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言語学に関するMeat_eating_orchidのブックマーク (2)

  • 『米国人は、なぜ、石川遼くんの RYO の発音を知りたがるのか。』

    〓今年の2月、“ノーザン・トラスト・オープン” Northern Trust Open 2009 で、石川遼 (いしかわ りょう) 選手が、米国ツアー・デビューを果たしました。 〓 2月17日の練習ラウンド後の記者会見では、英語でスピーチを行いましたが、その中で、 Ryo という名前をどう発音するか、実際にやってみせていました。なぜ、あのようなことをしたのか、奇妙に感じたヒトもいるかもしれませんが、実は、当時、米国では、石川遼選手の Ryo という名前をどう発音するのかが論議を呼んでいたんですね。それに答えたワケ。 「な~んだ、そんなことか」 と片づけてしまってはいけません。実は、“そんなことか” で片づけられる問題ではないんです。 〓あのとき、石川遼選手が、ボクの名前は、 [ 'raɪoʊ ] [ ' ライオウ ] です、とか、あるいは、 [ 'ri:oʊ ] [ ' リーオウ ] です

    『米国人は、なぜ、石川遼くんの RYO の発音を知りたがるのか。』
  • 否定や疑問こそ言語の本質ではないか - 東京永久観光

    さて、言語の質とは何だっけ。これを機にさっと思い起こそう。 チョムスキーは、つまるところ「再帰性」だと考える。 再帰性(recursion)とは、たとえば、「彼は感染した」という文が、「「彼は感染した」と医者は言った」、 「「「彼は感染した」と医者は言った」」と君は信じている」、 「「「「彼は感染した」と医者は言った」」と君は信じている」」」と私は思う」、のように同じ構造を入れ子にしていくらでも拡張できる性質をいう。 この性質は人間の言語にしかない、つまり他の動物の認知には決して現れないとチョムスキーは確信する。そして、再帰性の何がすごいのかといえば、有限の語を使って無限の文が産み出せることだとする。 しかし、こう強調されて素朴にどうだろう。私は正直「ふ〜ん」という感じだった。 言語がわかる能力はヒトの脳だけに固有のしくみとして埋め込まれている。したがって、世界のあらゆる言語において文を

    否定や疑問こそ言語の本質ではないか - 東京永久観光
    Meat_eating_orchid
    Meat_eating_orchid 2009/05/27
    ふつうシンボル性より再帰性の方に驚きそうなものだけど
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