に枝分かれしていく。生まれた当時は同じ赤ん坊でも、「ある人の十年」と「他のある人の十年」が同じである可能性は、当たり前だが皆無である。 経済状況から現在の環境、好み、人間関係、果ては思考から性格まで無限のパターンが存在するのに、「ある人にとって適した生き方」が「他の人にとっても適した生き方」である可能性が、一体どれ

    Masao_hate
    Masao_hate 2008/03/20
    ”その辺の話は一から十まで「人それぞれ」という言葉でしか表現し得ないものであって、「正しい・正しくない」ではなく「適している・適していない」という軸でしか語り得ないものである。”んだ、んだ。
  • 許せないブロガーと、怒れないブロガー。: 不倒城

    あんまポジティブな話じゃないが。 随分昔、「書く」ことでっていければいいなーと思ったことが、そういえばあった。一時期それに近いバイトもしていたんだが、結局諦めた。諦めて正解だったと今では思っている。 何故かというに、多分私には「許せんと思う能力」が決定的に欠けている。 文章を書くという行為は二段階に分かれる。「発想」と「表現」である。書いて面白いことを思いつくかどうかが「発想」のパートであり、それを上手く文章に書けるかどうかが「表現」のパートである。 「表現」は、その種類こそ数限りなく存在するが、要するに技術だ。技術は練習によって磨かれる。 を一度も読んでいない人でも、努力次第で売り物になる文章力を手に入れることは可能だ。志賀直哉や三島由紀夫の語り口を身につけることだって、それ相応の時間をかければ出来るだろう。 一方の「発想」は、努力次第で引き出しを多くすることは当然可能だが、最終的に

  • 「辛い、辛い」と言っている人に「私は辛くないよ!」と言うことが励ましになると思っている人が、本当に存在する件: 不倒城

    テーマ、タイトルだけ。 いや、なんつーか、他部署の話だし、私が口を挟むことでもないので黙ってたんだが。一応後で昼飯にでも誘ってみることにする。結構精神的にキツそうだったし。 まあ、喩えて書くとすれば、 「俺もうHP1です、ホント無理です」 「大丈夫!私はまだHP120はあるから!もうちょっと頑張れ!」 考えてみると、例えば恋愛で痛手を受けている人に自分の体験で応じるとか、何かが嫌いな人に「いかに自分はそれが好きか」という論点で応じるとか、似た様な状況は色々あるのかも知んない。 --------------------------------------------------- 07/11/07 17:10 追記。 「辛い、辛い」と言う人に対して、「私も辛いよ!」と言う人は、多分結構いる。それは励ましになるんだろうか。ならないんだろうか。まあ、少なくとも励ましではない様に思う。 どうすれば

    Masao_hate
    Masao_hate 2008/01/11
    似たようなものに、「辛い、辛い」と言っている人に「もっと辛い人もいるよ!アフリカの子供とか!」なんてことを言う人もいるけど、そういうの見るとお前アホちゃうかと思う。
  • 人間力が低い人の為のシューティング講座: 不倒城

    ・人間力は「にんげんちから」と読みます。 怖い人はハイパー化とかしちゃうらしいけど、俺たちにはあんまり縁がない話だから気にしなくていいですよ。 ・シューティングにおけるにんげんちからとは何か。 シューティングゲームを攻略する上での、その人自身の性能のことをいいます。 分かりやすい例で言えば反射神経や動体視力、自機を正確に操作する手先の器用さから、パターンを覚える記憶力、パターンを作成する構想力、攻略情報を集める情報収集力、更にはゲーセンに通いつめる根性や空き時間の豊富さ、コインをつぎこむ資金力に至るまで、全て人間力に含まれます。 例えばドリルミサイルを撃ちまくって1400万点出しちゃう人とか、火蜂を煙草に火をつけながらノーミス撃破してしまう様な人の人間力というのは、戦闘力的に言うとフリーザ様とか完全体セルくらいのレベルにあると考えて間違いありません。 ・シューティングは超楽しいです。 弾除

    Masao_hate
    Masao_hate 2007/11/14
    これは素晴らしい講座!
  • 「個人的な問題でも一般化したい病」について: 不倒城

    症候群、といってもいい気がする。 恋愛論とか最たるものなんだけど。世の中には、「どう考えても特殊な状況における個人的な問題なんだけど、それを一般的な問題にしたい、凄くしたい」という病気にかかっている人がたくさんいる。そりゃもう数限りなくいる。 新聞やテレビといったマスメディアが、例えば特殊な事件をネタにしてWebやオタク、アニメやゲームといったものを一般的に叩くことに憤る人は多い。が、翻ってみると、「特殊なネタ→一般化」を駆使する病というのは、マスメディアに限らずあたり一面に蔓延しているのである。もうこれは風土病などというレベルの騒ぎではない。数十年も前から発生している、思考的疾患のアウトブレイクである。 かく言う私も「一般化病」を長年患っている患者の一人である。筋金入りの患者といってもいい。病気自慢を貫徹する為にも、ひとつこの病気について一般化を行ってみよう。一般化病患者の辞書に「自己撞

    Masao_hate
    Masao_hate 2007/10/15
    こうして人々は考えることをやめた。 ←一般化
  • ある赤ん坊が産まれるに至るまでの淡々とした記録。: 不倒城

    先日書いたが、子供が生まれた。 一生にそう何度も無いことだ。思ったことを何かの形で書き記しておきたいと思った。といっても、思った内容全てを書き切ることなど、私の脳みその表現力では到底期待出来ない。せめて淡々と、出来事の表面だけでも書き残しておこう。 以下の文章は、初めて妊娠と出産という場面を目の前で目撃した件に関するちょっとした記録、ただの私的な記録である。これをブログに書いておくというのは単なる私のわがままであり、別段面白い話でもないだろうことは先に言い訳しておく。 奥様が妊娠して、大きくなっていくお腹を撫でて、かなり早い段階から「助産院で産みたい」という彼女の言葉を聞いた。助産院の説明会にもついていった。それなりのリスクもありそうだとは思ったが、普段はあまり「やりたいこと」を自分から言い出さないうちの奥様が、珍しくはっきりと明示した意思であれば、特段文句はないと思った。この世になんとか

  • 不倒城: 言動の変化はダメなのか、という話。

    なんだか腑に落ちない。 まず、事の始まりは「むだづかいにっき」のえっけんさんのエントリーである。 「ブログは記事単位で読まれるもの」だからして、その記事内において発言内容が変わるのであれば、確かにこれはちょっと問題でしょう。しかし過去ログでの発言とのい違いがある可能性はあります。それは否定しません。その時に考えた事と、現在の発言内容にい違いがあることは、別に恥ずかしい事とは思いませんが。 話を整理しよう。上記のエントリーの具体的内容に関しては、よそ様のブログの事件なので細かい踏み込みを避ける。ただ、基的には ・以前書いたこととくい違うことを書いている、ということに関する批判 という様なコメントとそれに伴う議論があったんだと考えていいだろう。 むだづかいにっき様のコメント欄にも書いたが、何故かネットでは物凄い精度で「思考の一貫性」が求められる様に思う。2ちゃんねるの様な批判のライブラリ

    Masao_hate
    Masao_hate 2005/12/26
    言ってることが以前と違うなんて、日常、常識、何も悪くない。いちいち噛み付く連中は、男なら本当に○んこが小せぇし、女なら○んこがゆるゆるだと思う。ちなみに○に入る文字は「う」です。
  • 人は何故、「読むと不快になる文章」をわざわざ読みたがるのか。: 不倒城

    なんでだろう。 例えばブログ界隈をうろついてみる。何かを批判しているブログであるとか、何かにケチをつけているエントリーであるとか、つらつらと探してみる。 そういったブログのコメント欄など見ていると、頭が沸騰した様なコメントをつけている方がしばしば見られる。いわゆる「炎上」しているブログに限らず、ごく普通に運営されているブログの、ごく普通に批判を書かれているエントリーでもそういったコメントは見られる。その内容は批判ではなく、大体の場合罵倒や悪口雑言である。いや、まともな批判もあるにはあるのだが。 例えば、アンチ巨人のページをわざわざ見にいく巨人ファン。 例えば、ブログ論のページにわざわざ「ブログ論うぜぇ」と書き込んでいく人。 以前から不思議には思っていたのだが、未だにはっきりとは謎が解けない。つまり、「じゃあ見なきゃいいんじゃネ?」という疑問がどうしても私には拭い去れないのである。 という訳

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